雨が嫌いだった。父と兄が亡くなった日のことを思い出すから。母が出て行った日のことを思い出すから。

「この度は心よりお悔やみ申し上げます」

千冬くんと式場の前で待ち合わせをして、場地さんのお母さんにご挨拶をした。彼女の目は泣き腫らしたのか痛々しく腫れていた。胸の奥がぎゅっと握りつぶされたみたいに苦しくなる。

「来てくれてありがとう。圭介にも挨拶していってもらえると喜ぶと思うわ」

場地さんのお母さんは千冬くんと私を見ると優しく微笑んだ。しかし、その表情はとても疲れているようにみえた。当然だろう。若くして息子が亡くなるなんて想像しただけで胸が引き裂かれる想いだ。私はうまく微笑み返す事が出来ず、その代わりに出来る限り丁寧に会釈を返した。

受付を済ませると場地さんの側へ歩み寄った。棺から覗く顔はとても安らかで寝ているみたいだった。

「場地さん、プレゼントありがとうございます。私との会話を覚えてくれたんですね。すごく嬉しかったです。早速使ってみたのですが似合ってますかね。この猫のゴムとても可愛くて一目で気に入りました。何があってもこれは失くさないと思います。それから私恥ずかしくて言えなかったんですけど。場地さんと冗談言いながら歩く時間が好きでした。それから……それから」

伝えたい事は沢山あったのに、言葉にならなくて視界が潤んだ。

「私、場地さんの事、ずっと覚えています」



式が終わると雨がふり始めていた。
千冬くんは片付けを手伝うと言っていたので、私は邪魔にならないよう先にお暇する事にした。

帰りの道中、いつも通りがかる公園で見慣れた背中を見つけて足が止まった。その背中は傘も刺さずにどこか遠くを見つめている。そのまま彼を一人にして置いたら、どこかに消えてしまいそうな気がして、私は思わず声をかけた。

「マイキーさん」
「ナマエ」
「びしょ濡れじゃ無いですか」

思わず傘の中に入れたが、彼の学生服は水をすっかり吸っていて、裾からぽたぽたと水が滴っていた。

「ナマエも来てたんだな」
「はい、千冬くんに聞いて」
「そっか。前に場地と千冬と勉強してたもんな」

彼がゆっくりとした動作で私の髪を撫でた。

「今日は結んでるんだね」
「はい。場地さんに髪ゴムを貰ったんですけど、お礼が言えなかったので、せめて最後に場地さんに見せられればと思って結んできたんです」
「場地に……そっか」

マイキーさんが苦しそうに表情を歪めた。いつもの意志の強そうな眉毛は困ったように八の字を描いていた。

「ごめんな、俺場地の側にいたのに助けられなかった」
「え」
「また、失っちまった。俺のせいかな」
「何言ってるんですか」

マイキーさんの瞳は真黒に淀んで何も映していないようだった。彼の様子から私の声が耳に入って無いことが分かる。彼の瞳がこのまま光を映さなくなるんじゃないかと急に怖くなって、私は傘を手放して彼を抱きしめた。いつからここに立っていたのか、体は氷のように冷たかった。

「やめてください、そんな風に言わないで」
「ナマエ」
「そうやって全部自分で抱え込まないで下さい。何の為に貴方の側に人が居ると思ってるんですか。約束したじゃないですか、一緒に背負うって」

彼の手が私の背中に回される。どちらとも分からない、私達は震えていた。きっと全部この憎い雨のせいだ。冷たくて、ひどく苦しい夜だ。

「すごいな、ナマエは。いつも俺が苦しい時に側に来てくれるんだから」

優しい声が私の鼓膜を揺らした。いつもの彼の声にホッとした。それから彼の体が酷く冷たいことが心配になった。

「マイキーさん、このままじゃ風邪ひいちゃいます。おうちに帰って体を拭かないと」
「うん」

彼の言葉は肯定しているものの、私の背中に回された手は離れそうにない。私自身も今の彼を一人にするのは心配だった。彼を放っておいたら濡れたままベットに蹲ってしまいそうだ。

「私の家、ここから近いので寄ってください」
「え、」
「マイキーさんの家、ここから遠いですよね?そのまま帰ったら風邪引いちゃいます」
「いいのか?」

マイキーさんの体が離れて、困惑するような瞳で私を見ていた。いつもは俺様で人の意見なんて二の次なのに急にどうしたんだろうか。今の彼は行き場を無くした小さな子供のように、何も言わずにじっと私を見返している。

このままだと、雨の中でずっと立っていることになりそうなので、私は彼の手を引いて家まで連れて行った。彼は珍しく借りてきた猫のように大人しくなって私の後をついてきた。
家に着くとバスタオルを彼に渡して、お風呂にお湯を張っておく。マイキーさんは初めて街に来た観光客のようにきょろきょろとあたりを見回した。

