落ちて空に星がこの手で
割れるような歓声が響いている。人々は興奮して、祝っている。何を?
歴史が変わる瞬間を。最高のバトルを。新たなる伝説の幕開けを。無敗を誇る王者の、敗北を。

ダンデさんが負けた!
目の前の光景に、手のひらの中の半券を握りこむ。彼から贈られたチケット。完璧なチャンピオン。全戦無敗の……無敗?彼は負けたのだ!たった今!

フィールドにたたずむ背中を見つめる。チャンピオンタイムイズオーバー。そう言って帽子を放つ直前、リザードンが倒れた後の一瞬を思い出す。目深に帽子を下ろしたその肩は震えていたように見えた。

完璧なものはあると思っていた。彼がまさにそれだ。無敵の強さに魅力的な人柄、弱点さえ親近感を感じさせるチャームポイントとなるような、そんな人。
完璧さにヒビが入る刹那を見たのだ。ああ、それはまさに輝く星が天から落ちるかのごとき一瞬だった。
震えた肩に込められた感情はなんだったのか。一瞬の後に浮かべたいつもの完璧な笑顔とチャレンジャーを讃えるチャンピオンとしての言葉なんかどうでもいい。帽子に隠されたその影の、内側こそをオレは見たかった。
彼の表情が見たくて、どんな気持ちだったのか、その胸の内が知りたくて。ああ、どうしてだろう。彼はあんなに親切で、オレに良くしてくれたのに。どうしてオレはこんなにも彼の敗北に胸がざわめくのか。
単なるファンとしての想いじゃなくて。残念とか、可哀想とか、ついにとか、ざまあみろとかそういう感情じゃなくて。そんな他人行儀な、遠い感情ではなくて。うまく言葉にできない。


チャンピオンだった敗者がチャレンジャーである勝者の手を取って天高く掲げた。割れんばかりの歓声と拍手の中で、ぼんやりと考える。
どうして自分がこんなにもショックを受けているのか分からなかった。ダンデさんがどうとかじゃない。自分の内に湧いた感情が、消化しきれない感じだ。どうにも周りの熱気と気が合わずに呆けた気持ちで空を見上げた。
まっさらな青空だ。いつもと変わらないオレの職場。地上は世界が変わってしまったかのような熱狂ぶりなのに、と俯瞰した心地で考えれば、ふと脳裏に明確な答えのようなものがよぎった。

あーそう。例えるならこんな感じだ。誰のものでもない青空を見上げながらひとり思う。オレにとってダンデさんは、この空のようなものだった。キレイで、大きくて、変わらなくて、誰も手が届かないくらい遠い。触れられず変えられず汚れない。どんな姿でも美しいもの。そう、欠点がないという意味ではなく、その瑕疵も含めて完璧なものだった。
そしてあまりに遠いものだった。彼と同じくらい特別な存在でないと、影響なんて与えられるはずもないと。だけど。だけど。

スポットライトの先にいるのは、どこにでもいるようなひとりの子供だ。夢みるような喜びに浸るチャレンジャーを見守る彼の姿を見つめて、想う。完璧なものなどなかったのだと。

彼は負ける。悔しがる。耐える。変わる。そう、変えることが出来るのだ。
そう理解して湧き上がったのは今まで感じたことのないような強い感情だった。彼は変えられた。変えることが出来る。変えたい。
オレの手で、完璧な様を崩したい。オレの中にあった完全な姿が、影も形もなくなるくらい、ぐちゃぐちゃのどろどろに。

ハッとして手のひらを開く。ダンデさんからもらったチケットは握り締められてくしゃくしゃになってしまっていた。
唐突に気づく。

ああ、彼は人間だったのか。

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