もう一度最初からはじめる | ナノ

友達

 闇の鏡に淀みなく「イグニハイド寮」と告げた監督生は、番犬ケルベロスにおやつを与えてまんまとその寮内に乗り出した。他のどの寮とも異なる近未来的な談話室、渡り廊下は最早自分の庭のようなものである。
 寮長室に至る廊下を渡る都度、監督生は思うのだ。記憶を消して最初からやり直すことが出来たとして自分はイグニハイドに興味を持つのかと。
 もしそうして入学式の日に自分が戻ったとしたら、シャンデリア破壊事件や最初のオーバーブロット事件の後、同じクラスで馴染み深いエースとデュースにべったりで特定の部活には入らず流れるままに学園生活を満喫していたことだろう。となると自室からほとんど出ないイデアと対面する機会はまず用意されておらず、したがってアズールに恋愛相談持ち掛けることもない。

 有り得た筈の未来は決して空虚な物では無いはずなのに、ソレを、想像すると胸が苦しくなるのだ。叶うはずの無い片思いに神経をすり減らす自分をもう一人の自分が嘲笑っている。どうせ叶いっこないのにと笑っている。

「あーだめだめ、そう言うのやめてって言われたんだから!」

――ぼ、僕のこと忘れたいって思われてるみたい、で! いや違うってのは分かってるよ!

 そもそもこの願望は口癖のようなもので意味なんてどこにも無いのだ。けれど最初に元の姿で対峙した時にイデアは確かにそう言った。
 何気無い一言がイデアにとっては呪詛のように響いている。長い廊下の先にいる女の自分を振り払うように、突き当りの寮長室の扉を三度ノックした。こうしたらイデアが迎え入れてくれる、ソレが通例の流れだったのに、開いた扉の先に誰もいない。
 ついにドアまで自動化したのか。怠惰なのか革新的なのかわからないイデアに溜息を吐いた監督生はハッと視線を下げた。今日は関係を一歩前進させるのだ。そんな野心はモーター音に吹き飛んだ。

「オルトくんだ! 久しぶり、新しいバッテリーはどう?」

  金曜夜のゲーム会にて、これまでオルトは睡眠を決め込んでいた。この魔法の世界でもバッテリーやAIといった科学的な要因がヒトに用いられるものでは無いことは最近知った事実である。オルトは人間ではない。
 しかしイデアはあくまで機械のオルト・シュラウドを弟と呼ぶ。兄のイデアとは正反対の明るくて人懐こい性格、だからこそ可愛い弟分として監督生も好いていた。
 久々にオルトが起きているのだから恋愛感情は抜きにして今日は遊びに没頭しよう。頬を軽く叩いた監督生はその低い視線に膝を折る。

 ただオルトは、丸い瞳をいっそう丸く見開くばかりだった。

「どうしてあなたは僕のバッテリーが最新型に切り替わったことを知っているの?」
「イデア先輩が言ってたよ。一緒に遊べるの嬉しいな。三人でやる為にスターローグは中断してたんだ。今日こそはクリアして――」
「兄さん! 知らない人が来たんだけれど、どうしたらいいの?」

 知らない人。
 無邪気な高音から繰り出される不敬な言葉に疑問符が浮かぶ。オルトは地に足を付けないふわふわした足取りで部屋の奥に消えた。
 代わりに現れたのは兄さんことイデアだ。最初こそ不審な来訪者に警戒線とビクビク震えていたイデアであるが、屈んでもなお存在感を放つ長身を前に胸を撫で下ろした。

「オルト、あんまり驚かせないでよ。見知らぬ輩が押し掛けて来たとか言うから心臓が止まるかと……」
「兄さんは何を言っているの?」
「はぁ〜〜……。あのさぁ、オルト。散々話したし前にも会ったことあるでしょ」
「メモリーを検索してもこの人のデータは無いけれど……」

