4.溶けていった劣等感



「おーう、部活入って1ヶ月経つけどどうよ、オネーサン。」

休日練習のお昼時間。洗濯したビブスを干していると黒尾がやってきた。私は手を動かしながら黒尾の問いかけに返答する。

「皆優しくて、何も知らない私にバレーのルールも教えてくれるから楽しいよ。」
「ほうほう。」
「監督も先生も私に気遣って、マネージャーとして、どういうこと出来るといいか教えてくれるしね。」
「それから?」
「……後は研磨くんと山本くんが、未だにマトモに目を合わせて話してくれないのが悔しいかな。」

私は持っていたビブスを干す手を止めて、ここ一ヶ月のことを思い出す。研磨くんは変わらず私が近づくと気まずそうに目を逸らすし、山本くんは話しかけると奇声を上げて固まってしまう。二人とも悪気はないと思っていても、やっぱり傷つくことには傷つく。

「ブハッ」

黒尾は私の返答を聞くと、さも可笑そうに笑い始めた。私は黒尾の反応にイラッとして睨む。初めは、私のこと心配してくれていると思ったのに完全に面白がっているようにしか見えない。

「ちょっと、こっちは本気で悩んでるのに何笑ってんの。」
「いや、たまに難しい顔してんのは、それかと思って。」
「だって、どうやったら二人と仲良くなれるのか分かんないんだもん。人と関係を築くには時間が必要だってことは分かってるんだけどさ。」
「まあ、研磨は昔から人見知りだからな。ナマエみたいなタイプは今まで絡んだことねえから様子見してんじゃねえの。虎に関しては発作みたいなもんだ。アイツ、女に慣れてないから。」
「……私が絡みにくいってことではない?」

私は黒尾の様子を伺いながら聞く。ここまで、一進一退もしないコミュニケーションは始めてで自分に何か大きな非があるんじゃないかとさえ、思い始めてしまったのだ。

「そうじゃねえよ。そもそも、研磨と山本でさえお互いに打ち解けてないから、まだ日も浅いお前が気にすることじゃねーって。」
「そっかー。」
「そうそう。そのうちナマエなら、どっちとも上手くやれるようになると思うからさ。頼りにしてるぜ、マネージャー。」
「なんか言い方にプレッシャーを感じる。」

私は空になった洗濯カゴを持ち上げながら、黒尾を忌々しげに睨んだ。私の反応に何が面白いのか黒尾は、またも笑っていた。

「まあ、でも、折角同じ部活にいるんだし。二人と仲良くなれるように、もう少し頑張ってみる。」
「おう。困ったことがあれば、いつでも頼ってくれていいんだぜ。」
「ありがとう。でも、なんか黒尾が言うと胡散臭いね。」
「は!?なんでだよ!?」

▽Kenma side

七月半ば、新チームでスタートして2ヶ月。以前の三年生がいた頃と比べ、部の雰囲気は格段に良く変わってきていた。さらに、ナマエサンが1ヶ月弱前に入ってきたことで、チームの指揮が上がっているし、雑用を手伝ってくれることで部活にかける時間を増やすことができた。

ナマエサンは面倒見が良いタイプで、誰かが面倒だと思うことでも自分から進んでやってくれる。ただ優しいだけでなく、自身が思ったことをハッキリ指摘もしてくれるので、クロ以外との仲もどんどん構築していった───俺と山本くんを除いて。

山本くんは女の人と話すのが緊張してしまうようで、ナマエサンに話しかけられては奇声を上げて良く固まっていた。たまに山本くんから話しかけるのも見るけど、明らかに空回りをしている。

俺はというと、年上の女の人と二人になると、どう言う会話をしていいのか分からなくて、なるべく二人にならないように避けてしまっている。クロがいるときだと、まだ話せるんだけど二人きりとなると気まずくて仕方がない。せめて、帰りが一緒じゃなかったら二人きりになるタイミングも減るのに。我ながら、酷いことを考えているなと思う。

たぶん、ナマエサンは何でも頑張るタイプだから、俺とも仲良くなろうと気に掛けてくれている。だけど、俺はその気遣いにさえ、どう答えればいいのか分からなくて、彼女と目が合うとどうしても逸らしたくなってしまうのだ。彼女が嫌いだとか、取っ付きにくいとか、そう言うことじゃない。彼女の柔らかい雰囲気は良いと思うし、周りに対する姿勢は好きだけど、俺とは違いすぎて関わることを引け目に感じてしまうのだ。

「研磨くん、大丈夫?」
「え、あ、ダイジョウブ、です。」
「スポーツドリンクまだあるから、私持ってくるよ。ここで少し座ってたら。」
「まだ、今飲んでるやつあるからいい───です。」
「そう?わかった。無理しないようにね。」
「うん。」

俺はナマエサンの問いかけに答えると手元のドリンクをあおる。七月が本格的に始まってきたせいか、体育館はサウナのように蒸し上がっていた。

休憩終了の笛が鳴り、俺はコートに戻る。クロが遠くから俺に何か話しかけているようだが、耳鳴りがして聞こえない。

「おい、研磨!」

足元がふらついてチカチカしていた視界が真っ青になる。視界の端でクロの慌てるような声が聞こえた。誰かが俺の腕を掴んで支える。クロか虎あたりだろうか。俺は確認する気力もなく、そこで意識を手放した───・・・


次に目を覚まし時には真っ白な天井と視界の端にはクロとナマエサンが見えた。そこで、ああ、そういえば俺倒れたんだっけ。と先ごとの出来事を思い返す。頭がまだボーッとしてうまく脳が働かない。

