もう一度最初からはじめる | ナノ

恋は病気でしかない

「監督生がお見えとは珍しいね」
「あ、お邪魔してまーす……」

 庭園のバラは赤一色に塗り潰されていない。規律の鬼とまで評されたリドルも丸くなったのだと感じ、暫くハーツラビュル寮を訪れていなかったと思い出した。久方振りの「何でもない日のパーティ」はボードゲーム部での三人だけの活動に慣れていた監督生には刺激が強く、彼女はおどおどと背中を丸めて会釈した。

「つーか監督生縮んでね? この前より迫力無い気がするんだけど」
「気のせいだよ。その証拠に僕の方がエースよりずっと背が高いでしょ?」
「その言い方腹立つなー」

 先日のゴースト事件は無事解決し、まるでそんな事など無かったかのように各々が日常生活に戻っている。性別入れ替え薬の調達が済んだ監督生も晴れて平常運転に戻る筈だった。

「しかしこうして放課後に顔を合わせるのは久し振りだな。部活はいいのか?」
「あ……アハハ、しばらくお休みしようかなーって……」

 トレイの言う通り、普段の監督生ならば今頃ボードゲーム部にて盤面を囲っていたところだろう。本人としてもそのつもりで部室に赴いた。が、思った以上に自分は重症らしい。イデアを見るなり尻尾を巻いて逃げ出してしまったのだ。
 自分はイデアに恋をしてしまった。
 しかし当然周囲の人間はそんな事情を知る由も無く「あれだけの事をしたらな」と笑う。この場で唯一監督生の活躍を知らないエースが身を乗り出した。

「なになに? 監督生も熱唱した感じ?」
「エースは保健室行きになったから知らないだろうけど、あの夜の監督生は中々気合入ってたぞ。ビンタ食らった後もシュラウド先輩の為に花嫁ゴーストとタイマン張ってて!」
「知らないと言えばイデア先輩の花婿姿は中々良かったね。いつもあれぐらい身なりを整えてくれていたら寮長として及第点なんだけれど」
「あのイデア先輩がちゃんとしたカッコしてたとかマジすか? 俺も見たかったー!」
「それなんだけど、みんな見て見て? けーくん隠し撮りしちゃった!」

 ニヤリと笑いながらケイトがスマートフォンの画面を披露した。見てしまえば絶対に息が止まってしまう。そう直感した監督生は必死に目を背ける。

「このイデア先輩イケてんじゃん!」
「さすがダイヤモンド先輩は写真撮るの上手いっすね! 監督生も見てみろよ!」
「僕はいいって!」

 わざわざ写真なんて見なくともあの日のイデアの姿ならば充分過ぎるほど目に焼き付いている。品の良い恰好に似つかわしく無い普段通りのおどおどした立居振る舞い、その癖一丁前にプロポーズなんてして見せて──
 薬指に引っ掛かったあの指輪の感触を思い出し血の気が引いていく。不意に脱力し、ガシャン、握っていたティーカップが地面で派手な音を立てた。

「す、すみません! 高そうなのに割っ……痛っ!」

 幸いにも紅茶は冷めていたので火傷には至っていない。ただ慌てて破片を素手で掴んだせいで、監督生の指先に血が滲む。
 それでも尚ぼんやりと破片を拾い集める監督生の腕をトレイが引っ張った。やはりよろめくのは彼女自身ではなく引っ張り上げたトレイの方で、前にもこんなことがあったと血が冷たくなっていく。

「噂通り軽いんだな……じゃなくて、少しの傷でもバイ菌が入ったら大変だ。デュース、救急箱を持って来てくれ!」
「あ……はい……」

 こう言う時イデアだったらどうするだろう。
 面倒見が良く冷静なトレイとは違い、おろおろしながら「監督生氏、ちちち血が出てますぞ!」と慌てふためくのか「ドジっ子乙」と茶化すのか。成績だけは優秀な彼のことだからパッと治癒魔法を掛ける姿も想像できる。
 イデアの事を考え上の空になる監督生の額に、心配そうにトレイが手を当てた。「熱は無いみたいだな」と苦笑する姿はいかにもトレイらしい。

「浮かない顔だが悩み事か?」
「……トレイ先輩って結構鋭いですよね」
「伊達に副寮長をやっていないからな」

 手当をしながらさらりと放たれるトレイの言葉に胸が跳ねる。もしかしてエース達にもバレていないだろうか、という監督生の懸念も分かってくれているかのように「あいつらも親友の異変にぐらい気付けないとな」と付け加えた。
 たかだか恋心でこれまで散々世話になったトレイをはじめとするハーツラビュル寮生に迷惑を掛けるならば、こんな気持ち自覚しなければよかった。何がいけなかったのか。大元はツイステッドワンダーランドなる異世界に来てしまったことであるが、ソレを度外視するならば昨日の一件だ。何も知らなければこの日の自分は頭を空っぽにしてお茶を嗜んでいたに違いない。

