それは全くの偶然だった。
あれから数日が経ち暇をもて余した僕は比良境の周辺をあてもなく闊歩していた。
まあ散歩のようなものだ。
擦れ違う村人達は皆僕を見るや否や即座に頭を下げて道を譲る。
それらをたいして気に留めることもなく歩いていると頭を下げる村人の中で唯一堂々と歩いている人影を見つけて思わず目を細めた。
前を行くその男はどうやらこちらに気づいていないようだ。
僕の怒気を感じ取ったのか、周りの村人達は我関せずといった様子でそそくさとその場から離れていく。
どいつもこいつもこの村のやつらは…!
僕は不機嫌に眉を寄せながら男に近づいていく。
そしてその人物に思わず目を丸くした。
前を行く男の肩口で一度見たことのある猟銃が揺れる。
そんな物騒なものを持ち歩く人物を、僕は一人しか知らない。
「お前…名前か?!」
驚いて声をかけると目の前の男がゆっくりとこちらを振り返る。
「…神代淳?」
こちらを向いた名前が瞠目して僕を見つめた。
丸く見開かれた瞳にこいつでもこんな表情をするのか…と少し感慨深くなる。
無愛想な鉄面皮だと思っていたのに。
「お前…山以外にも出掛けるんだな」
「…当たり前だろう。俺を何だと思っているんだ」
名前が不機嫌そうに眉を寄せて呟く。
しかし僕には何だかその表情も面白かった。
ああ、たしかにそうだな。
山から降りないなんてそれじゃほとんど動物だ。
「ふぅん。まあお前ならそれでも違和感ないけどな。なんでこんなとこにいるんだ?」
「狩りの帰りだ。肉が少し多目に捕れたから、そのお裾分けをしていた」
見れば確かに名前の手には銃以外にも大量の荷物が握られていた。
この量を手にしても全く重そうに見えないというのは、やはり山育ちということか。
どことなく自分の体躯と見比べて悔しいような不愉快な気持ちになる。
まあ元々こいつと僕では暮らしも育ちも違うんだ。
僕の方がずっと良家の身分だしな。
そう考えると比べること事態が馬鹿馬鹿しくなってくる。
僕は名前の肩から下げられた猟銃を見つめて思わず口を開いた。
「へぇ。こいつでまた仕留めたのか」
肩から下がった留め具をほどいてサッと名前から猟銃を奪い去る。
おいっ!と名前の焦った声がしたがそれを無視して適当に構えて銃口の先を覗いた。
こうしていると初めて見た名前の狩りのことを思い出す。
あの時、かの猪の命を奪った凶器は、こんなにも重い。
「返せ!危ないだろ!!」
銃口を覗いていると一瞬で手にした重みを奪われる。
乱雑に荷物を手放した名前は僕から猟銃を引ったくると僕を睨んで大儀そうに銃を元の留め具に嵌め、肩に背負いこんだ。
「何すんだよ!僕にも触らせろ!」
「銃の管理は大切なんだ。もし何かあってみろ。怪我どころじゃすまないぞ!」
名前が厳しい剣幕でこちらを鋭く見つめる。
それに思わず怯んだ僕はふん、と視線をそらして舌打ちをした。
何だよ。
別に触るくらい良いだろ。
名前の馬鹿野郎。
不機嫌そうな僕を名前が神妙な目でじっと見つめる。
しばらく放っておいたが、いい加減耐えられなくなった僕はムッとして名前を睨んだ。
深い黒曜石の瞳が僕を写す。
「…あんた、もしかして銃に興味があるのか?」
その言葉に僕は目を見開いた。
図星ではあるが、名前に言い当てられるのは何となく癪だ。
「何だよ。僕が猟銃に関心があっちゃいけないっていうのか?別に僕がそれに興味があろうとなかろうとお前には関係ないだろ!」
キッと名前を睨み付けて言い捨てれば名前は少し考え込むように口許に手を当てていや…、と呟いた。
「別に…じゃあいいんだ。良ければ、今度銃の扱い教えてやるよ」
意外な一言に驚いて僕は目を見開く。
思わず名前をまじまじと見つめれば彼は微かに口許を綻ばせて笑った。
「撃てるようになると、面白い。俺にとってはまあ生業だが」
初めて見る名前の柔らかな表情に僕はポカンとして固まってしまう。
じゃあな、と名前がその場を立ち去るまで僕はずっとその場で惚けていた。
何だこれ。
なんなんだ。
射抜かれるような狩人の視線を見たときより、それ以上に。
激しく動悸する心臓は静まることを知らない。
なっ!!
(なんだよ、あの顔は!)