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わたしはあくまで男である

 イグニハイド寮長、イデア・シュラウドの自室、絢爛豪華な他寮とは打って変わって雑多な部屋である。難しそうな書籍が並ぶ本棚、そこかしこに散らばる段ボール、ベッドのサイズはシングルだろうか、毛布がだらしなく床に半分落ちている。
 その中で一際異彩を放つのが直立したまま電源を落とすロボットだった。

「弟のオルト。まだ会ったこと無かったよね」
「噂には聞いてましたけど、実物見るのは初めてです」

 イデアが自律型のロボットを弟と呼び常時一緒に過ごしている話ならば聞いたことがある。彼が異端の天才と評される一因はこの弟の存在だろうと監督生は感じた。
 「弟」のパーツを撫でながらイデア先輩は落胆するように肩を落とした。

「本当はオルトも一緒に遊びたいんだけど、金曜はバッテリーの都合もあるし早めに眠ってもらってるんだよね。そのうち紹介するから」
「一週間って子供にとっては疲れちゃいますよね。楽しみにしてます」

 バッテリーなどと言うおおよそ人間には使わない言葉に呆気に取られながらも頷いた。異世界の事だから、弟がロボットだなんてのも儘ある話なのだろう。それにそんな不思議な家族事情より気になることがあるのだ。
 脱ぎ捨てられた服、散らばる駄菓子のゴミ、デスク上のマグカップには茶渋がこびり付いている。親元を離れた男子高校生の部屋がこうも自堕落に散らかる理屈なら分かるが、監督生の友人はかの厳格なハーツラビュル寮生だ。それなりに整頓された部屋ばかり見てきた為に、電灯に反射した糸埃が舞う様に監督生は「うわ」と思わず声を漏らした。

「え、何……がけもツアーライブディスク初回生産限定盤のタペストリーがそんなに気持ち悪かった……?」
「そうじゃなくてイデア先輩、最後に掃除したのいつですか?」
「オルトとPC周りなら毎日埃取ってるけど……」

 確かにパソコンとモニターに限れば綺麗なものだ。生活感のあふれる部屋を前に監督生は決意した。

「掃除させてください!」
「ど、どこに何があるかは分かってるからそんなことしなくても良いと思うんですがそれは」
「こんなに埃してたら病気しますって! 先にゲームやっててください」
「あ、あざーす……」

 言うや監督生はビニル袋を手に取った。生ゴミが無いことは幸いだ。ひたすらゴミを集める監督生にイデアは時折「それはダメ」とか心許なく指示を出す。オタクと言うものは面倒臭い生き物なのだ。他人から見たらどう考えてもゴミにしか見えないものでも宝物である場合が往々にして有り得る。
 別に断捨離をさせたい訳でも無いので素直に聞きながら、袋をイッパイにした監督生は次に洗濯物の整理、埃を叩いて掃除機の場所を尋ねる。
 「これでいい?」と言うやイデアはドクロのデバイスを振るった。風と共に空間にポッカリと穴が空く。その深淵から業務サイズの掃除機が現れた。

「わ……召喚術、ですよね? 初めて見ました!」
「初めてが掃除機でスマソ。監督生氏、ほんとにもう良いんだけど……」
「ここまでやったんですから一通り済ませちゃいますよ! なんか燃えて来ました」
「はあ、そう」

 言いながらイデアがゲームに戻る。横目で見た画面はいかにも平面的で、元の世界とは大差無い解像度だ。
 演出から察するにこれから始まるのはボス戦だ。このまま黙るのだろうと思っていたが、イデアは思い掛けないセリフを放った。

「監督生氏って見掛けによらず家庭的なんですな。なんていうか、こういうお嫁さんもらえたら幸せなんだろうね」
「お嫁、さん……」

──×××ちゃんはきっと良いお嫁さんになるよ
 不意に誰かの声がフラッシュバックして監督生は頭を抱えた。元いた世界の記憶だろうか。だとしたらその声は自分の母かもしれない。しかし彼女はその声に聞き覚えが無い。
 掃除機のコンセントを手に持ったまま固まる監督生に、イデアがコントローラー片手に「どうかした?」と声掛ける。

「……大丈夫です。ちょっと立ちくらみして」
「身長が高い分血液送るのも大変そうですな。ねえ、掃除はいいからゲームやろうよ。もうすぐ八時だし」
「え、八時!」

 掃除に夢中になる余り忘れていたが、テレビ画面下の時計はすでに19時半を回っている。天才と名高いイデアの事だから「性別入れ替え薬」を取り出そうものなら勘付かれるに違いないだろう。そうで無くとも平気な顔であの不味い液体を飲み干せる自信が無い。

「先にお風呂入りません? えっと……あ、そうです! 走ったし掃除もしたから汗かいてて!」
「それもそうですな。寮の浴場でもいいけど手っ取り早くここのシャワー室使う?」
「え、この部屋シャワールームまであるんですか!」

