めざめ


島を出航してから数日。

ここ最近は大きな嵐にもみまわれず、穏やかな航海だった。

ただ難をあげるなら、船の空気が少し暗いといったところだろうか。

最近は穏やかだが、その分欲求やらも溜まる。

暇すぎて全体的にだらんとした空気が漂うのも、無理は無いのかもしれない。


「限界、かねい…」


そろそろ何か起こってくれなきゃ、クルーがへばっちまう。

例えば海賊でも海軍でも来てくれりゃなあ。

かく言う俺も、やることが無く自室で本を読みあさっている始末。

机の上には本の山。

今手に持っている本は…もう何冊目かも分からない。

――ふと、違和感を覚えた。


「…ん?」


次のページへ進むために本の端へ伸ばした手が止まる。

なんだ、今の。

いきなり現れた気配。

どこからか近づいてきたのではなく、突然ぽんと。

そこに湧いて出てきたような。

…場所は甲板か。

気になった俺は甲板へ向かうために本に栞を挟んで自室を出る。

廊下を甲板に向かって歩いていると、前方に見覚えのある背中を見つけた。


「イゾウ」

「ん?ああ、お前さんか」

「お前も感じたのかよい」

「まあな」


どうやらイゾウも違和感を覚えたらしい。

あまり多くを話さず甲板に向かうと、そこへ通じる開いたままの扉の向こうで固まる後ろ姿があった。


「どうした?エース」


イゾウが声をかけても反応なし。

ずっと、船首を見て固まっている。

一体何があるのか。

言葉はもう意味を成さないと判断した俺は、エースの視線の先を追って見る。

そこにいたのは、女。

長い黒髪と空の色に似たワンピースを風に靡かせた彼女は、手すりに腰掛けて海を見つめている。

頭にある麦わら帽子は、エースの弟を連想させた。

何故女が、彼女がここにいる?

しかも、何故誰も気づかなかった。

俺さえも、気を緩めていたら気づかないくらいの気配。

驚きと困惑が混じり、少し動けなかった俺たち。

先に動いたのはイゾウだった。

それに続いて行こうとするエースに、親父やみんなを集めてくれと頼む。

エースが頷いて船内に戻るのを見届けてから、俺も彼女に近づいた。

近づく足音に気づいたのか、彼女がこちらに振り向く。

彼女の頬にきらりと光った一筋の水滴が、床にひとつの染みを作った。


「…、…」


息を飲んだのは誰だろう。

もしかしたら俺かもしれない。

俺たちを見つめる、夜の闇を取り込んだような色の瞳。

その顔は無表情で、何を考えているか分からない。

半袖のワンピースから伸びる、細い腕や足。

少し焼けてはいるが、それでも浮かび上がるような白い肌。

人魚姫を連想させるなと、その時思った。


「お前さん、」


イゾウが彼女に話しかける。

目を細めて、彼女の目からそれを逸らすことなく。


「お前さんは、誰だい?」


彼女はイゾウをしっかりと見た後、太陽の光を浴びてきらきらと光る海を見て一言。


「分かりません」


ぽつりと言葉を零した。

先ほどの水滴のように。

その声も、色がない。


「分からない…?」


イゾウの眉間に少し皺が寄る。

その声に彼女は今度こそしっかりと、そのくりっとした黒い目でイゾウと俺を見て、言った。


「私は」


無表情だった顔に、分かりにくい穏やかな笑みを浮かべて。


「私は、誰なのでしょうか?」


それは小さく、切なく鼓膜をふるわせた。

[ 3/12 ]
[*prevnext#]
[mokuji]

top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -