太腿までの網タイツを指定したのは金時だった。それを撫で上げた掌は芯から冷えている。金時は昔から手が冷えやすい傾向があった。

ゆるくカールした長い黒髪が揺れる。レザーのスカートに隠された足の付け根まで指先を這わすと、その低温に堪え切れなかったのだろう、その身体がびくりと震えて、あからさまな不快感を滲ませた目端が此方を捉えた。それを無視して体温を奪うように肌を弄るも、指はなかなか温度を上げない。

服装に合わせたのか、いつもよりか僅かに濃く紅を引いた唇が蔑むように歪んだ。

「最悪のオプションだ。会う度に趣味が悪くなるな」

ホテルの一室に招き入れるなり引き倒すようにダブルベッドに押し付けた「彼」をオレンジ色の薄明かりがぼんやりと照らしている。一つ一つの網目を数えるようにゆるゆると上下する手つきに、土方が小さな舌打ちを零した。

内側へとゆるやかに巻かれた黒髪に溶け合うような黒のカッターシャツ。開けられた襟元からは真っ赤なキャミソールが覗いている。

「お客様に対して随分生意気だな」
「こういうのがスキなんだろうが」

色濃い侮蔑を湛えた声調にぞくりと身体の奥が震える。喉仏を舐め上げた唇からは、指先と反して多分に熱を孕んだ息が漏れた。梳いた髪はウィッグのそれだ。

発端は同僚ホストが女装ヘルス嬢――嬢と言う呼び名が正しいは分からないが――に追い回されて参っているという話を聞いたことであった。介入する気も無かったが、取り敢えず顔だけでも見てやろうと、金時はその嬢が所属しているヘルスのホームページを開いてキャストの欄を確認したのだ。そうでもなければそんな所のホームページを開くことなど一生なかったであろう。

それが全ての始まりで終わりであった。

ざっと流していた視線は件の人物を捨て置いて、別のキャストの写真に吸い寄せられることになる。黒髪のロングヘアーに、少しキツい印象を与える瞳。

興味を引かれた理由など明快なものだ。金時はその嬢――男、を知っていた。

他店のナンバーホスト。同業回りで何度かその店を訪れて、その際に当人と言葉を交わしたこともあった。
客の前でしか話していないから確かに素性や性格は知れない。

――かと言ってあの男が。

業界特有の写真技術と化粧とを努めて差し引かなくとも、恐らく間違いないであろうと直感した。
だが、それでもまだ完全には信じられない。

初めはただ驚き不審に思うばかりだったが、鎌首をもたげた好奇心は終ぞ電話のダイヤルボタンを押した。

後はもう済し崩しだった。

ホテルに出張してきた女装ヘルス嬢は、金時の顔を見るなり見開いた目をゆっくりと眇めて、「馬鹿にしてんのかノンケホスト」と低く唸った。クラブのホールで客を相手していた時とは比較にならないほど温度の低い声であった。

聞けば、彼のホストクラブの系列店で人手が足りなくなったため、経営者にヘルプを頼まれて、揉めた末に半年の契約を引き受けたのだそうだ。
お前だってノンケじゃなかったのかと訊ねると、慣れりゃ意外にイケるもんだ、タチで指名されると勃たなきゃ始まらねェからちっと厄介だがな、という答えが返ってくる。

その時に限った話ではないが、彼はハイヒールを履いていた。自分と変わらない身長のはずの男は、ヒールによって上背が一層高くなっており、どうにも見下された気分がしたものだ。女性というには些か目立つ身長であった。

本人確認を取ることしか考えていなかった金時の肩口をベッドに沈めて、指名したからにはヤることヤんだろ、と呟いた土方の醒めた視線を金時は未だにはっきりと憶えている。

慣れた様子で施された愛撫と口淫は、金時に付け焼刃とは思えないほどの快感を齎したが、その時はそれだけで、土方が着衣を乱すことはなかった。

否、一部たりとも、というわけではない。

ひとつだけ。ベッドに乗り上げる際に脱ぎ捨てられたハイヒールと、刹那、ストッキングの下から覗いた濃密な赤のペディキュア。

これを目にした瞬間、金時はその姿に明確な昂奮を覚えてしまった。倒錯と背徳に導かれる痺れは甘美で昏い。言うなれば麻薬のようなものだ。その蜜を一度舐めてしまえば自らの意思ではもう抜け出せやしない。
或いはその赤さえなければ、金時が男相手にそうまで入れ上げることもなかったかも知れなかった。

金時がそのホテルを不定期に度々利用するようになったのはそれからの話だ。回数などもう把握していない。そんなことは最早どうだって良いことだ。


普段より強めの赤を纏った唇を執拗に食みながらシャツのボタンをいくつか外すと、その下の真っ赤なキャミソールが視界を侵す。

赤、赤、赤。

どくりと鼓動が上がったのと同時に、下に居る男の網目に覆われた足が布越しに己の股間を擦り上げた。

「最初はしゃぶってやっても中々勃たなかった癖に、何だよこのザマは」
「はは、ハマッちった」
「男触ってビン勃ちなんざ、てめーの客が可哀想で仕方ねェな」
「客のことは言ってくれるなよ」

土方の契約は六カ月。契約切れまでもうそろそろ日が無い。

契約期間を終えて土方がホスト業一本に戻ったら、恐らくもう彼に触れることは叶わないのであろう。
喩え土方がどう思うかを除いたとしても、まず自分のほうが単なるホストに戻った土方を相手に今のような欲情を覚えるかと言われると際どい。

温度の無い声で罵って口端を上げる姿と、客に向けて甘い言葉をかけて微笑んでいた姿の落差は激しい。

果たしてどちらが本性でどちらが演技なのか。
もしくは、このどちらもが演技であり、また別のところに本性を隠しているのか。
判らないが、確かな事実はある。

ホストの土方は指先に丹色を纏いはしない。

「女に貢がせた金で男買ってるたァつくづく下衆だな、鬼畜生」

嘲る声に弄ばれるように滲んだ熱情が脊髄を侵す。

この男がどんな顔をして何を言おうと、こいつは女装して身体を売っている人間だ。
これだけの居丈高な態度を以って、男に押し倒されてされるがままでいるしかない。対価に見合うだけの奉仕も最低限せざるを得ない。

その辺りが、金時自身が決してマゾヒストではないと思っているにもかかわらず彼の暴言に性的興奮を覚える材料になっているのだろう。燻る支配欲とネガティブな優越感。

金だったらいくらだって積める。

鎖骨を甘く噛んで金時は半ば身を起こした。

革製のミニスカートから伸びた脚を再び丁寧になぞると、太腿からくるくると巻き取るようにしてタイツを脱がしていく。それを爪先から抜き取れば、引き締まった左脚が全て露わになった。

右脚を覆う網目はそのままにして、晒された左脚をゆっくりと持ち上げる。

土方がその様子を無言で見つめていた。
滑らせた掌で足先を捉えて引き寄せる。

不意に、見慣れた深紅が網膜を灼いた。

くらり、眩暈のするようなある種の陶酔を以って金時は目を細める。
深い。それは呼吸を奪うような深い赤だった。
今にもどろりと滴りそうなほどに濃密な色が齎す、潮が満ちるような煽情。

ゆっくりと喉を鳴らして、金時はその爪先に一度舌を這わせた。

ただでさえ液体のような艶を放っていたジェルネイルが一層淫らに光る。

それはジャムに酷似していた。

固体と液体の狭間に顕現する硝子瓶の中身。指を突っ込んでぐちゃぐちゃに掻き回して、引き抜いた指を舐め上げればそれこそ官能的な甘さが待っていると。そう本能が知っているような、あか。
そう、これはジャムだ。べたついた色と甘い官能。纏わりつくような興奮にじとりと汗ばむ肌。
指先はすっかり温まっていた。

鮮やかに染まった親指を咥え、音を立てて吸い上げる。
ぴくり。掴んだ爪先が揺れた。

「……変態」

唇を離し、軽蔑で彩って吐き捨てられた声の方へと緩慢に視線を流す。
ウィッグの長い髪が上気した頬に数本貼りついていた。

土方は口元に冷笑を浮かべながらも、持ち上げられた自らの足と濡れているであろう唇を魅入られたように凝視している。
その瞳は女のように色っぽく潤みはしない。浮かべるのは食い殺されそうなまでに攻撃的な雄の本能。
蝋の如く溶け出した理性がぐらりと傾いだ。静かに満ちた興奮の臨海点で、倒錯感に引きずり落とされる。

今度はその目から視線を外さないようにしてもう一度親指を口に含む。

「変態、が」

繰り返された声音が微かに熱を帯びて上擦った。
此方を見つめる瞳の奥に、爪先から鮮やかなまでの赤が燃え移る。

今宵も幕切れ。生足に滴るジャムに劣情の火が点いた。



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