短編
!主人公=夢主





その人は高く、遠く、まぶしい――。この胸が、いつまでも焼け付くほどに。

青山ミッショネルズ。23区最大級のギルドに身を置くザバーニーヤは、他の者達と一緒にいつものようにアルスラーンを探していた。いつもと違うことがあるとすれば、そう。今日はサモナーズのリーダーであり、この学園に多くの友人を持つ、己の主が一緒にいるということだろうか。

「相変わらず見つからないね、アルスラーンさん」

空を見上げて、少し飽きたような声音で呟いたナマエ。いつものこととはいえ、ギルド内の不始末なので、申し訳ない気持ちで「我々が至らないのです」と返すと、優しい主は「みんなのせいじゃないって」と頭を振った。

「あれはもうアルスラーンさんの性分でしょ。放浪癖っていうか。不思議だよね。ちょっとした逃避行なのかな」

ナマエに連れられてやってきたのは、入り組んだ学園の更に奥まった場所にある、地下牢のような場所だった。

「前にアルスラーンさんを捜した時に見つけたんだ。その時はここにいたんだけど、今日はハズレだったみたい」

そう零してナマエは、暗い室内の明かりを手慣れた様子でつけていく。光に照らし出されたのはベッドと小さなサイドテーブルだけの置かれた、レンガ造りの簡素な空間だった。ところどころヒビや欠けのある壁を見るに、随分と年季の入った様子だが、きちんと管理がされているのかそこまで寂れた印象はない。古いが最低限の手入れがされたベッドにどかりと腰を下ろすナマエは、とても慣れた様子だった。

「よく、ここにはいらっしゃるのですか」
「よくってわけじゃないけど、時々ね。アルスラーンさんに会うときとか、アザゼルさんと会った後、一人になりたいときとかに」

たまにアルスラーンさんと鉢合わせするんだけどね、といって笑うナマエ。屈託のない、いつもであればホッとするような笑顔であるはずなのに、胸に感じたのは焼け付くような苦い感覚だった。
我が主は、アルスラーン様と親しい。
ザバーニーヤはアルスラーンを尊敬している。全く正しい人だと。高みにあり、人を慈しみ、そして育むことにも長けた賢人であると。だから己が主とアルスラーンが極親しく、惹かれ合っているかのように見えるのも、納得のいくことなのだ。
ザバーニーヤは固く目を閉じる。罪の予感がした。この感情は……そう。焦燥、諦念、羨望。ともすれば嫉妬のようでもあった。我が主とアルスラーン様は似ている。どちらもザバーニーヤにとっては、尊敬に値する。己の至らない点のことごとくを持っている人物だ。そこに、この身が並び立つなどと。おこがましい。

我が身は一本の槍。主のための道具。
いつものように、感情を殺そうとしたその思考は隣で自分を見つめる人の瞳を見て、はたと止まる。不意に思い出したのは、主と出会ってからのことだ。自分の感情をもっと表に出せるように。そう変わろうと誓ったのではなかったか、と一瞬よぎった誓いはザバーニーヤの表情を変えるには十分な要素だった。

「どうしたの、ザバーニーヤ」

鏡のようなナマエの瞳がこちらを見据える。その眼差しはザバーニーヤの心を大いに揺さぶった。普段だったら口にしないであろう。脳を通さずにこぼれ出た想いが、定まらないままとっさに口からまろび出る。

「我が主は、アルスラーン様のことをどうお思いですか」

それは、この思考の核心ではなかった。ただ口をついて出ただけの曖昧な問いだ。そうさせた感情が何なのかは、ザバーニーヤ本人にすら分かっていない。
意図を考えあぐねた様子のナマエは、それでも素直にそれに答えた。

