短編
!薄暗い


この世の物事にはそうあることが必然という、いわば決して変えられない摂理のようなものが存在する。例えばそれは海と空は決して混じり合わないということであったり、昼と夜は必ず交互にやってくることであったり、男と女は惹かれ合うことであったり――人は、死んだら終わりであるということでもある。それをナマエが悟ったのは、もう全てが手遅れになったあとでのことだったのだけれど。


ノースブルーの平和な田舎町で育ったナマエには大層仲のいい幼馴染が一人いた。彼の名前はバジル・ホーキンス。子供の頃のホーキンスは非常に大人しくて物静かで、言ってしまえば暗い子供だった。いつも人の輪から外れてひとりで占いばかりしているような子で、周りの子供たちからは気味悪がられ敬遠されがちであったが、幼い頃から一緒にいるナマエにとってはどうでもいいことであった。占いをしているときのホーキンスは楽しそうで、そんな彼を見ているとナマエも同じように楽しくなったものだ。そのうえホーキンスの占いは、決して外れることがないのである。

ナマエは幼馴染の占いに全幅の信頼を寄せていた。彼がしてはいけないということは他の子供達に誘われても決してしなかったし、彼がすべきだと言う事は多少嫌な事でも従っていた。そのおかげでナマエの好き嫌いは早くからなくなったし、他の子供達がそろって怪我をするような場面でもナマエが居合わせるようなことは決してなかった。ナマエは幼馴染のことを大層信頼していたし、幼馴染もナマエのことを大切にしていた。それは、ホーキンスが海へ出て、有名なルーキーとなった後も変わる事はなかった。彼はナマエの一等大切な親友だ。


そんな彼を、自分の結婚式に招待したのはいわば当然だった。十数年は会っていないうえ、彼は今や札付きの犯罪者だがナマエにとっては変わることなく一番の親友なのである。遠い海を航海しているであろうことから来てくれるかどうかは賭けだったが、それでもホーキンスは来てくれた。式の途中で式場の扉を開いて現れた男に、多少の遅刻など気にも留めずナマエは顔を綻ばせた。

「ホーキンス!」

花嫁の隣からヴァージンロードを駆けてホーキンスの元へ走り寄る。久しぶりに会った彼は幼い頃からは想像もつかないほど大きく、屈強な男になっていた。しかし陰気な表情だけは変わらない。式場の花と純白のレースに覆われた華やかな雰囲気に全く溶け込めていない幼馴染を見つめて、ナマエは嬉しそうに笑った。

「ナマエ、本当に、結婚…するのか」

呆然としたような表情でホーキンスがそう呟く。全部お見通しな彼にしては間抜けな質問だ。それくらい驚いているのだと分かってナマエはおかしくなって歯を見せて笑った。

「ああ!今更だな。お前だったらきっと分かってたんだろ?」

幸せそうに口元を緩めて花嫁を振り返ったナマエを、ホーキンスは何も言わずに見つめていた。夫の視線に気付いた花嫁がはにかむように微笑んで二人に向かって手を振る。それを満足そうに見つめて手を振り替えしたナマエに、ホーキンスは深く逡巡したような沈黙をおいて静かに口を開いた。

「ナマエ、彼女とは別れろ」

「…は?」

柔らかな祝福の音楽が流れる式場に、その声はあまりにも重く響いた。以前のナマエだったなら、ホーキンスの言葉になんと答えただろうか。だがその時のナマエはホーキンスの言葉に、明らかな怒気を抱いた。親友の言葉は絶対で、今までその助言には何度だって従ってきた。しかし、これだけは譲れなかったのだ。ホーキンスの占いが100%でナマエの破滅をさしていても、彼女を切り捨てることなどナマエには出来なかった。

「嫌だ」

ナマエの答えすら、きっとホーキンスには分かっていたのだろう。初めて拒絶を表したナマエに、ホーキンスは「そうか…」と悲しそうに瞳を閉じた。深く息をついたナマエは花嫁の元に戻ろうと踵を返す。

それは一瞬の出来事だった。
ホーキンスの剣が、ナマエの心臓を貫いたのは。

「、っえ」

ヒュッ、と背後で音がしたかと思った瞬間左胸に今まで感じたことのないような激痛が走る。布を切り裂くような激しい悲鳴が周りから上がってナマエは崩れ落ちた。その体を、ホーキンスが後ろから支える。胸に触れた手のひらはぬるりとした感触と共に赤く染まって、見下ろしたそれにナマエは愕然として表情を歪めた。

