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(帝光時代)



人も疎らな放課後の廊下をふらふらと頼りなく歩いていると、前方で赤い髪が揺れる。はてどちらだろうかと一瞬考えはするけれど、答えが出るより先に本能が告げてしまうからこれは無意味なんじゃないかと思う。
(それでも考えてしまうのはなんでだろ)

「なまえっち〜」
「…ん?」

プリントの束を抱えて振り返ったなまえっちの目を見ながら横に並ぶ。お使いっスか?と聞けば、日直だからねと言って持っていたプリントを揺らして見せた。職員室までついていこうと思って一緒に歩き出しながら、男にしては細めの指に持ち上げられたプリントに目を移す。
進路希望調査表。一週間前のHRで配られたその薄っぺらい紙に、俺は一校しか記入しなかった。

「なまえっちはどこ行く予定なんスか?」
「んー、ないしょ」
「…けち」

一番上だけ裏返して見えない状態にされてしまったプリントに文句を言えば、個人情報なんだからと突っぱねられてしまう。微かに見えた名前は全く違うクラスメイトのものだったから、裏から見てやろうとした俺の頑張りは早速無に還ってしまった。やるせない。

「…そういえば、赤司っち京都行っちゃうってほんとスか」
「うん、ほんと。情報が早いね」
「こないだ職員室行ったとき、先生たちが話してんの聞いたんス。………」
「……俺は行かないよ」

ぱく。喋ろうとした言葉が寸前になって喉に突っ掛かって、間抜けにも空気を飲み込んだ俺を見てなまえっちが笑う。その笑顔があんまり綺麗で、綺麗すぎて、なんだか人形のようで堪らなくなった俺はなまえっちに抱きついた。プリントがくしゃりと音を立てたけど、気にしない。

「わっ…涼太」
「なまえっち、なまえっちなまえっちなまえっち」
「…俺はここにいるよ。大丈夫」

プリントで塞がっている両手の代わりのように、なまえっちの頬が俺のそれにくっつけられる。あったかくて柔らかくて気持ちいいそれにこっちからもくっついたら、くすくすと笑いながら胸板を押された。そういえばここ廊下だったと思い出したけど、離れずにそのままひっついてやる。
部に入りたての頃は、みんなでバスケしてるのが当たり前だった。息をするように当たり前だったから、今から変わろうとしている俺たちの関係を見たくなくて、でも進路希望にはちゃっかり神奈川の学校を書いた俺はなにがしたいのか自分でも分からない。
バスケがしたい。
ただそれだけだった感情には一本の鎖が重く巻き付いていて、勝つことが何なのかを鈍く歪ませていた。

「みんなきっと、それぞれ違うところに行くんだろうね」

腕の中で呟いたなまえっちは、とても寂しそうだった。変わらない関係なんてないって分かってるつもりの俺たちは、それを昇華できる術をまだ持たない。俺たちを置いていった黒子っちと、ばらばらに離れてしまう俺たちが去った後に残されるのは多分、なまえっちだ。
唯一無二の支えになる赤司っちの隣になまえっちがいない未来が、もうすぐやって来る。

「……まあ、同じ高校行くのも考えたんだけど」
「…うん」
「家のこととかいろいろあるし、二人で出るのは少し無理があって。だから結局、俺は都内の高校にしたよ」
「……うん」
「涼太。俺はここにいるから、辛くなったら甘えにおいで。甘やかすくらいしか俺にはできないけど、ちゃんとここで待ってるからさ」
「うん…ごめん、ごめんね…」
「ふふ、なに謝ってるの?」

なまえっちがどこにも行かないと分かったとき、一番に感じたのは喜びだった。赤司っちと離れるのは辛いだろうに、俺はとてもとても嬉しかったんだ。なまえっちがいる。ただそれだけで俺は、とてつもなく安心してしまう。
置いていくくせに待っていて欲しいだなんて、そんなわがままを思う自分が許せなかった。

「涼太はちょっと気負いすぎるよね。新しい場所でスタートするんだから、シャキっとしなさい!」
「って!」

いつのまにプリントを持ち替えたのか、空いていた手で思いっきり背中を叩かれる。痛みに悶絶するようにしゃがめば笑い声が振ってきて、見上げた先には夕日に照らされながら笑うなまえっちの顔。
ほんとは、提出期限ギリギリまで悩んでいたのを知っている。段々と傾いていく太陽に照らされた教室で一人、一枚の紙に向き合って何度も溜め息を吐いていたのを知っている。その手は赤司っちと同じ高校を書きたかっただろうに、教室を出てきたなまえっちの表情を見れば下した結論なんて分かりきっていて。

「……なまえっち!」
「うん?」
「俺、頑張るっス!誰にも、青峰っちにも負けないようになる!だからもしそん時は、俺のこと褒めてください!!」

勢い良く立ち上がりながら言った言葉に、暫く目を丸くしていたなまえっちは軽く吹き出して歩き出す。返事がないことに戸惑ってその場に立ち尽くす俺に振り返ったなまえっちは、とても嬉しそうに「もちろん」と言って、それから小走りで行ってしまった。


(うっし!練習してから帰ろ!)
(別に俺だって一人じゃないんだけど、面白いから黙っておこう)
(あれ?なまえ君、今帰りですか)
(ああ、テツヤ。うん、一緒に帰ろ)
(はい(…随分嬉しそうだ))






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