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マブダチとの雑談

「今度モストロ・ラウンジで異世界食フェアを開催しようと考えているのですが、監修をお願いできませんか?」

 アズールと監督生の八百長は相手が異端の天才と名高いイデア・シュラウドだけあってその勝率は五分を数えるばかりで完璧とは言い難い。
 複数人向けカードゲーム『ドミニオン』にてまんまとデッキパワーで負けた監督生は王座たるアズールから罰ゲームと称した提案を持ち掛けられていた。問い掛けじみたこの切り出しに机を叩いたのは当然イデアである。

「拙者の時とジャンルが全然違う件について! 監督生氏にも恥ずかしい質問してよ!」

 イデアが声を荒げるのも当然だ。隔日で行われるボードゲーム部活動にて、彼はほぼ毎日のようにやれ好みの女性のタイプだとかファーストキスはいつだったかとか、理想のデートプラン、初恋の詳細等々を根掘り葉掘り弄られている(ちなみにキスの相手は母親でありノーカウントだった)。
 抗議の声を跳ね退けるようにアズールが内ポケットからサイコロを取り出した。途端に黙るイデアを見ていると、まるで水戸黄門の紋所のようだと感じ笑いがこみ上げてくる。

「いくら陸の話とは言えいつ元の世界に帰るか分からない監督生さんの話を聞いても仕方ありませんので。それより目下、モストロ・ラウンジには新しい商機が必要なのです! 監督生さん、よろしいですよね?」
「オシャレな雰囲気と家庭料理って合わない気がするんですけど……」
「寮生のエンゼルフィッシュの人魚に盛り付けを担当させるので問題ありません。彼は美的感覚に優れていておりますので」
「それなら、まあ」

 手に馴染んだ家庭料理が一体どんな変貌を遂げるのか。想像すると中々興味深いものがある。
 丸め込まれるように頷く監督生に「詳しい話はオクタヴィネル寮で」と言うやアズールはその頼り無い長身を引き摺った。





「海の魔女の慈悲深い精神に基づき、僕は監督生さんの恋を成就させたいと考えているのです」

 悪徳商人、怪しいやつ、高利貸し、危険人物、そう称されるアズール・アーシェングロットしか知らない人間ならばこの提案に即座に「惚れ薬か何かを使おうと企んでいる」と邪推するだろう。だが監督生はこれまでの付き合いの中でアズールが真に誠実であることを知っている。
 誠実と言うのもあくまで己の利益に対してだけで、つまりアズールの中でこの恋路は「勝ち確定」と判断しているのだろう。単に背中を押してくれたら良いものをあくまで「契約」と言う形に拘るのは彼が海の魔女を尊敬している故の行動だ。

「ソレなんですけど、新しく相談したいことがあって」
「イデアさんに関連することで無ければ新たに対価をいただきますが?」
「あこぎな商売ですね。じゃなくて何て言うか……わたし、イデア先輩のこと騙してるんですよね」

 コスプレ会で覚えた罪悪感を押し付けるように呟く。イデアの反応が好感触なのはあくまで監督生が「超長身異世界男子」であるからで、そのメッキが剥がれた時何が起こるのか。
 モストロ・ラウンジへの道すがら最悪の想像ばかりしてしまった。嫌われる、幻滅される、関係が無くなる。告白すら出来ないかもしれない。
 アズールとてその懸念はしていたようで、従前は恋バナに沸き立っていたVIPルームに重々しい空気が漂い始めた。

「僕の勝手な想像ではありますが、監督生さんとイデアさんは上手く行くと思いますよ」
「……どうしてそう思うんですか」
「八ヶ月」
「はい?」

 アズールが両手の親指を折り曲げて胸元に掲げた。

「イデアさんが僕の目を見て会話してくれるまでに至った期間です」
「え、長!」
「そう、長いんですよ! それに比べて監督生さんとイデアさんはすぐに打ち解けていました! 波長が合うのではありませんか?」
「わー、なんか褒められてる気がしなーい」

 確かにイデアへの恋心に気付く前の自分は、いいや気付いた後でさえ緊張丸ごと自然体を貫けている気がする。イデアと一緒にいるととにかく居心地が良くて、ここが自分の本来の居場所だと勘違いしてしまうような安心感があるのだ。その理由がオタク仲間だからと言うのもまた違う気がする。
 言語化できない安心感に浸る監督生にアズールは「真に長く続くお付き合いとはそう言うものではないのでしょうか」と言った。

「結婚は外見でなく中身で決める、と言うのが監督生さんの家訓なんでしたよね?」
「あの日のことはマジで忘れてください……」

 ゴースト事件で確かに自分はそう言った。家訓を差し置いてもその言葉の通りであると思うが改めて言われると恥ずかしい。

「僕も出来得る限りの事はやるつもりです。海の魔女の慈悲の精神……いいえ、僕自身のプライドに賭けてこの恋は成就させたいのです!」
「ありがとうございます……、アズール先輩に相談してよかった」
「と言うことで、異世界食フェアの準備は頼みましたよ。期待しておりますので」
「うわ、やっぱり悪徳商人」

 この雰囲気では断ることも出来ない。周到なアズールに頭を抱えながらも監督生の気持ちは晴れ晴れとしていた。
 フェアの為に部活にもしばらく顔を出せないと大量の書類を前にアズールが苦笑する。それすらこの恋路を応援してくれているようで、監督生は深々と頭を下げてモストロ・ラウンジを後にした。





