一万打 | ナノ
「おにーちゃん」
我ながら気色悪い声が出た。語尾にハートでもつきそうなそれに征十郎がこちらを向く。目が合うのは一体いつぶりだったか。
「珍しいですね、なまえ君がお兄ちゃんだなんて」
「…ああ」
「ごめんねーテツヤ、ちょっとこれ借りるよ」
「え?あ、はい…」
「なまえ、制服を掴むな。それと俺は物じゃないんだが?」
「はいはいごめんねー」
ずるずると引き摺るようにして廊下を突き進み、この時間は無人になっている部室に入る。ドアを閉めると同時に腕を振り払われて、なんとなく胸が痛んだ。
「何なんだい、突然」
「…………」
「なまえ?」
ああどうしようかな。文句を言ってやるつもりだったのに、怒ってるつもりだったのに。
征十郎と話さないことなんて今までも沢山あった。でもこうやって、目も合わないほど遠くにいることなんて初めてで。いざ本人を目の前にしたって言葉なんて出てこなくて、情けなさに視界が霞んだ。早く何か言わないとどこかへ行ってしまうんだろうけど、手を伸ばしたらまた振り払われるのかと思ったら怖くて動けない。不安を怒りに変えないと、足元から崩れていきそうで息も出来ないのに。
「(なんで肝心なときにこうなんだ、だから俺はいつもいつも情けない情けない情けない情けない)」
「……なまえ」
「あ…ご、ごめん。えっと」
「いいから、落ち着いてくれないか」
「あ、うん…?え?」
「泣いてる」と伸ばされた腕にふっと身体の力が抜けた。次々に流れてくるそれにやっと気付いて、なんだか可笑しくて笑ってしまう。
俺にとって、征十郎の側にいることが当たり前だった。神様みたいに絶対的な存在の背中を、ずっと眺めて生きていくんだと、そう思ってた。
「へへ…征十郎と話すの久々だよ」
「…ああ」
「俺にキスしたね」
「……気付いてたか」
「すごい分かりやすく避けてた」
「誰にも分からないかと思ったんだけどな」征十郎の手が頬を滑る。
「バレバレだし。ねえ」
「ん」
「俺、男だよ。ていうかその前に弟なんだけど」
「知ってるさ。…知ってる」
「親愛のキス?」
「まさか」
「だよね」
止まっていた呼吸を再開させれば、すんと鼻が鳴る。止まらない涙を拭う手は今は固く握られていた。
「……あのさあ」
「………」
「征十郎」
「…なんだい」
「……ごめんね」
絞り出すように発した声は、少し震えてしまっていた。俺から外された視線は足元の小さな染みに注がれていて、その口元に笑みが浮かぶことはない。「ごめん、」もう一度呟くように言えば、堪えるようにきゅっと引き結ばれてしまう。
背負うには、重すぎる荷物だった。
でも。
「征十郎の未来を、俺が貰うよ」
「…………は?」
涼太がいつもしているように、にっと歯を見せて笑う。ぽかんとした征十郎の表情に、冷たいままだった胸の中がじわじわと暖まっていった。
「俺の未来も征十郎にあげる」
「……」
真ん丸に見開かれた瞳は、相変わらず綺麗だ。
「言っとくけど俺、嫉妬深いよ」
「ちょ…」
「さっきもだけど、やたらテツヤといる気がするし」
「え」
「浮気とかしたらどうにかしちゃうからね」
「なまえ…!」
「?なあに」
「…何を、言って」
正に呆然といった征十郎の表情に首を傾げる。自然に浮かんだ笑みをそのままにして頭を撫でれば、ふるりと震えた肩が見えた。
「分かってるのか」
「ん?」
「僕はお前に、…なまえに、こういう感情で触れたいと思ってるんだよ」
顎に添えられた手に上を向かされ、近付いてきた顔に笑顔が引っ込む。くしゃりと歪んだ表情に見ていられなくなって、「わかってるよ」とだけ囁いて背伸びをした。触れた唇に、そこから広がる熱に、征十郎の冷たい指が暖まりますように。
「…ふは、」
「……」
「ちょっと、何か反応してよ」
「……なまえ」
「征十郎?」
「……ん……」
「…好きだよ、俺も。そういう感情で」
ぽすんと肩に乗った征十郎の頭に、自分の頭を寄せる。
肩の湿った温度とは裏腹に、握った手は温もりに緩んでいた。
(追い掛け続けた神様は、隣で笑う君だった)
(……………)
(ねー、ミドチンめっちゃ固まってるよ)
(いや、そりゃ固まるだろ)
(…俺のなまえっちが…)
(誰がいつ涼太のものになったって?)
(おめでとうございます。やっとですね)
(えっ)
(え?)
(ふむ…テツヤが一番侮れないな)
(えええええ)
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夢主は大きい決断ほどあっさり決めてしまう人間です。多分赤司君の方がいろんなことが見える分踏み止まるのかなあとか考えたんですが、赤司様だしいざとなったら開き直るよね。でも兄弟相手には殊更丁寧になるよねという妄想でした。これはひどい!ぐだぐだと長くなってしまいました…(^ρ^)でも書きたかったお話なので満足しております。
リクエストありがとうございました!なにか直して欲しいところがあればお申し付けください〜(笑)