短編
その男は定期的に町へ降りては町中を部下を連れて巡回して回る。さながらそれは英雄の凱旋のようだった。颯爽とした足取りにはためく正義の文字を背負ったコートは汚れひとつ存在せず、その清廉さは羽織った男の雰囲気に良く似合っている。きりりと輝く瞳に潔白さを宿した男は民衆の海軍に対する理想的なイメージが、そのまま想像の中から抜け出てきたかのような姿で大通りを悠々と歩いてゆく。

法に厳格であり、強く、正しく、何者にも屈することのない正義の執行人。民衆を守り慈しむ、誇り高い優しさを抱いた立派な海兵。背後に幾人もの部下を引き連れ、真白のコートを翻し颯爽と歩くその男は、正に皆が思い描く理想の海兵そのものだった。その、見た目一点においてはーー。


ナマエが初めて海兵を見たのは子供の頃、隣村が海賊に襲われたおりのことだった。すぐに近くの基地にいた海軍が総出で出撃し、見事無法者達を捕らえたという話を聞き、急いでその凱旋を見に友人達と駆け出した。ナマエはそのときのことを今でも良く覚えている。ナマエはサウスブルーの片田舎の出身であったが、近くに海軍基地があり、その日は運良く中将が滞在していた。後ろに海賊達を拘束した部下を引き連れて、先頭を颯爽と歩くその人にナマエは釘付けになった。その人が羽織っているコートの、なんと格好いいこと!

ナマエは夢中になってはためく正義の文字を見つめた。自分もあんな風に格好良くあのコートを着てみたい。いや、むしろもっともっと、自分の方がきっと似合うようになって見せる!
そう決意してからのナマエは夢中になって海軍への道を目指した。母が似せて作ってくれた小さな海軍コートでは物足りなかった。ナマエは本物が着たいのだ。本物を着て、あの海兵よりも格好良く、誰よりもあの正義の文字に相応しい男になりたいのだ。

子供の頃からの目標は一度も歪むことはなく、海兵への道を突っ走ったナマエはその努力と運の良さもあって今では望み通り、そのコートに袖を通せる立場にある。しかし、問題はナマエの全ては"格好良くコートを着こなすこと"のみに完結しており、それ以外のことはてんて出来ない見てくれだけの、それこそハリボテのような男になってしまったということなのである。残念ながらナマエにとってはルーキーがひとり増えることよりもコートにインク染みがついてしまうことの方が余程由々しき事態だというのだから笑ってしまう。しかしナマエも准将という役柄を任されている人間であるので、必ず仕事というのは回ってくるもので。



世界の中心であるマリンフォードは今日も絶対的正義の名の下に平和な時間を謳歌している。廊下のモップかけを任されたコビーは大きなバケツ片手に清掃に勤しんでいた。建物の掃除は海兵の大切な職務である。何事にも一生懸命取り組む質であるコビーは聞こえてきた足音に、一心に汚れを洗い落としていた手を止めた。そして視界に映った正義のコートに慌てて姿勢を正して敬礼をする。規律の厳しい海軍では、何をしていても上官が通ったら手を止めて敬礼をするのが決まりである。敬礼をしながら上官を見つめたコビーは、その人物を見て瞳を輝かせた。

廊下を歩くその人は、今最も少将に近いと言われているナマエ准将だ。颯爽と歩く准将は噂に違わず凛々しい雰囲気を纏っていてコビーは憧憬を込めて彼のことを見つめる。ナマエ准将といえば、コビーの同期の間では憧れない者はいないというくらい優秀な海兵だった。ナマエ准将は強く、賢く、規律に背かない正義感に溢れた人物なのだという。さらに自主的に街を巡回したりもしているらしく、皆が憧れる最高に格好いい人なのだ。