 ただの悪ふざけとは思えない。純然に、純粋に目の前の監督生への不信感を募らせるオルトは戦闘態勢に移行すべく魔導エネルギーの充填を始めていた。
 オルトが兄のイデアに対して過保護であるのは最早周知の事実である。喧嘩ッ早いAIを前にイデアは慌てて「ストップ! ストップ!」と声を荒げた。

「どうして止めるの? この人、魔力は感じないけれど兄さんに害をなすかもしれないのに!」
「だ、だから何を言っているんでござるか。オンボロ寮の監督生氏、会うのは二度目の筈だけど?」
「アハハ……久々過ぎて忘れちゃったんでしょうか」
「オンボロ寮の監督生さん……?」

 先日のバッテリー交換が原因かもしれないと言ったイデアはオルトに言い聞かせるように監督生の特徴を語った。異世界から来た魔法が使えない子、2メートル以上の長身、ボドゲ部の仲間、格ゲー以外は雑魚、ゲーム友達、一部聞き捨てならない紹介があったのには目をつぶってやろう。
 そこまで話すとオルトは「そういうことなんだね!」と意味深に笑い、にこやかに監督生を迎え入れた。数秒前には敵視されていたのにこの変わりようは恐ろしい。しかし苦言を呈すにはオルトは幼過ぎる。

「お邪魔します……」
「靴のままでいいのに。監督生氏ってやっぱ変わってるよね」
「いらっしゃい! 監督生さん!」

 恐る恐る部屋に立ち入るも、オルトは人が、いいやセキュリティが変わったかの様に朗らかだ。一体何があったのだろう。
 三人では若干狭い寮長室で空気を変えるように、イデアがレトロゲームを起動した。

「三人でスターローグするのってゴースト事件以来だったよね? 今日でナンバリングを一気に進めますぞ!」
「新作出るんでしたっけ。オルトくん……が嫌じゃなければ、この前みたいにヒント出してくれると助かるな」
「うん! 監督生さんと兄さんのサポートができるように僕がんばるよ!」

 遠慮がちに部屋の片隅に座る監督生をイデアの隣に押しやったオルトが的確な指示を繰り出す。やはり記憶系統にバグがあったに過ぎないのか。考え過ぎだ、気持ちを切り替えよう。
 イデアからのアクション以外で初めて右手で左耳を掴んだ監督生は深呼吸をしてゲーム画面に向き直った。オルトのヒントは的確なものの、プレイングの甘い監督生は何度もゲームオーバーを繰り返す。

「やっぱ無理! オルトくん、代わりにやってよ!」
「オルトに頼ったらTASになっちゃうでしょ。中ボス戦は覚えゲー故頭の弱い監督生氏には酷でしたかな?」
「もー! 兄さん、あんまり監督生さんをいじめちゃダメだよ?」
「そ、そんなつもりはなくて……」

 監督生を煽るイデアを慎重に諌めてくれた。ゲームとなると強気になる自室の君もしっかり者の弟を前にすると萎縮するらしい。「そこはボムを使うべきでは……」などと普段では比較にならないぐらい控え目な指摘が心地良い。
 ストーリーも中盤、ナンバリング作品特有の中弛みする展開に欠伸を漏らす監督生にオルトがクスクスと笑った。

「監督生さんの睡眠指数が上がってるよ。今日はもう眠ったほうがいいんじゃないかな?」
「帰るのめんどくさい……イデア先輩、オンボロ寮まで逆召喚してくださいよー」
「監督生氏デカくてコスト高いから無理ゲー。あ、その面安地あるから左下で×ボタン押しっぱしてて」
「じゃあ床で寝ますから」
「ダメだよ! 監督生さんはオンボロ寮に帰るの!」

 深夜三時、船を漕ぐ監督生の肩をオルトがぶんぶんと振り回す。あ、少し目が覚めてきたかも。
 思うは束の間、機械仕掛けの容赦ない攻撃にあまりの勢いに脳がシェイクされるようで具合が悪くなってきた。