「……記憶消して最初からやり直したい」
「精神操作魔法も時間素行魔法も使えない俺で良ければ話ぐらい聞いてやるが」
「え、えーっと……」

 トレイとイデアは同じ三年生だ。けれど特に接点があるようには思えない。先日のゴーストの一件からイデアが他の生徒からあまりよく思われていないこともわかってしまっている。
 相談するにも出来ず口籠る監督生の肩にトレイが手を置いた。

「まあ監督生にも色々あるよな。悩み事ならアズールに相談するのが一番じゃないか?」
「そっか……! アズール先輩の黄金の契約書があれば」
「部活の後輩相手に対価は求めて……いや、あいつのことだからわからないな。後片付けは俺らでやっておくから気にするな」
「ありがとうございます! 今度改めてお詫びとお礼させてください!」

 アズールの守秘義務遵守と契約履行能力は先の定期テスト事件が証明している。監督生の抱える悩みを相談するには適任だと言うのに、何故こんなに簡単なことに気付かなかったのだろう。
 トレイに深々と頭を下げて、監督生は単身モストロ・ラウンジに乗り込んだ。

[newpage]

「いらっしゃいませ。おや、監督生さんですか。アズールなら本日は部活に顔を出しているはずですが」
「げ、ジェイド先輩。今日はお客さんとして来ただけなので!」

 生徒の社交場を謳うモストロ・ラウンジだが、大人びた店内の雰囲気やドアマンの人選の所為でとても健全には思えない。いいや、この双子がいるからこそ柄の悪いNRC生も大人しく出来るのだろうか。大食堂では品無く騒ぐ学生諸君も抑止力を前に背筋を伸ばして食事やドリンクを楽しんでいる。

「小エビちゃんだぁ。ポイント貯めに来たの? いくらアズールでも身長縮める薬とかは作れねーと思うんだけど」
「そうじゃなくて! まあ確かに、大き過ぎて目立つのは嫌ですけどもう慣れましたし……」

 まるで異世界のような空気感であるが、ここでも囁かれる言葉は同じだった。男ばかりのこの学園でも監督生の今の姿は浮いている。
 バーカウンターに腰掛けた監督生は極力目立たないように長身を丸めた。

「俺はプランクトンみたいな小エビちゃん見てみたいけどー。はい、スペシャルドリンク。俺からのサービス」
「えっ? ありがとうございます!」

 良いグラスは飲み口が薄いのだと聞いたことがある。濡れた指でソッと縁をなぞれば甲高い音がなりそうなグラスに恐縮しながら監督生はドリンクに口を付けた。ハーブが香る爽やかな味わいに緊張が解れていく。
 部活サボったんでしょ、とフロイドがニヤニヤ笑いながら言った。そのフレーズに嫌でもイデアの姿を思い出し息が詰まる。手元のグラスをカタカタと揺らす彼女の傍にジェイドが近寄った。

「こちらポイントカードです。アズールがいつもお世話になっておりますのでおまけさせて頂きました」
「ありがとうございます……!」

 あの事件以来モストロ・ラウンジはポイントカードを導入している。対象のフードやドリンクを注文する毎にスタンプが押されていき、全て貯まるとアズールが無償で願いを叶えてくれるのだ。
 ジェイドがあらかじめ押してくれたスタンプは二十個、毎日通い詰めたら週末には貯まり切るラインだ。

「食事もいかがでしょうか? 異世界からのお客様の舌に合えば幸いなのですが」
「そうしたいんですけど、アハハ……僕、貧乏なので」

 なのだが生憎監督生には金が無い。
 食費を浮かせる為にわざわざ毎日弁当を作っている程なのだ。大食堂すら滅多に使わない監督生が毎日モストロ・ラウンジで飲食出来る筈が無い。
 こんな事になるならばと監督生は久々に大きな溜息を吐いた。オーバーブロットの一件後、迷惑を掛けたお詫びがしたいと食い下がるアズールに彼女は「だったらモストロ・ラウンジでグリムに美味しい物でも食べさせてあげてください」などといい子ぶった依頼をして見せた。
 ただ、どの道あの時点ではイデアに対して恋愛感情なんて抱いていなかったのだ。タイミングの悪さにもう一つ溜息を吐く。

「ジェイドー、新メニュー考えんのだりぃんだけどー」

 新メニュー、そのフレーズに監督生は顔を上げた。
 モストロ・ラウンジは雰囲気の通り洋食をメインとしたレストランである。スカラビア寮の助力なのか熱砂の国の料理散見されるが、それでもメニューは豊富とは言い難い(いや、高校生が経営しているにしては立派過ぎるのだが)。
 思わぬサービスへのお礼もしたい。立ち上がった監督生はリーチ兄弟を見下ろす形になっており、あまりに急な行動にさすがの二人も彼女を見上げぽかんと口を開けた。