「えー奔放でフランクで困ったところもあるけど、頼りになるおじいちゃんかな。すごい部分がたくさんある人、だよね」

少し左に顔を傾けて、記憶を辿るような仕草をしてナマエが答える。やはり我が主からみても、アルスラーン様は尊敬に値する人物なのだ。当然である。では、自分は何が聞きたかったというのか。
こちらの意図を推し量るように、ふたつの瞳がこの身を映す。主まで困らせて、自分は一体何がしたかったのか。かの人の中でのアルスラーン様の評価を聞きたかった?ふたりの関係が知りたかった?知って、どうするというのだ。おふたりは貴き方。完全ではないのに不完全を裁く、罪深きこの身とは、違うのだ。それでも、私は。

「どうしたの、泣きそうだ」

ナマエの手がこちらに伸びる。そのままザバーニーヤの手を優しく引いて、隣に座ることをうながした。指先に温かな体温がじわりと伝わってくる。それが今、この方が自分の隣にいるのだということを示していて、ひどく胸を打った。
我が主は、お優しい。その優しさがとても畏れ多く、浅ましく罪深いこの自分が不釣り合いであることが自分の中で鮮明になる。

「ザバーニーヤが何を考えてるか、自分は聞かせて欲しいと思う。無理にとは言わないけど……ザバーニーヤのことがもっと知りたいから」

なだめるような、諭すような。大人が幼な子に聞くような柔らかな問いかけだった。


自分でも自分の考えをまとめられていないような戸惑うザバーニーヤを見つめて、ナマエはひとり考える。

人を変えようとすることは傲慢だ。ザバーニーヤが、己は道具であることこそが正しいと思うのなら、それがザバーニーヤの信仰なのだろう。しかし自分の世界は違う。この東京由来なのか、記憶にない故郷から出でたものかはわからないが、自分の価値観ではザバーニーヤを道具として扱うなんて、とても出来ない。だってザバーニーヤは自分にとって大切にしたい人なのだから。
その価値観を否定したいわけではなく、そんなに卑下せずもっと彼自身に優しくなって欲しかった。だって、ザバーニーヤはとても誠実で素敵な人なのだから。

尊重と願望の狭間で揺れる感情を宿しながら見つめたザバーニーヤ本人は、眉根を寄せて押し黙っている。どうせまた自分には理解しがたい罪深さを感じているのだろう。それがどこか寂しくて、もどかしかった。
生きる世界や考え方、どうにも擦り合わない隔絶を感じるからだ。けれども彼は、懸命に歩み寄ろうとしてくれていた。自分の今までの在り方を変えようという姿勢を示して。それならば、それは違うと思っていても自分も彼にそれ相応の歩み寄りをみせたかった。だってナマエは彼のことを心から好ましく思っているのだから。

「また『自分は道具だから』とか『罪深いから』とか考えてるでしょ」

図星だったのか、その言葉にザバーニーヤの肩が微かに跳ねる。何事にも微動だにしないザバーニーヤにしては珍しい揺らぎだった。
彼の主人はしょうがないなぁ、というような。できの悪い子を甘やかすような声音で囁いた。

「もし、ザバーニーヤが本当に望むなら。あなたを道具として扱って、罰を与えることもできるよ。だって自分はあなたのことが大切で、あなたの望みを叶えてあげたいから」

それはザバーニーヤにとって何にも代え難い、最上級の睦言だった。そして同時に受け入れ難い不遜だ。我が主を、主自身の意思に反して己の望む姿に合わせさせるなど。あってはならないことだった。あまりの罪深さにめまいがする。

「それは違います。それは……それでは逆です。私こそが貴方に奉仕して、貴方の役に立ち、貴方の…… ナマエ様の隣で共に歩むことを許されたいのです」

ザバーニーヤは必死だった。胸中で小さく育っていた本質的な望みが、形を得て言葉として生まれ出る。

「だからこそ、私はナマエ様にとって一番有用な道具でありたい。しかし、こんな想いを抱くことすらおこがましいと、理解して、いるのです。故に罰されるべきだと思ってしまう」

