嗚呼、素晴らしき | ナノ
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四六時中一緒にいたように思われるゆなえにだって、俺と共有していない世界や時間は当然存在していた。
しかし俺は当たり前のそのことを見落とした。自分の視界だけの広さと自分の知識だけの深さで構成されていた、幼い俺の世界。それだけが全てだと思い込んだ。


気づいたときには、全てが終わった後だったのだ。
その時に感じた絶望と虚無感と罪悪感と、様々な感情が入り混じった複雑な想いは、忘れたくても忘れることはできない。

常に穏やかに微笑むゆなえが、初めて見せた感情を露にした表情。
それは、苦しそうに涙を流すものだった。

きょう、と音の無い言葉が紡がれる。
呆然とする俺に、震えながら泣くゆなえはゆっくりと口を動かした。

「それでも僕は京といたかった。」

無音のそれは確かな別れの言葉だと、驚愕で理解が追いつかない俺でも分かった。
今日は風邪だからと学校を休んだゆなえ。帰ったらその彼が自分の家の玄関前に待っていて、そして泣きながら別れを告げる。
経緯も理由も真意も、なにも分からない。ただ分かるのは異常性。

あまりに辛そうに泣くゆなえに、なんと声を掛ければいいのか分からなかった。何故彼が泣いているのかも分からない。

焦る俺を置いて、そのままゆなえは走っていってしまった。戸惑いながら俺は、その小さな背中を眺めることしか出来なかった。

それきり、俺とゆなえが会うことは無かった。
突然の引越しと転校。どこにいったのかすら教えてもらえなかった。


その理由を知ったのは、全てが終わった後だ。

俺の知らないところで彼がひどくいじめられていたことも。身体に傷さえつくっていたことも。それに耐え切れず転校したことも。

平和そうに見えた彼の家庭は崩壊寸前で、父親は外に他の家庭を持ち、母親はゆなえに暴力をふるっていたことも。

一番となりにいたはずの俺は、まったく気づいてやれなかった。
親友失格、いや親友だなんて俺だけが思い上がっていただけだ。俺は彼のなんの支えにもなれなかった。
世界で一番近かったはずの存在を、俺は何一つ分かっていなかったのだ。そしてあっさりと失ってしまった。

嗚呼、そしてなんと人間の恐ろしいことか。
楽しそうに笑う無邪気なクラスメイトと、影で行われる陰湿ないじめ。
朗らかに挨拶をする彼の母親と、その内に潜んでいた凶悪な心。
人間の多面性が怖くて、心の中で常に周囲を疑い、観察するようになった。


網膜の裏にこびりついた彼の涙は、今でも夢に出てくることがある。忘れることは許されないとでもいうように。
しかしそれでも、俺は生きているのだから仕方ない。

あの頃から他人を信じきれない俺だが、少しずつ自分の友人関係や世界を広げていた。地元の中学でもこの学園でも、ゆっくりと少しずつ。

その穏やかな日常に現れた陽は、俺への娯楽の提供者でもあり、相容れない輝かしい人であり、そして俺の憧れでもある。俺の心を穏やかにさせてはくれない存在だが、それも仕方が無いことだ。
ゆなえの涙に重なる理央の涙にだって、傷つけてしまった陽にだって、俺の知らない理由があるんだろう。




ああ、そうだ。
理央に感じた、泣きたいくらいの懐かしさと愛おしさ。


理央の穏やかさは、ゆなえに似ているんだ。



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