end(old)
しまった。今日は雨が降るとは思っていたが、こんなに早く降り出すとは思わなかった。ざあざあと耳障りな音をたてて冷たい滴が地面に吸い込まれていく。俺様は髪に伝う滴を振り払って地下牢に駆け込んだ。ふぅ、とひとつため息をついてここ最近通い詰めのいつもの牢を見れば昼間はだいたい寝ているはずのナマエがじっとこちらを見つめていた。普段ぼんやりと伏し目がちの墨色の瞳が真っ直ぐに俺様を捉える。

「雨の匂い……」
「え?」

いつになく真剣な目に何かと思えばすんすんと鼻を鳴らしながらこちらに近づいてくる。

「濡れた……土の匂いだ」

嬉しそうに笑うナマエに一瞬どきりとした。初めて見るナマエの笑顔はまっさらで、無邪気なところが少し己の主と似ている。

「つ……ちの匂いが何?雨が降ったら地面が濡れるのは当たり前でしょ?」

微かに震える声を誤魔化して話せばナマエは笑顔を少し曇らせた。

「俺の国には……土の地面なんてほとんどなかった……から」
「はあ?じゃあ一体何の上を歩いてたのさ?」
「アスファ……石?かな?」
「石だったらほとんど普通の地面と一緒じゃん」
「違う……なんか……石畳っていうか……。薄い石の……層?みたいなので地面を覆ってしまってるんだ」

なんだそれ?

「そんなことしたら作物が育たないじゃん。馬の蹄も痛むし。不便でしょ。」

俺様が雨の滴をはらいながら言うとナマエはより一層笑顔を曇らせた。
俺様の胸がちくりと痛む。どうして?

「そう……だな。便利なようでいて、実は……すごく不便だったのかもしれない」

ナマエは少し悲しそうな顔をする。きらきらと輝いていた瞳が再び伏せらてしまった。

「海は濁っていたし、森は減っていた。空気は汚されて、見上げた空には必ず電線があって、コンクリートで固められた地面はひたすら冷たかった」

自分の国のことを語るナマエの瞳はどこまでも静かで、それがどんな感情を宿しているのか分からなくて俺様はただ困惑するしかない。

「……それでも」

顔を伏せたままナマエはそっと目を閉じる。時間が、ほんの一瞬だけ悠久の煌めきをもって止まった気がした。

「俺は、確かにあの場所が好きだったんだ」

顔を上げたナマエの表情を見るとこができなくて俺様は俯く。何だか酷くむしゃくしゃして何も言わずに乱暴にきびすを返して牢を出た。乱暴に開け放った戸がぎしりと悲鳴を上げる。

牢の中にいたときの埃っぽい空気を追い出して雨上がりの澄んだ空気が肺を満たす。見上げた空には忌々しいほどに綺麗な虹が架かっていた。



(無自覚な痛みの正体は、)(こんな感情は初めて)

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