end(old)
相変わらずひんやりと、どこか薄暗い牢の中に穏やかな笑いを含んだ声が木霊する。この場所には似つかわしくない異質なそれは俺様の耳に心地よく響く。

「もう俺様職変えたいよ。そしたら旦那がさぁ……」

俺様の話を聞くナマエは、いつもは堅く引き結ばれた唇を僅かにつり上げて穏やかに微笑う。それが何となく楽しくて、つい話し込んでしまう。(武田の不利になるような重要な情報はもちろん話さないが)

「それは……大変だな……」
「でしょ!なのに大将ったらさ……」

いつもはずっと寝たり、ぼーっとしたりしているナマエも俺様が話している間は熱心に話を聞いている。絶妙のタイミングで返ってくる相槌はこの武田軍にはなかなかないものだ。

「っと、ちょっとばかし話しすぎたかな。」

空になった食事の膳を持って立ち上がれば「そうか……」とナマエが顔を上げる。

「話、楽しかった……ありがとう」

墨色の瞳をまっすぐ俺様に向けて言うナマエに別にいいよ、という意味を込めて軽く片手を振る。

「んじゃーね。大人しくしてなよ」

くるりときびすを返して出口に向かうと牢の中でナマエがゆっくりと息をつく気配がした。おそらくまた眠るのだろう。
時間はまるで微睡みのようにおだやかにゆっくりと過ぎていく。ナマエへの食事もすっかり日常に姿を変えていた。

「……ん」

牢から出ると目映い陽射しが空から降ってくる。目に沁みるくらいの強い光は地下のひんやりとした空気に冷えた体を暖かく包み込む。その心地よさにふっとナマエの顔が浮かぶがすぐに頭を振った。

「(違う)」

ナマエは太陽というよりは月の光のようだ。網膜を灼くような強すぎる光じゃなくて、肌を撫でるようなゆるやかな光。すぐ傍に寄り添うように在るのに儚くて、手が届かなくて

「(手が届かなくて、)」

苦し、い?

「さすけー!」

深い思考の底に沈んでいた意識を引きずりあげるような大声に思わず肩がびくりとはねる。

「(まずい……っ!)」

急いで持っていた膳を隠して足音の近づいてくる方を振り向くと間一髪で旦那と何故か前田の風来坊がやってきたところだった。

「おお!佐助!やっと見つけたでござる!!」

ぱあっと表情を明るくする旦那に心中でため息をこぼして、できるだけいつも通りの笑顔を向ける。

「どうしたのさ旦那。風来坊まで連れてぞろぞろと」
「慶次殿に某の蕎麦を食われてしまったのだ。また作ってくれ!」
「はあ?また旦那蕎麦とられたの!?」

風来坊をじろりと見やれば「ごちそーさま」と愛想のいい笑顔が返ってくる。文句の一つでも言ってやろうかと思ったが食われてしまったものは仕方がない。

「はぁ……全く……。どうせ風来坊ももっと食べるんでしょ?作ってあげるから来なよ」

膳の回収は後にして蕎麦を作るために踵を返せば二人がきょとんとした顔をする。

「今日の佐助は優しいでござるな……」
「うん……いつもは小言やいやみの一つや二つや三つは言ってくるのになぁ……」
「何?言って欲しかったわけ?」
「いやっ、そういう訳じゃないけど……」

訳の分からないことをいう風来坊を訝しんでいると何やら難しい顔をして唸っていた旦那がぱっと顔を上げた。

「やっぱり佐助は最近変わったでござる!!」
「はぁ?」

変わった?

「以前は何やら一線引いたような感じがしていたが今はもっと気安くなったでござるな。それに笑顔が増えたというか……何やら楽しそうでござる!」

不意に心臓がぎくりと跳ねる。
いつもの俺様だったらここでおどけるか受け流すかして同じ調子で話していただろう。しかし何か言わなければと開いた口から言葉が出ることはなかった。体がしびれて動かない。旦那にしては鋭い、とか聡いとか考えることができないくらい全ての感覚が失われてしまったにも関わらず背中を厭に冷たい汗が伝い落ちていくことだけは不快なほどよく分かった。

「へぇ、でも確かに柔らかくなったよね。前は常に殺気をぶつけてきたのに」

からからと笑う風来坊にひゅっと息をのむ。何故かさっきからナマエの顔が異様にちらつく。
俺様が変わった?何時?どんな風に?

「そういえば料理の味付けも変わったでござる!なんとなく味が濃くなったような……」

またナマエの顔が浮かんだ。自身の鼓動が酷く耳につく。まるで心臓が鼓膜のすぐ横で鳴っているようだ。

「いいねぇいいねぇ、料理の味付けが変わるのは恋してる証拠ってね。誰か想い人でもいるのかい?」

こ、い?

「誰が」



(誰に?)

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