「前の世界の料理でよかったらお教えします! て言っても家庭料理なんですけど」
「それは興味深いですね。フロイド、早速準備しましょう。僕たちのエプロンならば監督生さんにも合うでしょう」
「超楽しそうじゃん! 小エビちゃんよろしくね?」

 味見と称してつまみ食いさせてもらえるならば夕食に掛かるお金もいくらか浮く。浮いたお金でスペシャルドリンクを頼めばポイント問題も解決だ。ついでに言うと、部活に顔を出さない言い訳まで完成した。
 これでお返しもモストロ・ラウンジに通う理由も出来てしまった。意気揚々とドリンクを飲み干した監督生は時計を確認した。十六時、あと三時間は男の姿でいられる。

[newpage]

 金曜の夜にイグニハイド寮に遊びに行く。そんなルーチーンをすっぽかしたのは初めてだ。
 あれから毎日ここを訪れて料理教室を開いている。最初こそ乗り気だったフロイドもいよいよ飽きてきたらしい。「特性寿司」と称して食紅たっぷりのシャリをかき混ぜる姿を見て、とんでも和食はこんな感じで作られていたんだと納得した。

「陸にも生魚を食べる文化があるとは驚きました」
「こっちとしては『つまみ喰い』って言ってお魚丸呑みする先輩達の方がビックリでしたけど」
「小エビちゃん見てー! シャリで作った小エビ寿司」
「食べ物で遊ばないでください」
「監督生さん!」

 厨房の扉が開くと同時に耳慣れた声が彼女を呼んだ。その姿に監督生はギョッとする。時刻は十七時、普段であればまだボードゲーム部の活動時間だ。
 声の主、アズールは「やれやれ」と言った風に眼鏡を持ち上げた。

「まさか本当にお越しになっていたとは。監督生さん、一体何を企んでおいでなのですか?」
「企むとかアズール先輩と一緒にしないでください。リーチ先輩達が和食気に入ってくれたみたいなんで教えに来てるだけですよ」
「わざわざスペシャルドリンクに代金を払った上で、ですか?」

 邪な気持ちがバレてしまったのかと背筋が凍る。ボードゲーム上でも惨敗を喫する自分がアズールを出し抜くなど無理があった。
 すみませんと、謝ろうとした矢先にアズールは見た事も無いような剣幕でシンクに拳を叩きつけた。

「これでは取引になりません! 本日からバイト代をお出ししますので、正式に指導役としてモストロ・ラウンジで働いてください!」
「あ……そっちですか」

 あくまで真面目なアズールは監督生をVIPルームに引きずるや雇用契約書を作成し始めた。黄金色では無くただの紙の契約書に記される事細やかな雇用条件に頬が弛む。時給に労働時間、職務内容のどれを取っても魅力的だ。生活費もカツカツなので断る理由も無い。
 二つ返事でサインを書く監督生にアズールはポツリと呟いた。

「監督生さん、イデアさんと喧嘩でもされたんですか?」
「えっ? い……いえ、全然! そんな事ないですよ!」

 不自然な程に慌て始める監督生を片目にアズールが溜息混じりに眼鏡を拭う。フレームに隠れていた下瞼には深い隈が影を落としていた。
 余程疲労が溜まっているようだが彼女を睨む眼光は鋭い。恐怖心と後ろめたさ、イデアを思い出したことで背筋に妙な汗が伝う。

「でしたら来週は必ず来て下さい。イデアさんのケアが面倒なんですよ……おかげで一週間、ラウンジの仕事を深夜までする羽目になって散々です!」
「イデア先輩のケア……?」
「あなた、チャットも返していないようですね。監督生氏に嫌われた、好感度がマイナスになっただとか騒いでうるさいんです」
「……へ?」

 嫌われた、好感度マイナスだなんて的外れもここまで来たら笑えてしまう。事実はその真逆で、監督生はイデアを意識するあまり顔を合わせられないのだ。
 脱力してケタケタ笑い始める彼女にアズールが軽蔑の視線を送る。「どうして我が部活は変人しかいないのでしょうか」と自らを棚に上げた発言を洩らしながらアズールは監督生の背中をバチンと叩いた。

「いった! アズール先輩腕力強過ぎません? 体力育成最下位のくせに!」
「最下位でなく下から三番目です! とにかく来週は必ずお越しください。これは雇用主からの命令です!」
「それ労基法違反だと思うんですけどー」
「ロウキホウ? 訳の分からない事ばかりおっしゃるなら次は物理的にその身長を縮めて差し上げますよ。とにかく、月曜は必ず部活に顔を出すこと!」
「ハイ、ワカリマシタ……」

 月曜日がひたすら憂鬱だ。イデアを前に平常心を保てる気がしない。

 心の準備をすべくオンボロ寮に戻らんとする監督生の腕を、今日一番の力強さでアズールが引っ捕らえた。「労働時間は十九時半までです」と語るその横顔は今まで見たどの瞬間より活き活きと笑っていた。

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