短編

俺には幼いころから同じ町で、同じように育った幼馴染がいる。ほぼずっと一緒に育っていったにも関わらず、あいつは俺と違って幼いころからどこか頼りなく、常に俺の後ろばかりついてまわっていた。それは十五になって人類に心臓を捧げた今でも変わらない。あいつは俺の幼馴染で、俺と共に憲兵団に入り、内地で生活を共にする――はずだった。


「ジャン、俺…所属は調査兵団を希望しようと思うんだ」


夕食の後、二人きりの井戸で幼馴染のナマエ・ミョウジにそう言われた時、俺はとんだ冗談を言っているものだと鼻で笑った。だって、そうだ。ナマエとは訓練兵になる前から共に憲兵団に入って内地で暮らそうと誓い合った仲だった。確かに、ナマエは成績上位者十名に入れてはいない。しかしその実力は十二分にあると俺は思っている。ナマエは体力、立体機動技術共にスバ抜けている。ミカサとまではいかないものの、エレン程度には遅れを取ることは決してなかった。しかし成績上位者十名に名を連ねて居ないのは、その積極性のなさに起因する。ナマエは同期のうちでならあいつ…ベルトルト以上に自己アピールの薄い奴だった。何よりも指揮能力に掛け、立体機動訓練でもある程度の成果をあげるとすぐに「後は任せた」と言わんばかりに誰かに手柄を譲ってしまうような奴だった。過去に何度もそれを叱ったりしたが、ナマエは苦笑するばかりなので最早諦めてはいたが、それでも駐屯兵団で数年実績を積めば十分憲兵団に入団できる逸材なのだ。それなのに、一体何を言っているんだ。


「馬鹿じゃねーの、って顔してるね」

「当たり前だろ…。冗談にしちゃ笑えねぇよ」

「冗談なんかじゃないよ。十分、本気だ」


そう言ってナマエは真っ直ぐに俺を見つめた。その瞳は今までにない強い意思を宿していて、見つめられた俺は若干怯む。


「ジャンもさっきのエレンの話を聞いただろう?俺は今までずっと自分たちが平穏に暮らせれば、それでいいと思ってた。でも、エレンの話を聞いて痛切に思ったんだ。それだけじゃいけないんだって」


その言葉を聞いた途端、目の前が暗くなった。あの野郎が…何だって?ナマエが言っているのは解散式の後の夕食で俺とエレンが口論した時の話だろう。熱に浮かされたように話すナマエは俺が表情を失ったことになど気づいていない。


「エレンの真似って訳じゃないんだけど、俺も…壁の外の世界を見てみたいんだ。成績上位者にもなれない…ジャンに世話ばかり掛けていた俺が何をっていうのは分かってる」


ああ、そうだ。その通りだ。お前は俺がいないと。俺と一緒でないといけないはずだろ。なあ、ナマエ。だから、そんな馬鹿なこと。


「だけど俺、決めたんだ。ジャンとは離れちゃうし、約束を違えることになっちゃうけどさ」


ナマエ。待てよ…。待てって。ナマエ。


「俺は調査兵団を…」


ナマエ!!

それは、ほとんど反射に近かった。無防備に井戸にもたれかかっていた身体を抑え込み、淵に叩きつける。突然押さえつけられたナマエはバランスを失い、井戸の中に半分落ちかかった形で俺を見上げた。ナマエの身体を井戸に押さえつけながら無表情にその瞳を見つめる。驚愕に見開かれた茶色の相貌が、月に反射して妙に印象的だった。

何だよ。何だっていうんだよ!いつだってあいつが!あいつばかりが俺の欲しいものを奪っていく!!どいつもこいつも何であんな死に急ぎ野郎に…!どうして!おまえまで!ナマエ!

それは激しい怒りだった。何故なのかは分からない。しかし俺はミカサがエレンに傾倒するとき以上にナマエに対して怒っていた。いや、怒っていた…なんていう生易しい感情では飽き足らない。それは、もはや憎悪だった。

どうして、ナマエがあいつの言葉に変えられなきゃならねぇんだ!ナマエは俺の親友だ!俺の幼馴染だ!俺の…俺のナマエだ!エレンの野郎になんか絶対に渡さねぇ!調査兵団だって?ふざけんな!お前、俺と一緒に憲兵団になるって言ってたじゃねぇか!一緒に内地で暮らすって約束したじゃねぇか!それがなんで俺から離れて行くんだ!許さない。絶対に。絶対に…!

背中を強か打ち付けたナマエが顔を歪めて咳き込む。俺の両手は何かに吸い寄せられるようにしてナマエの首筋を握った。ナマエの瞳が再び驚愕に見開かれる。もはや理性など、どこにも存在しなかった。ナマエは、俺のものなのだ。俺は今、何よりも苛烈にナマエを欲していた。この時ばかりはミカサでも比ではなかった。憧れのような淡い恋情とは違うのだ。ナマエは俺にはなくてはならないもので、俺の傍らに在るべきものなのだ。俺は情動のままに指先に力を込める。

ああ、何だか今初めて分かったような気がする。酸素を求めて喘ぐナマエは何だかとてもうつくしかった。クリスタよりも、ミカサよりも…何よりも。はくはくと開閉を繰り返す唇を見つめて、ぼんやりとそんなことを思う。当たり前だと思っていた。傍にいることも、ナマエが俺に着いてくることも。何もかも。

ナマエが目の端に涙を溜めて俺を見上げる。ゾクリ、と背筋を何かが駆け上がった。ああ、もう戻れねぇな。苦しむナマエを見ながらそんなことを思った。意識を失う寸前で両手を離して酸素を与える。激しく咳き込むナマエは、信じられないような表情で俺を見上げた。


「ナマエ」


名前を呼べばナマエの肩が跳ね上がる。ジャン、と俺の名前を紡ごうとした唇を、無理矢理俺のもので塞いだ。ナマエが身を硬くして息を飲む。その隙に唇の隙間から口内へ侵入した。

鼓動が激しく高鳴り、身体が熱くなる。驚くナマエを見て湧き上がるのは仄暗い喜びだ。やっぱり。そうじゃねぇか、畜生。

離れることなど許さない。それは恋などと呼ぶにはあまりにも相応しくない、深過ぎる執着と情愛だった。


アングルボダ


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