 大人数で入浴するのが嫌だから寮長室の一角を改造したのだと、イデアが入口付近の扉を指差した。リドルやレオナの部屋と違い手狭に感じたのはその所為らしい。
 願ったり叶ったりの状況である。が、監督生は一つ大切なことを忘れていた。お泊まりセットを慌てて準備したは良いものの、普段夜は元の姿で過ごしている為この身長に合うパジャマが無い。
 運動着を持ってくるべきだったと頭を抱える彼女にイデアは「洗ったばっかりだから使って」とクローゼットを開けた。

「僕の服、オーバーサイズだから監督生氏でも問題無いと思うんだけど」
「助かります! そしたらお先失礼しますね」

 お手製とは思えない程しっかりした造りのシャワールームで、鏡に映る監督生は見る見る小さな姿に戻っていた。間一髪だ、もしイデアの指摘が無ければあの場で縮んでしまっていただろう。
 服を脱ぎ、清掃の行き届いた浴室の中で監督生は今更ながら肝を冷やした。異性に服を借りるだなんて、ましてや二人きりで一夜を過ごすなんて初めてだ。気にし始めると異様なまでの恥ずかしさで頭がイッパイになってしまう。

「わたしは男わたしは男わたしは男……」

 今の自分は元いた世界でも見たことが無い程の長身で、喉仏は出ているし声も低く、胸に乗るのは脂肪ではなく程良い筋肉だ。ここが異世界とは言えこの姿を見て「女性」を連想する人間はいないだろう。
 オンボロ寮で使っている安物のシャンプーとはまるで質の違う高価なシャンプーで髪を洗う。こう言う時は関係無いことを考えるに限る。イデア先輩って髪が燃えてるけど濡れたらどうなるんだろう、あの人青と黒のボーダーの服以外持っていないんだろうか、変身薬の味って何とかならないかな、どうして外国人は皆ユニットバスに満足できるんだろう。
 身体を拭き終わった頃、薬効により鏡の前の監督生は見る見る男の姿に変わっていった。外国仕様の寮の天井は高く、この高身長でも頭を打つことは無さそうだ。

 気持ちを切り替えよう。僕は男だ。少なくとも今は。

 入れ替わるようにシャワールームに向かったイデアを見送り監督生は精神統一と言わんばかりにレトロゲームを起動した。
 
「思った以上の脳筋プレイ! 開発者も枕を濡らすレベル!」
「うわっ、イデア先輩! ちゃんと足音立てて歩いてくださいよ!」
「何度も声掛けたのに熱中してたのはそっちだと思うんですが」

 何回コンテニューを繰り返していたのだろうか。第一ステージの突破すらままならない監督生の頭をイデアがわしゃわしゃと撫でる。子供を窘めるようなその仕草に、アクションゲーは苦手なのだと漏らしながら監督生とイデアはゲーム画面に向き直った。

「やっぱりゲームはドット絵が一番ですよね」
「監督生氏にもそのロマンが分かるとは! この時代のドット絵は最早芸術の域に達している件について。大体最近のゲームはやれ画質だやれオープンワールドだとリアルに寄せて来て、まあそれもいいんだけど想像力と言う点では──」

 実写のように画質で自由度の高いネットゲームには驚かされたが、やはり馴染み深いのは古いRPGや横スクロールのアクションゲームだ。近未来的な空中モニターに繋がったレトロゲームを指差しイデアは早口で「ゲームとは世界観が全てだ」と語っている。

「監督生氏はどういったジャンルがお好みで?」
「前の世界じゃ格ゲーばっかりやってました。RPGって中盤絶対に謎解き挟むじゃないですか? 頭使うの苦手だからあんま得意じゃなかったんですよね」
「ボドゲ部でも連敗記録更新中ですしな」
「それは言わないでくださいって!」

 部活の時とはまた一味違う饒舌なイデアに親しみが湧いて来たのは、何も趣味が合致した所為ではなく彼が心を開いてくれているからだろう。その証拠に普段は下手くそに吊り上げられている口元は自然と弛んでいて、心無しか言葉端も柔らかだった。





 男の姿で寮に帰った監督生をまず最初に迎えたのはゴーストからの安堵の声だった。感触の無い抱擁を浴び、次には朝帰りをした娘を迎える母のような叱責が飛んで来る。年頃の娘が外泊なんてとんでもないと言うのが彼らの主張だった。

「お前が女の子の姿で戻って来たら相手の男を呪い殺すところだったよ!」
「俺様も心配したんだゾ! どこに行ってたんだ?」
「部活の先輩のとこ。大丈夫だって、あっちはわたしが男だって信じてるから」

 帰り着いたのは朝七時、結局徹夜でゲームをしてしまった。
 午前四時頃からはイデア一推しのB級映画を見ながらポップコーンを摘まんだのでお腹もイッパイだ。楽しかったが疲れた。目の奥が痛む監督生は借りた服のままベッドに入る。

「子分! 風呂に入ってから寝るんだゾ!」
「先輩の部屋でシャワー浴びてるから」
「この子ったら男の部屋でシャワーまで! よく見たら知らない服を着てるじゃないか!」
「ちゃんと薬飲んでたからだいじょーぶだって。来週も先輩の部屋でゲームするからよろしく。それじゃあおやすみ……」

 するすると、身体が縮まる感覚がする。元の姿にイデアの服は大き過ぎて、監督生はそれをブランケット代わりに眠りについた。



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