俺は手にした狩猟具を倉庫の奥へしまうとふ、と息をついた。
これはこの間猪を狩った時に使ったものだ。
痛んでいるところや汚れを落として丁寧に倉庫に保管する。
これで捕らえた猪は、近所の者に分け与えた。
最後まで文句を言っていた青年の姿を思い出してひとつ息をつく。
この家の主である晃さんは今、奥さんたちの墓参りに行っている。
家の中は現在俺一人だった。
罠をしまった俺は倉庫を施錠して玄関のほうへ向かう。
そしてそこで聞こえてきた声に微かなデジャヴュを覚えた。
開け放たれた玄関から先日見た後姿がこちらを振り返る。
そこには前日出会った、神代淳…がいた。
「おい、お前また外にいたのか!鍵くらいかっておけよ。不用心だな」
戸を開けて勝手に家に入り込んだ神代淳がふてぶてしく俺をねめつける。
俺はそれに眉を寄せて口を開いた。
「少し外に出ていただけだ…。何か用か?」
俺の問いかけに神代淳が眉をつり上げるとぷい、と顔を背ける。
そして大袈裟なほど大きな声で叫んだ。
「僕だって忙しいんだ!こんなとこ!用がなければ来るわけないだろッ!」
俺はその様子に顔をしかめてならさっさと用件を言え、と返す。
神代淳はばつが悪そうにこちらを見つめると、不機嫌そうに唇を引き結んで俺に歩み寄ってきた。
「これだ…この間の猪の報告書。これを記入して僕に提出しろ!」
相変わらず不遜な命令口調の神代淳に辟易しながら書類を受けとる。
分かった、とだけ告げてこの場を終えようとするが神代淳はその場に立ち尽くしたまま動こうとしない。
不審に思って書類に落としていた視線をあげれば瞬間、すごい勢いで神代淳が俺から視線をそらした。
どうやら見られていたようだ。
「なんだ?」
俺が問い掛けると神代淳が何でもない!と眉をつり上げて怒鳴る。
何でもないわけないだろう。
誤魔化すのが下手くそだな。
特に興味もなかった俺はそうか、とだけ返して再び書類に視線を落とす。
すると逆ギレした神代淳が肩を怒らせて俺に怒鳴りだした。
「大体僕にわざわざここまで報告書を持ってこさせておいて、もてなしのひとつもないなんておかしいだろ!礼儀のなってない奴だな!」
礼儀のなってないのはあんたの方だ。
俺はじろりと目の前で騒ぐ男を見つめる。
初対面から思っていたが、傍若無人な男である。
村人の噂通りだ。
聴く所による彼の人なりは典型的な"七光り"である。
彼の場合は親、というより家柄そのものの威光を笠に着ている傾向にあるが何分そう大差ないだろう。
神代の婿養子、といえば村では絶対的な権力者にあたる。
俺は噂を信じる方ではないが、大体出会った当初からこの男の言動は目に余るものがあった。
噂通りの高慢ぶり。
すべての人を見下したその態度は不愉快そのものでしかなく初対面の印象はどう解釈してもお互いに最悪なものであっただろう。
俺は礼儀のなっていない奴は嫌いだ。
つまりはこの神代淳のことを、俺はあまり好ましくは思っていなかった。
相手にしてみても、逆らう者のいないはずの村での俺のあの初対面の態度はかなり印象が悪いはずだろう。
なのに何故こんな関わりを持つようなことを?
俺は首を傾げて神代淳を見つめる。
彼は俺に見つめられて焦れたように腕を組んで小刻みに足を踏み鳴らしている。
少し考え込んだ後で別段断る理由もない俺はひとつ頷いて彼を家へと招き入れた。
「ふん、相変わらず狭い家だな」
もてなしを要求した分際で神代淳がぶつくさと文句を言う。
それに言葉は返さずに俺は居間へと神代淳を案内した。
引いてある座布団の上に彼がどかりと腰を下ろす。
「今麦茶でも持ってくるから、待ってろ」
それに当然だと言わんばかりに早くしろ、と捲し立てて神代淳が卓袱台に肘をつく。
俺は無言で台所へ行き冷蔵庫から麦茶の瓶を取り出すとふたり分を手早く注いで居間へと戻った。
神代淳は退屈そうに外を見つめている。
「木しかないな。全くなんでこんな面倒臭いところに住んでるんだ」
「…さぁな。俺が決めた訳じゃない。でも狩りは、この方がしやすいからな」
「狩り…」
神代淳がぼそりと呟いてじっと俺を見つめる。
それに訝しげな表情をすれば彼は真剣な眼差しで口を開いた。
「お前、狩りをするときはいつもああなのか?」
ひどく神妙に問いかけられた質問に俺は首を捻る。
問いかけの意味がわからなかった。
ああ、ってどういうことだ?
俺はなにか特別なことでもしただろうか。
「何がだ?」
俺が問い掛けると神代淳はだから!と言って何か説明しようと口を開いたが、どうにもうまくいかないようだ。
まごまごと口を空いたり閉じたりさせる彼は尚も首を傾げる俺を見て、焦れたようにもういい!と顔を背けた。
どうやら拗ねたようである。
訳の分からない神代淳の行動に俺はひとつ息をついて麦茶を口にした。
さっきも言ったように、俺は噂を信じる方ではない。
確かに傍若無人ではあるし、高慢な態度は不愉快に思うこともあるが、どうやら彼はそれだけの人間ではないようだ。
彼は仏頂面で俺の出した麦茶を静かに飲んでいる。
変な奴だな。
神代淳は。
俺は飲み終わった麦茶の氷を口に含んで何処か遠い頭の奥で呟いた。
おい!
(今日は狩りに行かないのか?)(そう聞いてくる彼に俺はひとつ息をついて連日行くわけじゃない、と返した)