「先にあったまってきてください。着替えはお風呂場に置いておきますので」
「うん」

彼はすんなりと受け入れるとお風呂場へ行った。その間に私は着替えを見繕ってお風呂場へ置いておく。丁度兄が同じ背格好だったのでサイズは合うだろう。

そして今更ながら勢いで自宅に少年を連れてきてしまった自分に気が引けている。年下の未成年を家に連れ込むって大丈夫だろうか。でもとても彼を見過ごせる状態じゃなかったし。
私が悶々と考えていると彼はお風呂を上がってきた。顔には血色が戻っていた。

「お風呂、ありがとう。着替えも」
「い、いえドライヤー置いておくので使ってください。私も入ってきますね」

お風呂に入っている間も年頃の中学生男子を家に上げたのは不味いのでは、と考えていた。しかし、私の心配に反してお風呂から上がると、ソファーからはスヤスヤと寝息が聞こえた。ソファーを覗き込むとマイキーさんはバスタオルを抱きながらぐっすりと眠っていた。相当疲れが溜まっていたようだ。私は彼の肩にそっと毛布を掛けた。まだ幼さの残るその表情を、私は切ない気持ちで見つめた。彼はどれだけの間、あの場所で自分のことを責めていたのだろうか。

カチコチと部屋には時を刻む音が響いている。私はいつまでもこうしている訳にはいかないと重い腰をあげた。さて、どうするかと考えていたところに携帯のバイブレーションがなる。電話を掛けてきた相手はドラケンさんだった。私はマイキーさんを起こさないように声を潜めて電話に出た。

「もしもし」
「おう、こんな夜に電話かけて悪い。もし知ってたら教えて欲しんだけどよ、マイキー見てないか?」
「マイキーさんは、私の家にいます」
「は、マイキーが?」
「はい。雨の中ずぶ濡れでいたので、そのまま見てられず引っ張ってきちゃいました」
「あー、悪い。迎えに行くから、ちょっと待っててくれるか。まだ式場の手伝いしてるから時間かかるかもしれねぇけど」
「分かりました。マイキーさんは疲れて寝ちゃったみたいなので、気にせずゆっくり来てください」
「サンキュー。また後で連絡入れる」

時刻は20:34を指していた。きっとマイキーさんのあの様子だと夕飯も食べていないだろう。私は簡単にご飯でも作ることにした。
単純だが好きな物をつくれば少しは食欲が出るかも知れないとオムライスを作る。ついでに、以前にマイキーさんが散々お子様ランチに旗が立っていないと拗ねている姿を見ていたので、見様見真似で旗も作ってみた。

私は恐る恐るマイキーさんの肩を揺する。彼は唸り声を上げると眠そうにこちらを見た。

「んー、ナマエ?」

マイキーさんは寝ぼけているのか目を擦っている。

「起こしてごめんなさい。ご飯作ったので、食べれそうですか?」
「……そう言えば朝から食べてなかった」

彼はボソリと呟くとのそのそと体を起こした。髪がぴょんぴょんといろんな方向に跳ねていて可愛い。私はたまらず手を伸ばして彼の寝癖を溶かした。猫っ毛なのか寝癖は全然治らない。躍起になって整えていると私をじっと見つめる目とかち合って我にかえった。自分は何をやっているんだと顔が赤くなる。咄嗟に離そうとした手をマイキーさんは素早く掴むと、彼の柔らかな頬へ持っていった。すべすべとした頬が気持ち良いとか変な言葉を浮かべながら、頭の中は羞恥で沸騰寸前だった。

「もっとやってよ。気持ち良い」
「あ、あ、あのご飯が冷めるんで!」
「顔真っ赤。自分からやった癖に」

マイキーさんは可笑しそうに吹き出すと私の手を離してくれた。純粋な子供みたいな瞳をしてるのに、発言は意地悪だ。私は赤い顔を誤魔化すようにテーブルに先についた。マイキーさんもクスクスと笑いながらも席に着く。いつまで笑ってんだ。

「わあ」

マイキーさんはオムライスを見るとキラキラと目を輝かせて嬉しそうに色んな角度から見ていた。ただのあり合わせで作ったモノなので逆に恥ずかしい。

「そんなに大したものじゃないですよ」
「そんな事ねぇよ。ナマエが作ったんだろ。嬉しいに決まってんじゃん。しかも、旗もある!」
「マイキーさん達の特攻服でしたっけ?に入ってるマーク書いたつもりだったんですけど」
「うん、あってる。すげー嬉しい。大切にする」

