end(old)
今朝の食事は部下に行ってもらうことにした。手渡した膳を少しおかしな顔をしつつも何も言わずに運んであった部下を見送るとその足で呼ばれている大将の部屋へと向かった。臆病だ、と自分でも思う。しかしどうしてもナマエと顔を会わせることが出来なかった。どんな顔をしていいか分からなかったのだ。
ふと以前もこんなことがあったなと思い返す。あの時はそう、ナマエが故郷の話をしていた。懐かしそうに寂しそうに話すナマエにどうにもむしゃくしゃして牢を飛び出したのだ。そのときのことを思い出して思わず顔をしかめる。

確かにあの時もナマエにどういう顔をして会えばいいか分からなかったが実際、ナマエは特に気にした様子はなかった。しかも今はあの時とは状況が違う。様子を伺うべき相手はおらず、もて余している一種の気まずさは誰でもなく自分自身の問題なのだ。

「(ああ、くそ!)」

恋、だって?
想い人でもいるのか?と言った時の風来坊の楽しげな声がぐるぐると頭を巡る。

『恋をするとな、胸がぎゅっとしてその人に触れたくて、たまらなくなるんだ』
「(触れたい?)」

ナマエに?
牢の、いつでもすぐ手の届くところにいるナマエ。すべらかな荒れていない指先。そうだ、いつでも。いつでも触れることができる。
しかし手が届かないと嘆いていたのは誰だっただろうか。そうだ、あれではまるで―――。

ゆっくりと目蓋を閉じ深く呼吸をする。止めよう。それ以上は考えてはいけない。行きつくべきではない答えだ。
閉じたときと同様にゆっくりと目を開けば幾分か落ち着きを取り戻すことができたようだ。ふと気がつくと目の前には目的の大将の部屋の襖があった。どうやら考え事をしているうちに着いてしまったようだ。

「大将俺です。入りますよ」

努めて明るい声音で一声かけると、すっと襖を開け放つ。部屋の上座に座する大将の険しい表情に俺様も気を引き締めた。

「お呼びですかい大将」
「佐助か……」

こちらを見据える大将の眼はどこまでも厳しくどうやら仕事の話のようだと察してすっと居住まいを正す。

「どうやら動きの怪しい者がおるようでな。以前も此方をこそこそ嗅ぎ回っておったが国境のことゆえ捨て置いておったが……」

国境。
今は上杉、織田、伊達共に均衡状態にある。先の上杉との戦で国力の低下している今ただでさえ不安定な国境付近で公に動いてしまえば織田や伊達にいい戦の口実を与えることになってしまうだろう。現在の状勢で戦えば国が荒廃するのは必至。

「(つまりは事を荒立てずに始末しろってことね)」
「了解!じゃあさっさと片付けてきますねー」

いつも通りにへらりと笑って踵を返せば大将がこちらを悲しそうな目で見上げる。

「……すまんな」

いつもは「仕事ですからね」と笑って返すそれに俺様は答えることが出来なかった。




(心の中でナマエの微笑みが翳った)

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