「あ……場地さん」

私は考えるよりも先に口が開いていた。
前を歩いている彼は、いつも着ているものとは違う白色のジャケットを羽織っていたし、隣を歩いていたのが千冬くんじゃなかったので、声を聞くまで場地さんだと気づかなかった。
そういえば、彼を最後に見たのは秋の始まりの頃、千冬くんとコンビニに来たのを見た時だったか。

場地さんとその隣にいた少年が此方に振り向く。少年は黒い髪に金のメッシュをいくつか入れていて端正な顔立ちが目を惹いた。しかし、その顔立ちには反して、今まで出会った不良の中でも独特な威圧感があった。少年の琥珀色の瞳と目が合った瞬間、私は蛇に睨まれた蛙のように微動だにできなくなってしまった。

「誰?」

男の子は首を傾げると不思議そうに私に尋ねた。綺麗な鈴の音が彼の耳元から鳴る。その音に私はハッと我にかえった。

「あ、急にごめんなさい。初めまして」
「あはは、礼儀正しくていいね。俺は一虎って言うの。場地の知り合い?」
「あ、えと、ミョウジと申します」

彼が名乗ったことで、私も当たり前のように名前を言ってしまった。しかし、私の名前を聞いて彼の表情が急に険しくなる。

「んー、ミョウジってマイキーの女の名前じゃないの?誰かが言ってた気がするなぁ」

彼の手が私の肩を掴んだ。指が食い込むんじゃないかと思うくらいに強い力だ。私を見る目はとても冷たくて、背筋がゾクッと冷える。

「そうだ!コイツでマイキーを釣ろうよ。自分の女が犯されてボコボコにされてたら、どんな顔するのかな」

私は恐怖のあまり声が出てこなくなってしまった。それ以前に、目の前の少年には私の声なんて届かないし、耳も貸してくれない気がした。

「やめろ、一虎」

場地さんの手が一虎さんの手を掴む。それでも私の肩を掴む力は依然、弱まる事はなかった。

「あ?なんだよ。マイキーの味方すんのか」
「違え」
「じゃあなんだよ」
「コイツはマイキーのじゃない、俺の女だ」

場地さんは力強く言うと一虎さんの手を振り払った。私は彼の発言に驚いて、瞬きをする事も忘れて穴が開きそうなほど場地さんを見た。
どういうこと?俺のオンナ?もしかして場地さんはこの人から私を遠ざけるために言ってくれてるのかな。そうであるなら私は口を挟むべきじゃない。固唾を飲んで一虎さんの様子を伺う。
私たちの間には妙な緊張感と沈黙が流れていた。

「プッ あははは!」

その沈黙を破ったのは一虎さんだった。彼は噴き出すと、堰を切ったようにお腹を抱えて笑い始めた。私と場地さんは、そんな彼をぽかんと見つめる。

「はー、笑った。場地、必死過ぎ。そんなに好きなんだ、この子の事」
「はあ!?うるせえ、ほっとけ」
「それなら先に言ってよね。俺、この子に凄んじゃったじゃん。ごめんね、ひどい事言って」

一虎さんが一変して笑顔で私に謝ってきた。まるで人格が変わったかのような雰囲気の変化だ。先程のことが夢だったんじゃないかと思うほどだが、ズキズキと痛む肩が彼の狂気は現実だと証明していた。

「だ、大丈夫です」

私は必死に喉から声を絞り出す。場地さんの方を見ると彼は目を逸らして私に背を向けた。

「もう良いから行くぞ、一虎」
「えー、いいじゃん。この子も連れてこうよ。俺たちのアジトにさ」
「嫌に決まってんだろ。危ねえし鈍臭えし足手まといだ」
「ふぅん。"危ない"ね。この子の事、そんなに大事にしてるんだ」
「やめろ、からかうな。ナマエは早く帰って寝ろ」
「まだ夕方だけど」
「うるせえ、俺はもう行く」
「あ、ちょっと待ってよー。じゃーね、ナマエちゃん」

一虎さんは人懐っこい笑顔で手を振ると場地さんの横を並んで歩いて行く。お揃いのジャケット着てるくらいだし、二人はとても仲が良いのかもしれない。

それでも、私は彼らの後ろ姿をみているとイヤな胸騒ぎがした。場地さんはいつも通り不機嫌そうに顔を歪めていたが、前に見た時の方が楽しそうに見えたからかもしれない。



「場地さー、嘘でしょ。付き合ってるって言うの」

一虎がにやにやしながら俺に言う。俺は舌打ちをして顔を背けた。先程の猿芝居は一虎にはお見通しだったらしい。

「気づいてたのかよ」
「そりゃあね。あの子の反応みれば」

俺はため息をつく。やっぱりあの女はトロくさくて鈍臭い。それに妙なところで一虎は勘がいいのだ。

「でも、あの子の事が好きってことは本気みたいだね」
「違え。別にそんなんじゃねぇ」
「嘘下手かよ」

一虎が楽しそうに俺のことをからかってくる。俺は頭を抱えてため息をついた。余計な弱みを握らせてしまった気がする。暫くはこのネタでからかわれそうだ。

「いいじゃん。マイキー殺して奪っちゃえばさ」

一虎は難なく言った。表情は笑っているが目は全然笑ってない。
真一郎くんを殺してしまった日から、こいつの目はこんな風に歪むことが増えた。それは、あの日に一虎を止める事ができなかった俺の責任でもある。

「そうだな。俺はお前についてくぜ、一虎」

マイキーを殺してまでナマエを手に入れたとして、あの女がどんな表情をするか俺は分かっている。他人が怪我しただけでも追い詰められて涙を流しちまうようなお人好しだ。どれだけ俺が彼女の気を引こうとしても、事実を知れば絶望の表情を浮かべて、マイキーの為に涙を流すだろう。そんな顔には興味がない。

ナマエが俺の目の前で泣いている顔を見るよりは、知らない場所でどこかの誰かと馬鹿みたいに笑ってくれた方が百倍良いと感じるのだ。

Love, the itch, and a cough cannot be hid.
(愛とかゆみと咳だけは、どんなことをしたって、隠し通すことのできないものである。)


私は無力だ。
苦しんでいる千冬くんに励ます言葉もろくにかけることが出来ないし、マイキーさんにも場地さんに助けられてばっかり。帰路をとぼとぼと歩く。

「ナマエ」

優しい声に顔を上げると珍しく一人でマイキーさんが立っていた。

「こんにちは、マイキーさん」
「んー?」

マイキーさんは首を傾げると私の顔を覗き込んだ。その距離の近さに私は後ずさる。

「ナマエに元気づけてもらおうと思ってきたのに、ナマエが元気ないじゃん。何かあったの?」
「あ、はい、イロイロ」
「そっか。じゃあ一緒にこの前行った場所行こうよ」

そう言うとマイキーさんは慣れたように私にヘルメットを差し出した。自分はしないのに私には用意してるなんて変なの。私は苦笑してマイキーさんのバイクに跨った。

先日来た丘にくると、街並みが暗闇に抵抗するかのようにキラキラ輝き始めていた。
私が景色に気を取られいると、マイキーさんがおもむろに私を後ろから抱きしめた。私は突然のことに心臓が口から出そうになる。この人はいつも突然飛びついてきたり抱きついてきたり、私のことを抱き枕とでも勘違いしてるんじゃなかろうか。

「マ、マ、マ、マイキーさん?」
「あはは、めっちゃ動揺してんじゃん」
「そりゃ、そうですよ。近すぎますし離れてください」
「ヤダ」

いつもの駄々っ子モードだ。こうなったらもう彼は譲らない。私は諦めて心臓を落ち着けようと深呼吸をした。

「それで、ナマエはどうしたの?」
「私は自分の無力さに落ち込んでたんです」
「というと?」
「この間千冬くんが落ち込んでるのを見てなにも言えなかったし、場地さんが変わった人と歩いてたのも何か関係があると思うんですけど、何も聞けなかった」
「ん、待って、場地に会ったの?」
「え、あ、たまたま道で。何だったっけな……何かトラみたいな名前の人と一緒に居ました」

マイキーさんがピクリと肩を揺らした。

「何もされてないか?」

マイキーさんが心配するように私の顔を覗き込む。そういえば、その男の人マイキーさんと因縁がありそうな感じだったな。

「はい、ちょっと肩を掴まれただけで」
「どっち」
「右だったかな」

私がそう言うとマイキーさんは立ち上がって正面から私のシャツを捲った。私は慌ててマイキーさんの手を掴もうとしたが、彼が私の肩に触れた時に痛みが走った。よく見ると自身の肩にアザが出来ていた。確かにナントカトラさんに握り潰されるかと思うほど強い力で掴まれた気がする。

「クソ」

マイキーさんは苛立ったように呟くと私の肩に顔を埋めた。彼の鬼気迫る雰囲気に私は動けないでいると、ぬるりと暖かい感触が肩を這った。これは、もしかして、舌か。

「ま、マイキーさん何してるんですか!やめてください」

私の呼び掛けを無視してマイキーさんの舌が肩に這わされる。

「やめっ……ぁ」

チクリと肩から首にかけて何度か痛みがして。マイキーさんの顔が上げられた。正面から捉えるマイキーさんの表情はとても怒っているようにみえて瞳には熱が篭っていた。そのまま彼の顔は近づいて唇が乱暴に合わせられる。何度も何度も合わされる唇に、呼吸ができなくて息を吸おうと口を開くと、今度は彼の舌が乱暴に侵入してきた。私の舌を追いかけるように絡まってくる。口の端からはだらしなく涎が垂れてしまった。
私は苦しさにマイキーさんの服を思い切り引っ張った。合わさっていた唇は名残惜しそうに離れると、最後に唇の端を舐めとった。

「ごめん」

文句の一つでも言おうとマイキーさんを見上げたのに、彼の表情は苦しそうに歪められていて怒る事を忘れてしまった。先程の乱暴さとは打って変わって優しく割れ物を扱うかのように抱きとめられる。何故かは分からないけど、彼の身体が少し震えているように感じた。

「ナマエは居なくなるな」

付き合ってもない相手にこんな事をされて不快な筈なのに。彼のあまりに切ない声を聞いてしまったら、私は宥めるように彼の背中に手を回してしまった。

「いつだって、マイキーさんが私を見つけてくれるじゃないですか」

どうして彼の心は急に不安定になってしまったのだろうか。場地さんとナントカ虎さんが関係しているのだろうか。

「そうだな。俺が何度だってナマエを見つけるよ」

マイキーさんはそう言うと私の抱きしめる力にぐっと力を込めた。

不安そうな彼に、これ以上どんな言葉を掛けていいか分からない。ただ彼の気がすむまで、そばにいようと思った。

お願いだから、変わらないでほしい。無力な私はそう願って彼らを見守ることしかできなかった。

20210620
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