虹色の明日へ | ナノ


色の明日へ
1.はじまり


 ――恋愛体質というものは、別に悪いものではない、とゆずか自身は思っている。
 残念ながら自身の初恋はまだだが、テレビドラマやなんかで観る恋愛模様には憧れたりもするし、何より、対象が人間であれ物であれ、ひとつの事柄に一心不乱になれる人間というのは素晴らしいと思う。
 そう、ただし。“人様に迷惑をかけなければ”だが。

 その点でいえば、我が両親は人の道を逸脱していると言えるだろう。互いに一生を添い遂げることを神と紙に誓って、自分という子供まで産んだくせに。
 “もう愛がなくなったから”なんて下らない理由を盾にして、それぞれ別の恋愛相手を見つけてきやがったのだ、彼らは。
 しかもそれをお互いに隠そうともしないものだから(変なところで似た者同士なのだ)、幸せだった家族生活はすぐに破綻した。築くまでは大変だっただろうに、壊れるのは一瞬なのだな、とその時のゆずかは、家庭が壊れゆく様を実に馬鹿馬鹿しい、と眺めていたものだった。

 家庭が崩壊してしばらくして、彼らはあまり家に戻らなくなった。恐らく、相手と暮らしているのだろうということは、ゆずかにも簡単に予想が出来た。
 そして、たまに家に帰ってくれば、彼らはゆずかにある選択を迫るようになった。よくある話である。“お父さんとお母さん、どっちについてくる?”というやつだ。
 我が家は共働きの家庭であり、また二人ともそれなりに稼いでいたものだから、例え彼らの新たな相手が、無職ニートのボンクラだろうと、どちらについていったにしてもゆずかの“生活”に恐らく不自由はない。好きな物を食べて、好きな物を着て、好きな物で遊んで。今と変わらぬ生活水準を保てただろう。
 しかし、ゆずかがどちらかを選ぶことはなかった。選択を迫られるたび、いつまでも誤魔化した。口が裂けても、どちらかなど選びたくなかった。
 ……結局、ゆずかはまだ子供だったのだ。もう既に家族なんていえない、破綻している関係なのだと頭では理解していても。
 ゆずかの幼い精神は、彼らをまだ愛していたのだ。

 やがて、答えないゆずかに痺れを切らした彼らは、強行手段に出た。
 夏の暑い日だった。その日、ゆずかが学校から家に帰ると、父の部屋の机の上と、母の部屋の鏡台の上に、ひとつずつ書き置きが残されていた。
 なんだ、と考える余地もなかった。まだ見てもいないのに、そのメモに何が記されているのか、ゆずかはすぐに理解した。
 ――ああ、自分は棄てられたのだ、と。
 茫然とした頭の片隅でそんなことを悟っていた。

 書き置きのメモには、要約するとこんなことが書いてあった。
 “自分は、幸せになるために此処を出ていく。ゆずかへの養育費は、ゆずかの口座に毎月振り込むから、どうか捜さないでほしい。自分のかわりに、ゆずかを育ててやってくれ”
 驚いたことに、どちらもほぼ同じ文面だった。そして、同じ日に“家出”を決行した。彼らのどちらかが、家に戻ることを信じて。どちらかが、この幼い子供をなし崩し的に引き取って、育ててくれることを信じて。
 どこまで似た者同士なら気が済むのか。冷静さを取り戻したゆずかは、もう呆れるしかなかった。

 とはいえ、恐らく彼らは、離婚はしないだろう、とゆずかは思っていた。彼らの話し合い――という名の言い争いの中で“体裁が悪いから離婚は出来ない”と互いに意見が一致していたからだ。
 ……離婚をしないのならば、いずれこの家に帰ってくるかもしれない。
 その幽かな望みに賭けたゆずかは、この家で独り、暮らしていくことを決めた。

 幸いなことに、我が家は持ち家である。ゆずかが産まれて数年後に、ローンも完済したと母から聞いたことがあった。あとは、日々の生活を営むに必要な現金のあてがあればいい。
 ゆずかが家を家捜しすると、メモにあった通り、ゆずか名義の通帳を発見した。今のいままでこの通帳の存在をゆずかは知らなかったが、どうやら元はゆずかの学費を貯めていた通帳らしく、今でもかなりの預金があった。
 そして翌月、宣言通り二人から振り込まれた養育費の額を確認して、ゆずかは腰を抜かす思いをすることになる。そこには、子供一人が悠々と暮らして大いに有り余るほどの金額が記載されていたのだから。

 そうして、ゆずかの一人暮らしが始まった。普段から、忙しい両親のかわりに家事はほとんどやっていたし、ほんのわずか、寂しさを感じる心から目を逸らせば、特に問題はなかった。
 朝起きて学校に行き、帰ってから家事を済ませる。そんな生活を続けていたある日、ゆずかのもとへひとりの訪問者が現れた。
 それは隣の家に住むおばさんだった。口が軽くてお節介焼きだから、ゆずかはあまり好きではなかった。此処はそれなりに田舎で、家と家の間隔もかなり離れているのに、ちょくちょく人の家の周りを窺うようにしている彼女が、あまり――いや、正直にいうと嫌いだった。
 彼女は、わざとらしい笑みを浮かべると、玄関から家の中を覗き込むようにして、ゆずかに問いかけたのだ。
「お父さんとお母さんは、今日もいらっしゃらないの?」と。
 ざぁっ、とゆずかの全身から血の気が引いた。震えそうになる声に力をいれて、何故そんなことを、と訊き返せば、車が止まっていないからだ、と答えられた。
 ――そうだった。ゆずかの家には、両親が使っていた車が二台あったのだ。それが一月半も止まっていなければ、そりゃ周りの住民は不審に思うだろう。
「両親は出張で……まだかえってきてないんです」
 と、答えるのがゆずかにとって精一杯だった。そうすると彼女は笑みを深くして。
「まあ!それじゃあ1ヶ月以上もゆずかちゃんをほったらかしにしてるの?こんな小さな子を?まるで虐待じゃない!」
 楽しそうに、それはそれは楽しそうに。彼女は捲し立てた。そう、確かにこれは彼女の言う通り虐待なのだろう。しかし、それを認めるわけにはいかなかった。
「そんなことありません。お留守番はなれてますから。お父さんもお母さんも、おしごとが終わればちゃんとかえってきます!」
 むっ、と最大限剣呑な表情と声を作って言えば、彼女は慌てたように“そんなつもりじゃない”と言い出した。じゃあどんなつもりだ、と感情的になった“ふり”をして、彼女を玄関先からどうにか追い出すのには成功したものの。
 しかし、このままでは近いうちに、ゆずかと両親が一緒に暮らしていないことがバレてしまうのは明白だった。
 そうすればゆずかは児童相談所に送られるだろう。姿を消した両親も見つかるかもしれないが、未だ違う相手との恋愛を楽しんでいる両親が見つかったところで、それでは意味がなかった。
 ゆずかの願いはあくまで“元の3人での暮らしに戻ること”なのだから。

 大人が必要だ、と。ゆずかは思った。せめて親戚を偽れるような、そして出来れば男性がいい。女性より男性のほうが、周りに与える信頼度も違うからだ。
「だれでもいいから……男のひと、降ってこないかなぁ」
 ひとりぼっちの玄関先に蹲り、ゆずかはポツリと呟いた。
 とこしえに遠い、遥かな世の夜空で。幾つもの流星が瞬いていたことを、彼女は知らずに。


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