「ホ、キン…、」

純白の衣装を赤が犯していく。痛みに喘ぎながら呆然と幼馴染を見上げたナマエを強く抱きしめて、ホーキンスは彼の背後に視線を向けた。その先には真白のドレスに身を包んで美しく着飾った女がひとり、蒼白な顔でこちらを見つめている。ホーキンスは彼女に微かに笑いかけると優しくナマエの唇に口付けた。その笑みには確かに、深い情愛と彼女に対する優越感が潜んでいた。

気の遠くなるような激痛と泣き叫ぶ花嫁、力強く体を抱く体温に幼い頃と変わらない笑みを浮かべる幼馴染。それが血の通ったナマエの見た、最後の光景だった。



鮮やかな過去の出来事を思い出してナマエは深く息をついた。ギイ、と鈍い音がして天井からぶら下げられたランプが船の揺れに合わせて揺らめく。綺麗に整えられた、この船で一番豪華な一室でナマエは投獄された囚人のように淀んだ瞳を瞬かせた。ぼんやりとソファーに腰掛けて虚空を見上げるナマエの傍には、子供の頃と同じに幼馴染のホーキンスの姿がある。テーブルの上でタロットを広げていたホーキンスは、ついと視線をあげて浮かないナマエの顔を見つめた。

「どうした、どこか痛いのか?」

「…笑えない冗談だな」

じとりとホーキンスを見つめてナマエが吐き出すように呟く。返事をしたナマエに満足したのかホーキンスは再びテーブルに視線を戻してタロットをめくった。

ここはホーキンス海賊団の海賊船だ。おまけに船は新世界のど真ん中を航海中。故郷のノースブルーからは遠く離れてしまっている。しかし、この空間は幼い頃と全く変わらない。ナマエはホーキンスの部屋の中で彼のタロットを見るのが好きだった。取り留めもないような未来のことを占わせて、よくふたりで笑いあったものだった。決定的にあの頃と違うのは、ここが海の上であるということと――ナマエが、既に生きてはいないということ。

あの結婚式の後、意識を失ったナマエが再び目を覚ましたのは明らかに何らかの儀式が行われたと思わしき痕跡の残ったこの部屋だった。ホーキンスは呪術の知識をたくさん持っている。呪いやまじない、その中にはきっと死者をこの世に縛り付けるものだってあるのだろう。目を覚ましたナマエには、体というものが存在していなかった。ホーキンス以外には見えない上に、ナマエには彼に殺されたときの記憶がしっかり残っている。「花嫁はどうしたんだ!」と問い詰めたナマエに、ホーキンスは静かに「彼女をナマエと共にはいかせない」と言った。ホーキンスはナマエだけを殺して村から去ったのだ。ナマエを彼女に渡さないために。ナマエと、ずっと一緒にいるために。

ナマエはホーキンスが死ぬまで彼と一緒に、この船長室に地縛霊として縛り付けられるのだろう。再び目覚めたその日、そうホーキンスが嬉しそうに教えてくれた。


ナマエはホーキンスを憎んでいない。始めはその理不尽に憤りもしたが、ナマエは死んで初めて自分が根本としてこの世の何よりも、この幼馴染を優先とすることに気付いた。それにしたってあんまりなのでまだ許してはいないが、それよりもナマエには先決すべき問題がある。それは今なおナマエを苛み続ける、この世界の摂理そのものにあった。

生きているものは必ず死ぬ。死んだらそこで全てが終わる。これは損なわれてはいけない、恒久の真理なのである。そしてそれを贖い存在しているものは、決してそれまでと同じようには存在出来ない。これは絶対的な世界の決まりごとなのである。


ホーキンスが、めくったカードを目にして静かに札を戻した。それらに描かれているのは女帝と塔だ。ナマエはカードを見つめて静かに目を閉じた。

日に日に自分の存在が歪んでいくのを感じる。記憶は薄れ思考は混濁し、もはや自分が何者であるのかすら分からなくなるような、圧倒的な混沌。失われた隙間を満たすように湧き出すのは苛絶な虚無感と渇望だ。それはナマエ自身の想いを受けて、一心にホーキンスに注がれている。逝くべきものを無理やり繋ぎ止めているから、そこに歪みが生じるのは道理だ。時々不意に自失する自分が何を求めているのか、ナマエにはよく分かっていた。そしてそれに対する危惧に、ホーキンスは未だ気づいていない。

めくられたカードは逆位置の女帝と正位置の塔。過剰な愛情と迫る危険の意味を司る。いつか、真に歪んでしまった自分が、彼を攫っていってしまうのではないか。しかし日々歪んでいく自分自身を止める術を、縛り付けられたナマエは持ち合わせていなかった。




柘榴はとうに弾けている


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