「ご苦労」

敬礼をしたままじっと見つめていると目の前を通り過ぎた准将が書類に視線を落としながら短的に労いの言葉を呟く。コビーは憧れに胸を膨らませて「お疲れ様です!」と声を上げた。やっぱりナマエ准将は格好いい。自分の目指す海兵像にナマエの姿を重ねながらコビーはモップを拾い上げた。ナマエの背中は迷いなく廊下を奥へと遠ざかっていく。
憧憬の視線をその背に一心に受けながらナマエが向かったのは同期のスモーカーの所だ。近々行われるらしい処刑に際して招集させられた彼を訪ねて、ナマエはスモーカーの使う執務室を訪れた。

扉の前で軽いノックをすれば「どうぞ!」と高い女の声が上がった。扉を開けて中へ足を踏み入れたナマエの目に入ったのは書類を握りしめてスモーカーに何かを抗議するたしぎの姿だ。

「ナマエ准将…!」

ナマエの姿を認めたたしぎが素早く敬礼をする。それを片手を上げて楽にさせると同時にスモーカーがたしぎに退室を命じた。彼にしては珍しいことだ。

「スモーカーさん、ナマエ准将に失礼なことはしないでくださいよ!」と言い残した彼女はナマエに会釈して部屋を後にする。人払いの済んだ室内でスモーカーは突然来訪した同期を見つめて紫煙を吐き出した。前に見たときよりもより一層、コートがよく似合っている。

「スモーカー…」

たしぎが退室したのを見計らってナマエが静かにスモーカーの名を呼ぶ。それに無言を返せば精悍な顔がへにゃりと拮抗を崩した。完璧な理想を体現する"ナマエ准将"の素の姿にスモーカーは心中で唇を持ち上げる。

「討伐命令が下ったんだ…俺に。一億三千万ベリーの賞金首…」

手にした書類を掲げてふらりと近づいて来たナマエが傾いでスモーカーに寄りかかる。それを受け止めてスモーカーは紫煙を吐き出した。ナマエは吐き出すように言葉を続ける。

「部下を連れていくなって条件付き…。俺には無理だ…そこらのゴロツキとは違う。…というかゴロツキだって部下任せなのに…一人でいけって言われたんだ…死ぬ」

そう唸ったナマエはぐったりと彼の肩に寄りかかった。スモーカーは息を吐いて察する。実力のないナマエは何でも部下に「お前がやれ」と命じることで、今までの任務を凌いできた。部下の方はそれで勝手に「期待されてる!」と思ううえ、上からも「部下を鍛えている」といいように解釈される都合のいい流れが出来上がっているのである。それは外面が凄くいいナマエだから成り立つことなのだが、如何せん印象が良すぎるせいで上官達の要らぬ心遣いを受けたようだ。早くナマエ自身に手柄を挙げさせ昇進させてやりたいのだろう。だが実際のナマエは昇進などに興味はなく、ただコートの着れる立場にあれば良いのだから要らぬ世話というものだ。

「たすけてぇ…スモーカー」

項垂れたナマエが甘ったれた声で懇願する。スモーカーは呆れた表情で目の前の男を見下ろした。しかし既に彼の中で、答えは出ている。

「しょうのねぇ奴だ」

ナマエの頭に手を置いて息をつくと、顔を上げた彼は瞳を輝かせてスモーカーを見上げた。

「スモーカーなら、そう言ってくれると思っていた…!」

そう嬉しそうに声を上げるナマエの表情には、既に元の精彩が戻ってきている。そうなってしまえばスモーカーですら、今の言葉を光栄だと思ってしまいそうになるくらい、海兵としてのナマエは完成されていた。海軍として、見てくれだけは一点の瑕疵もないナマエを人々は賞賛するだろう。しかしその内実はただの格好つけのガキと同じだ。見た目通りのものなど何ひとつありはしない。あるのは、ひたすらに"コートを格好良く着こなす"という望みだけだろう。

しかし、そんなナマエは何故かスモーカーにだけその内側を晒し、頼ってくる。根性も実力もなく、人前で虚栄ばかり張っている彼は、決してスモーカーが好くような人間ではないだろう。しかし、スモーカーはそんなナマエを、見捨てるどころか突き放す気さえなくあまんじて甘やかすのだから。

彼は今日も数多の海兵たちの理想として君臨している。

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