俗人の白日夢
結論から言うと、どうやらこれは夢ではなかったようだ。無数のパイプが張り巡らされた天井を見上げて、俺はそう落胆した。ちゃんと頬は痛かったし、水中で気を失う際はこの上もないほど苦しかった。死んでいないのが不思議なくらいだ。もう二度としたくない。

くらくらする頭を軽く揺らしながらゆっくり起き上がると自分がどうやら手術台のような場所に寝かせられていたことが分かった。おいおいおい!何だこれ!こ、怖…ッ!洒落になんねーぞ!

慌てて身体の至るところを確認するがあからさまな手術痕はなかったので、どうやら内蔵を売られるわけではないようだ。これからかもしれないが。逃げたい。そこまで考えて、ふと自分の身体に覚えのない傷がたくさんついていることに気付く。それは切り傷であったり、火傷のような跡でもあった。さっき扉を開けたときも思ったことだが、どうやら、やはりこれは彼らの言っていた"名前"の身体なのだろう。俺の身体はあんなに力はないし、こんなに鍛え上げられてもいない。見事に割れた腹筋を撫でながらそんなことを考えていると勢いよく部屋の扉が開いた。そしてそこには、かのトラファルガー・ローが真っ直ぐにこちらを見つめて佇んでいた。警戒を露わにする俺にトラファルガー・ローが「起きたか」と小さく呟く。その後ろからひょこりと真っ白な、ツナギを着た熊が顔を覗かせた。確か見たことがある。名前は覚えていないが、トラファルガー・ローの仲間だ。


「名前、海へ落っこちたのをペンギンたちが引き上げたんだよ。大丈夫?」


白熊が心配そうに屈んで俺と視線を合わせる。そういう世界だとは知っていたが実際喋る動物を見ると変な心地だ。不意に手で鼻先に触れてみる。そっと真白の毛並みを撫でれば白熊は不思議そうに首を傾げて微かに目を細めた。知能はあるようだし、喋るのだから恐らく噛みはしないだろう。暫くそうしているとこちらを見守っていたトラファルガー・ローが悠と口を開いた。


「バラしてみたが特に異常はなかった。…あァ、お前に自殺癖があるなんて初めて知ったな…」


トラファルガー・ローがじとりとした探るような瞳で俺を見つめる。俺は熊を撫でる手を止めて彼と向きなおった。


「別に…死ぬつもりじゃなかった。ただ起きようとしただけだ」

「起きようと?今お前は寝てるのか?」

「…眠っていたなら良かったんだけどな」


残念ながらこれは現実だ。どこか辟易した思いで呟くとトラファルガー・ローは不可解そうに顔を顰めた。


「キャプテン!じゃあ名前は大丈夫なの?」


白熊が手術台に身を乗り出してトラファルガー・ローに問い掛ける。トラファルガー・ローはチラリと俺を一瞥して白熊に視線を移した。


「ああ…身体の方はな。頭は前から大分おかしかったが…まあ、前よりは随分とマシになったんじゃないか?」


そう言って立ち上がったトラファルガー・ローの言葉を聞いて白熊が「良かったね、名前!」と俺の頭を肉球でぽんぽん撫でる。何がどう良かったのかよく分からないがとりあえず「ああ」と無難な感嘆詞を吐き出しておく。ついでに常々気になっていたことも口に出すことにした。


「…熊、お前の名前何だったっけ?」


目の前でふたりがあからさまに固まった。


夢は静かに息をひきとる


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