「オルト、ダメでしょ! 監督生氏死にそうな顔してんじゃん!」
「兄さんは監督生さんをオンボロ寮まで送ってあげて! 早く!」
「そ、外に行くのは……監督生氏迫力あるしゴーストも近寄らないと思われ……」
「いいから!」

 普段の優しいオルトとは打って変わって強引だ。監督生の一人で帰ると言う声を押し切り「送らないなら魔導ビームを撃つ」とまで脅迫してくる。こうなったオルトは言う事を聞かないのだと頭を抱えたイデアにより、結局寮長室を追い出された二人は顔を見合わせた。

 取り急ぎフードを被ったイデアが自室内の鏡に手を当てた。行き先はあくまで鏡舎、オンボロ寮だけ闇の鏡が繋がっていないのも不便なものだ。だが都合良く二人きりになれたのだ。このチャンスを利用しない手は無いと、監督生は心の中で親指を立てる。

「今日のオルトどうしたんだろう。監督生氏のことも最初は認証できてなかったし、もしかしてウイルス混入? 重大なバグ? 拙者が作った天才的セキュリティに入り込む余地なんてない筈だけど万が一と言うことが……」
「お兄ちゃんを取られたと思って嫉妬しちゃったんじゃないですか?」
「だとしたらこうして二人っきりにはしないでしょ。しかしまあ確かに今までこうして友達とゲームすることとか無かったし……監督生氏?」

 友達。そうだ、イデアとの間柄は「友達」なのだ。それ以上の関係になんて有り得ない。
 先日のコスプレ会での一件や自分の中で吹っ切れたことを思うと確かに進展している筈なのに、ソノ言葉が重くのしかかる。顔面から血の気が引いて行く。ゆるゆると、右手で左耳を触る監督生はしかし、それでも平静を装えずにいた。

「も、もしかして友達って思ってるの拙者だけだった? 先輩相手だから無理矢理付き合ってくれてたとか?」

 もし自分が赤面癖だったとしてもマイナス方向の誤解を生んでいたのだろう。不安そうにフードを被るイデアは小さくて、人間離れしたように神秘的で、遠く見える。

 一人で勝手に盛り上がって、そもそも自分は一体何を望んでいたのか。アズールに最初に伝えた契約内容を思い起こす。『今までのままでいいです。部活で煽り合いして、一週間に一度ゲームしたり漫画読んだりして、イデア先輩が卒業してからも年一回ぐらい会って遊ぶとか。それぐらいの関係でいいんです』。
 現状に即している。その筈なのに胸の奥には鈍い感情が燻ぶっていて、どうしても素直に喜べなかった。思い悩む内にもイデアの燃える髪は自信を失うように弱弱しく萎んでいく。
 気持ちを改めなければならない。親指の爪を人差し指根元に食い込ませ、監督生は笑顔を繕った。

「……そんな理由でコスプレまで付き合うわけないじゃないですか! 僕もイデア先輩のことマブダチって思ってますよ!」
「よ、よかった……。監督生氏最近青い顔すること多いから、その、気持ち悪がられてるんじゃないかって、不安で……」

 安心を元に不器用に笑いながら、イデアはオンボロ寮前で監督生を見上げた。

「それじゃあおやすみ」
「送ってくれてありがとうございました……先輩も、ちゃんと寝てくださいね」

 揺らめく青白い炎はしかしオルトの不具合が気になるらしく、ぶつぶつと難しい言葉を呟きながら闇に紛れていく。背中を全部見送って監督生は玄関扉を閉めた。





 アズールとの反省会は定例行事と化しているが、この休日は互いに多忙を極めている。モストロ・ラウンジの異世界食フェア、監修者を務めるだけで重圧に潰される気持ちであるが、余計な事を考えずに済むのはむしろ幸いとも思える。
 グリムとゴースト達が談話するオンボロ寮で試作品を並べながら監督生は数ヵ月ぶりに大きな溜息を吐いた。