「目覚めたか。」
「よかった……!」

クロとナマエサンが安心したように肩を撫で下ろす。どうやら、二人には相当心配を掛けたらしい。

「ごめんね。研磨くんが体調すぐれないことに気づいてたのに倒れるまで放っておいて。」

ナマエサンが心底申し訳なさそうに俺に謝る。彼女は一ミリも悪くないのに、むしろ気にかけてくれた言葉をちゃんと聞いてなかったし。俺は居心地が悪くて視線を下げた。

「体調が悪いのなんて本人が一番自覚しなきゃいけないことだから、ナマエサンが気にすることじゃないと思う。」
「心配してくれてありがとってさ。研磨クンが。」
「クロ、わざわざフォローみたいなこと言わなくていいから。」
「はー、でも本当に大事はないみたいで良かった。私、監督と皆に無事だったこと伝えてくるね。」

そういうとバタバタとナマエは忙しなく走っていった。俺とクロが保健室に二人きりになる。どうやら、他の生徒はいないらしかった。

「研磨、ちゃんとナマエに御礼言っとけよー。」
「何、急に。」
「お前がぶっ倒れる直前に慌てて抱き止めたのナマエだぞ。」
「え、」

俺は驚いてクロを見上げる。長年いるから、クロの表情から嘘をついていないことは分かった。

「お前の足取りがいつもと違うことと顔が真っ青なことに気づいて見てたらしい。誰よりも早く飛んでって、研磨が地面に倒れる前に抱き止めてたぜ。」
「誰かに支えられた意識まではあったけど、クロか虎だと思ってた。」
「はは、アイツ男顔負けの力持ちだな。少女漫画だったら恋愛はじまってるぜ。」
「男女の立ち位置逆でしょ。」
「イマドキっぽくていいじゃねえか。」
「はぁ。」

すっかりクロはからかい顔で俺を見ている。それにしても、スポーツマンのくせに倒れて女の人に支えられるなんて俺くらいなものかもしれない。

「まあ、マジな話、マネージャーの自分がメンバーの体調変化に気づけなかったってヘコんでるみたいだから、フォローしてやってよ。研磨が言えばアイツも納得すんだろ。」
「うん。」

またバタバタと廊下を駆けてくる音が聞こえて、保健室のドアから少し息を上げたナマエサンが顔を出した。

「二人は今日は帰っていいって監督が。何かあったら行けないからクロも研磨くんを送っていってって。」
「おう。分かった。」
「私、部室から二人の荷物とってこようか?」
「いや、俺とってくるわ。ナマエは俺が戻るまで一応研磨見といて。」
「あ、うん。」

そういうとクロは俺とナマエサンを取り残して保健室を出て行った。保健室を出ていく前、こっちに親指を立てたのは見間違いじゃないと思う。俺がまだナマエサンに慣れていないのを分かってて二人にしたんだ。

ナマエサンはさっきのこともあってか、いつもよりも静かだし、視線を彷徨わせて珍しく気不味そうにしていた。まるでいつもの俺みたいだ。いつもは俺の方が居心地悪く感じている沈黙が、今日はナマエサンの方が何倍も居心地悪そうな表情をしていた。こういう時って不思議と冷静になるんだよな。よく言う緊張している人を見て、緊張が解けるみたいな。

「あー、ナマエせんぱ───サンは、あの、」
「……あはは、凄い不自然。私のこと呼び捨てでいいし、話し方もタメでいいよ。そう言うの無い方が私も話しやすいし。」
「え、いいの?───デスカ。」
「いいってばー。そもそも先輩後輩なんて言い始めたら、私の方が後から部活に入ったしね。なんなら、研磨くんに私が敬語使おうか?」
「……じゃあ、わかった。俺の事も別に呼び捨てでいいから。」
「うん。よろしく。」
「あの、それで、ありがとう。クロからナマエが俺のこと支えてくれたって聞いた。」
「え!?あ、ううん。もっと私が早く気づけばよかったんだけどね。だから気にしないで。」
「そんな事ないよ。さっきも言ったけど、俺の体調不良は俺のミスだから。だから、ナマエが気にすることじゃないし、俺も気にしてない。」
「───そっか。」
「うん。」

ナマエは気不味そうな表情から、いつもの柔らかな表情で嬉しそうに俺を見ていた。彼女の人間味のある一面をみたからか、俺はいつもよりナマエの目を見て頷くことが出来た。

「どうやら仲良くなれたようですね、お二人さん。」
「黒尾、ドヤ顔やめて。」
「ナマエチャンは俺にもう少し優しくしてくれていいんだよ?」
「日頃の行いじゃない。」
「ここぞとばかりに二人で攻撃してくるんじゃないよ、君たちは。」

文句垂れる割にはクロが嬉そうなので、俺はナマエと目を合わせて笑った。

「じゃあ、帰るな。あとヨロシク頼む。」
「うん。二人とも気をつけて帰ってね。研磨は帰ってちゃんと休むんだよ。ゲームしないようにね。」
「……。」
「そこは返事して!」

ナマエに見送られてクロと帰る。ナマエは俺たちが見えなくなるまで手を振っていた。

「ナマエ、いい奴だろ。」

電車で揺られていると、唐突にクロが俺に話を振ってきた。ニヤニヤしながら言ってくるあたりがイラっとする。

「それは最初から知ってる。」
「さいですかー。」
「ニヤニヤしてコッチ見ないで。」
「見てないしー。」
「見てるし。」
「見てない。」
「見てる。」
「見てない。」

きっと明日の俺は、昨日の俺よりも帰りの時間を少しだけ気楽に思えているだろう。電車から見える夕暮れの景色をぼんやりと眺めながら思った。

20220822
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