短編
!海軍主
!故人





「おつるちゃん」

彼がそう、自分を呼ぶ声を今も覚えている。

懐かしい新兵時代の夢を見た朝は何だか億劫だ。執務室で部下の始末書に目を通していたつるはひとつ息を吐いて作業を中断した。思い出すのはひとりの海兵のことだ。ガープやセンゴクと同じく自分と同期だった男――ナマエ。

彼はどこにでもいるような平凡な男だ。兵士には向いていない、グランドラインの片田舎で教師でもしているのが似合うような愚直で穏やかな人間だった。そして自惚れではなく、つるに本気で惚れていた。花を摘んで贈ってきたり、用もないのに他愛のない話をしに来たり、拙い子供のようなアプローチの数々を今も覚えている。そのことをセンゴクに相談して彼を困らせたり、ガープにからかわれていたりしていた訓練兵時代は、今でもつるの中で温かな思い出として輝いている。

何度もあしらっているのに諦めの悪い…良く言えば一途な奴だった。そのうえお人好しで、ガープの執務処理を肩代わりしたり同期のミスを庇ったりが日常茶飯事で、センゴクによく叱られていた。そうしてヘラヘラ笑って誤魔化そうとして失敗する。そんなことを佐官になっても繰り返していた。
つる自身も何度センゴクと一緒になってナマエとガープを叱ったことか覚えていない。その度に「ごめん、おつるちゃん」と情けなく眉を下げたナマエの顔が、つるは案外嫌いではなかった。
そういえば、よくつるの後ろを「おつるちゃんおつるちゃん」言いながら着いて回っていたから、雛鳥のようだと言われていたこともあった。何にせよ、とりとめもない馬鹿な思い出ばかりが蘇ってくる。

彼には何度も好きだと言われた。その度に「馬鹿なことをお言いじゃないよ」とあしらってきた。今でもつるはナマエに返事を返していない。返したとしても、それを聞く相手はもういなかった。ナマエは、もういないのだ。


もしかしたら彼は誰より賢かったのかもしれない。
毎日のようにつるに拙い愛を告げ、ガープとじゃれ合い、センゴクと語り合い、正義のために任務に明け暮れて、そうして唐突に命を落とした。劇的でも何でもない。海賊との交戦中に流れ弾に当たったのだ。即死だった。整然と片付けられた彼の自宅にはナマエにしては物が少なく、彼がいつでも"そのとき"に備えて覚悟していたことが分かった。それがなかったのは、つるの方だった。


今でも彼はお人好しで愚直な若造のままだ。つるの中でも、馬鹿で優しい…うつくしい男のまま。時の止まったそれを、今更掘り返そうとは思わない。すべては終わったことだった。彼の死は、つるの中で完結している。忘れ難い思い出として。そしてだからこそ、これから何があったとしても心底から海賊を許すことはできないだろう。つるはあの男のことが、心から好きだったのだから。
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