「子分、大丈夫か? 顔が真っ青なんだゾ!」
「……大丈夫。グリム、コレ美味しい?」
「ふな、苦過ぎて食えたもんじゃねーんだゾ!」

 前の世界では山菜料理は普通だったなどとジェイドに言ったのが間違えだった。
 『山を愛する会』会長のジェイドはその言葉に感銘を受け、おおよそ消費し切れない程の大量の山菜を採取し監督生に押し付けた。コレを上手く調理できる程のスキルは持っていないし適切な調理方法もツイステッドワンダーランドには存在していないことだろう。
 薄味好みの日本人ならば灰汁を抜いただけで食せるだろうが、どうするべきか。悩む監督生は鍋を放り出し気分転換に机に向かった。

「勉強しよ……」

 無心になる為にイデアら貰った資料を引き摺り出す。基礎から細かく書き込まれた対策ノートのおかげでこの世界の常識がするする入ってきた。エーデュースとの勉強会の折には気が付かなかったが、その中には「性別入れ替え薬」の項目もある。

「性別入れ替え薬は人間を騙す薬で、その効果は写真を見た者にも発揮される。へー、凄。確かにケイト先輩のマジカメ見てもわたしって超長身男のまんまだったっけ」

 最初に思い描いた異性像に姿が書き換わる。魔法士にとっては劇薬。効能はキッカリ12時間。
 これまでの異世界生活で根付いたルールはすんなりと飲み込めるもので、この瞬間だけは自分も天才になれたような心地好い気分に満たされる。百聞は一見に如かずとはよく言ったものだ。

「……十分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない。つまり科学技術は魔法を凌駕する、ねえ」

 前の世界には超常現象こそあれど魔法は存在しなかった。常識だけを反芻した監督生はツイステッドワンダーランドの異質さを噛み締める。
 気持ち悪くないの? いつかイデアはそう自分に問い掛けた。燃える髪を握り締めたあの儚い姿は昨日のようだ。 
 あの当時は「魔法の世界だから髪が燃えてるのも普通なんだろう」と思っていた監督生であるが、生徒数の多いNRCや街の雑踏の中さえも一人も同じ特徴を持つ者はいなかった。

 シュラウド家は呪われている。本人や周囲から再三聞いた評判を回想しながら監督生は目を伏せる。別に、髪が燃えているから好きになったわけではない。髪が燃えているから恰好良いと感じたわけでもない。
 それを伝えるには今の自分はあまりにイデアと関わり過ぎている。

「やっぱ、記憶消して最初からやり直したい」

 イデアは人間関係を築き上げるスキルが足りない。その原因がシュラウド家だとか燃える髪だとか、呪いめいた理由に起因することは理解している。
 だからこそ何も知らない状態で幼いイデアに会えたなら、自分ならば全て肯定すると約束できる。髪が燃えてるなんてカッコイイ、わたしもそうなりたい!
 そう称賛する人間がいたならば今のイデアはもっと自己肯定感を持てただろう。

 記憶を消す、時間を戻す。非現実的な言葉にそれでも希望を見出してしまうのは魔法の世界が成す幻想のせいだ。掌から炎や水や草木が舞うなんて考えたことも無かった。瞬間移動なんて有り得なかった。ヒトの想像する不思議の全てを成すこの世界で、自分の願いが淘汰される謂れは無い。

「……ま、無理なんだけど」

 急に現実に立ち戻った監督生は資料とノートをパタリと閉じてキッチンに戻った。目下、異世界食もとい和食フェアを成功させなければならない。前の世界での記憶のほとんどが思い出せない中、腕と舌に沁み付く和食の味こそが自分を自分たらしめる証明なのだ。

 気分転換に山菜を出汁に突っ込んだ。ソレだけではない、冷蔵庫の奥深くに眠る食材全てをぶつ切りにして鍋に放る。自棄を起こしたと笑うゴーストらの声なんて聞こえないフリをすれば好い。
 出来上がった闇鍋を啜った監督生は何かに取り憑かれるように鍋をかき回した。今のわたしって錬金術師みたい。高笑いを洩らす魔女のような彼女を前に。グリムが獣よろしく毛を逆立てていた。

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