ザバーニーヤの懺悔に対して、ナマエは肯定も否定もしなかった。そこにあるザバーニーヤの想いを拾って、ただ受け入れた。

「……うーん。じゃあ、これは罰だよザバーニーヤ」

罰という言葉を用いて、彼の主は柔らかに微笑む。

「あなたから自分にキスをして」

それはあまりにもその場に似つかわしくない乞いだった。しかし、乞われたその内容はザバーニーヤの怯懦を突くには十分な威力をはらんでいて、ザバーニーヤは泣きそうな気持ちになった。想像するだけであまりにも罪深く、そして苦しいほどに甘美だった。
以前にも口付けを交わしたことがなかったわけではない。しかしその時は必要に迫られてのことだった。しかし今は主によって与えられた、罰という言い訳により許されたことだった。それはザバーニーヤのために用意された逃げ場であり、許しだ。

「それは……それでは、罰になりません」

ザバーニーヤは正直に応えた。それはザバーニーヤにとっては望むべくもないことで。
だからこそ、こんなにも主に寄りかかりたくなくて。

「……そっか、じゃあ言い方を変えよう」

ナマエが少し眉を下げる。困ったような、甘えさせるような、受け入れるような、そんな表情だった。
ああ、またこの御方に受容されている。
許されている。合わせていただいている。導かれている。これでは、足りないのだ。この方の横に並び立つを望むのであれば、教え導かれるだけでは足りない。
色々な想いがザバーニーヤの胸中を駆け巡った。しかし浮かぶのは一つのことばかりで。

「……お許しを、いただけますか」

己の主が次の言葉を紡ぐ前に言葉を重ねた。ナマエの瞳が少し驚いたような色で瞬く。
どうしても自分から伝えたかった。この、熱く湧き上がる想いを。浅ましくも求めずにはいられない思慕を。例え拒まれたとしても。私は。

「貴方様の、唇に触れたく……そのお許しを」

意を決して乞えば、その人はフ、と短く息を吹き出して笑った。

「もちろん、こっちから言いだしたことなのに」

そんな緊張しなくても、とおかしそうに笑う顔に見つめられてどっと安堵に包まれる。改めてこちらに向き直った主の肩に手を添えた。しんと静まり返った室内に、ベッドの軋むぎこちない音だけが響く。
どうか、とザバーニーヤは祈った。どうかこの想いが、熱が、情念の全てが、貴方へと伝わりますように。私の抱くこの欲望が、貴方の中にもありますようにーー。

顔を近づける。ザバーニーヤの唇に主の、求めてやまないその人の熱が触れた。途端に胸に焼け付くような熱があふれ出す。それを目の前の人にも灯したくて、グッと体を押し付けた。肩に添えていた腕を背中に回して、強く抱きしめる。唇を割ってあたたかく湿った舌を絡ませた。
溶けてしまいたかった。この御方の熱とひとつになって、別たれ難いものになりたかった。触れる部分すべてが熱い。際限なく欲望があふれ出てくる。もしかしたら、すでにこの身は地獄の業火に焼かれているのかもしれないと思った。

「ふ、ん……は、」

どちらとも言えない吐息が熱くふたりの口から漏れ出る。名残惜しげに唇同士が離れた。けれどザバーニーヤの腕がナマエの背中から離れることはなく、ただふたりは視線を絡ませながら抱き合っている。

「我が、炎の天使よ」

ザバーニーヤは言葉にしきれない感情の全てを込めてナマエを強く抱きしめた。自分の中にある、法では縛りようのない感情が相手に伝わるよう願いを込めて。
己が身の全てが、この”続き”を求めていた。その欲深さを省みて微かに迷いが生じる。

「……次はどうする、ザバーニーヤ」

しかして、主は軽やかな問いかけでそれを許した。お互いの瞳が期待に揺れる。道はひらかれている。この先を縛るものはない。


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