マイキーさんはそう言うと、子供みたいに旗を大事そうに抱えた。その行動に私の心がほっこりと温かくなる。
彼は相当お腹が空いていたのか、ペロリとご飯を平らげた。食べっぷりの良さと、この家で人とご飯を食べることが嬉しくて箸が進んだ。

丁度、ご飯を食べ終わったところでドラケンさんから着信が入る。どうやら、迎えが来たようだ。
玄関を開けると雨は止んでいて、雨上がりの湿った匂いが鼻腔に広がった。ドラケンさんが自宅前の脇道へバイクを止めていて、こっちへ手をあげた。いつもの弁髪姿ではなく、髪が下ろされて綺麗なモデルのようだった。
マイキーさんは私の横からひょこっと外の様子を覗き込む。

「あ、ケンチン」
「"あ、ケンチン"じゃねぇよ。お前は何人んちに転がり混んでんだ。早く帰るぞ」
「え、やだ。俺、ここの子になる」
「あ?何わがまま言ってんだ。早く来い」
「やだー!まだナマエと離れたくない」
「子供かよ」

マイキーさんは私の腕を掴んで駄々っ子みたいにゴネてる。これは時間がかかる奴だ。

「あー……じゃあ折角ドラケンさんも来てくださったので、お茶でも飲んでいきますか?」
「え!ケンチンも家に上げちゃうの?やだ」
「やだじゃねえよ。じゃあ、早く来いや」
「えーまだ離れたくない。あー、仕方ない。ケンちん、今日だけだからな」
「いや、お前の家じゃねぇだろ」

マイキーさんは逃げるように家の中へ入っていった。ドラケンさんは頭を抱えてため息をついている。本当に保護者みたいだ。

「悪い、ナマエ。すぐ連れて帰る」
「大変ですね」
「本当にな」

ドラケンさんとマイキーさんに紅茶を出す。2人はまだ言い合いをしているようだった。

「本当に悪い。こんな時間にお邪魔して。親御さん怒ってねぇか?」
「ケンチン」
「あ?」

ドラケンさんが気を遣って言った言葉に、マイキーさんが制止をかける。私の事情を察してか踏み込まないようにしていたのだろう。でも、二人には伝えたい事もあったし、この際に話すのも良い機会かもしれない。

「マイキーさん、ドラケンさん、私話したいことがあったんです」

マイキーさんは心配そうに私の顔を覗き込んでいる。俺様でわがままだけど、彼は基本的に頭が良くて配慮ができる人間なのだ。

「私の父と兄は数年前に他界しました。暫くは私と母の二人で慎ましやかに暮らしていたんですけど、私達の間には最低限の会話しかありませんでした。事故が起こった原因は、元は私の所為だったので、お互いに消化できない想いがあるんです。とうとう2年前に、母は仕事の都合で出張に行ったっきり殆ど帰って来なくなりました。色々努力したつもりだったんですけど、私達の溝は消えないまま残ってるんです。それから、私は人と関わる事が怖くなって全ての関係に深く関わらないようにしていました。当たり前にあったものが無くなるのって本当に苦しかったから。もうこんな思いはニ度としたく無いって、そう思ってたんです。

でも、皆さんはそんな私の事も知らずズカズカ心の中に入ってきて、初めは怖かったし嫌だったんですけど、気づいたら大切な存在になっていました。自分の問いかけた言葉が返ってくる温かさとか、誰かに頼れる心強さとか、ずっとずっと忘れていました。ここ数年で尖ってた私の心は随分と、まあるくなったと思います。だから、きっかけをくれた二人には"ありがとうございます"って、そう伝えたかったんです」

二人は真剣な表情で私の下手くそな話を聞いてくれた。

「すみません、全然言ってる事が纏まらないんですが、二人のおかげで沢山与えられた物があるって事を知って欲しくて」

マイキーさんは立ち上がると私の首に飛びついて頭を撫で始めた。急にどうした!?
そんな私達のやり取りをドラケンさんは苦笑して見ている。

「ナマエ、そう言う事なら今まで以上にお前の事大切にするぜ」
「あー!ケンチンそれは俺のセリフ」

マイキーさんは頬を膨らますと私の首をぎゅっと締めた。大事にされているのは嬉しいが、私はマイキーさんのハグの苦しさに意識が飛びそうになる。

「おいバカ!ナマエの顔が青くなってる」

慌てたドラケンさんがマイキーさんを引き剥がす。そんなドラケンさんにマイキーさんはむくれて八つ当たりをして、二人はまたまた喧嘩をし始めた。いつもは胃が痛くなるような二人のやりとりが、今日だけはいつもの日常が戻ってきたみたいで酷く安心をした。

There is no remedy for love but to love more.
(もっと、もっと愛するということ以外には、愛の悩みに対する救済策はない。)


20210703
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