 休日を料理に費やしながら監督生は身の振り方を考えている。頭に過るのは徹頭徹尾イデアの存在だ。煩悩を振り払うべく野菜が煮詰まる時間を勉強に費やすも何も頭に入って来ない。
 グリムとゴーストは今日も今日とてマジカルシフトに勤しんでいるらしい。気分転換に仲間に加わろうか? 思うは易し、魔法の一切を使えない自分があんなに特殊なスポーツに横入りしたところで足を引っ張る結果にしかならないことを思い出してテレビを付けた。
 画面の向こうでは女優が男優に積年の思いを告げている。ドラマの結果はいつもハッピーエンドだ。手放しで賞賛されるその結末が、監督生にとっては昔から疑問だった。

「こんなに上手く行くんなら苦労はしないのに」

 来週一週間は一体どんなに平坦なのだろう。イデアのことだからコスプレ会は実施ごとひた隠しにして日常を浪費するに違いない。アズールもまた知らないフリをして罰ゲームを賭した勝負を持ち掛けるのだろう。
 元々、イデアと過ごせる時間があれば良いと思っていた。しかし人間は強欲で、欲求は肥大化しソレだけでは満足できなくなってしまう。イデアと過ごす一生と前の世界に戻ること、改めて天秤に掛けようと思い立った監督生は薄く笑った。

「そもそも家族のことも思い出せないのに、今更戻ってもなー」

 それだけではない。少し前から監督生は、友人や通っていた学校、よく通っていたコンビニの店員にご近所さんと言った人間関係が抜け落ちていた。果たして長女だったのか次女なのか、全てが曖昧になっている。
 前の世界が日本と言う名前だった事は覚えている。しかし住んでいた地域はツイステッドワンダーランドに来た当日にクロウリー学園長に伝えたものの位置関係があやふやだ。料理や礼儀作法といった一般常識は覚えているのに手近な知識はまばらである。

「でもまあ、戻れるなら戻った方がいいんだろうけど……」

 こんな忘れっぽい自分のことでも、待っている人間はいるはずだ。戻りたくない。うじうじと考えていると頭の中のもやが重くなり息苦しさすら感じる。

 そんな中でPCからポロンと音が鳴った。メッセージだ、発信者はイデアである。
 朧気だった意識が一気に覚醒した。件名は無題、本文には短文が綴られている。

「監督生氏、元の世界に帰っちゃうの? ……って、この人どこまで期待させるんだろ。なんか腹立ってきた」

 わかりません。
 そう短く返信を打った彼女はイデアの残り香漂うクッションに飛び込んだ。わたし、何考えてたんだろう。今日も先輩の事だけ考えて眠ってしまおう。
 目を閉じた先にあるのは青白い炎だった。揺らめくソレは冷たいと熱いを行き来している。初めて会った時から、イデアのことを考えていると安心できるのだ。
 おやすみなさい、誰に語るでも無く呟いた言葉を皮切りに監督生は眠りの世界に沈んで行った。





「……ぶん、子分! 大変なんだゾ!」
「ぐりむうるさい……わたしまだねむいんだけど」
「エースとデュースが来てるんだゾ! 早く薬を飲め!」
「え、……は? ヤバ!」

 どの瞬間でも騒がしいグリムがいっそうバタバタとオンボロ寮を駆け巡る。モンスターにとって四つ足が最もスピードの出る走行法らしく、キンキンに冷えた性別入れ替え薬の小瓶を咥えベッドに飛び込んだ。

「おーい、監督生ー! いつまで待たせんだよー!」
「上がっていいかー?」
「グリム、わたしちゃんと巨体化してる? 身長二メートルある? 声ちゃんと低くなってる?」
「でっけー方の子分になってるからなんだゾ!」

 玄関口から二人の声が聞こえる。性別入れ替え薬の不快な後味すら忘れる緊張感を元に談話室に向かった。ソファに二人が伸びている。

「急に、あの、……どうかした?」
「シュラウド先輩から勉強教えてもらったんだろ?」
「次に赤点を取ったら首をはねられちまうんだよ。小テストまであと少しだし見せてもらおうと思って」
「あ、あー……そうだった」

 イデアから対策ノートを受け取ったのが遥か昔のことの様に思える。濃厚な各種金曜日を頭の隅に追いやり、監督生はイグニハイド寮謹製の対策資料を漁った。
 基礎から細かく書き込まれた対策ノートのおかげでこの世界の常識がするする入ってくる。分厚い資料の中、今回のテスト範囲は数ページしか無い。

「アーシェングロット先輩のノートほどじゃ無いがわかりやすいな」
「つーかこれ、魔導工学の項目適当過ぎじゃね? 知っての通りって書いてあるけど知らねーって」
「あの人達って理系科目得意だからね。ここは捨て問として、分かるトコだけ抑えて赤点回避しよう!」

 さんせー、と気の無い返事が続く。ツイステッドワンダーランドの常識を知らない監督生と勉強が苦手なデュースのせいで進捗はボロボロだ。あの薬草がどうとか魔法大戦がこうとか、日常に根付かない項目を流す傍らエースはつまらなさそうに指先でペンを回していた。
 メモ紙にまとめた要点を前にパラパラと資料を捲るエースが「うわ」と声を洩らした。資料の最後のページにイデアの几帳面なブロック体が躍っている。

――十分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない。つまり科学技術は魔法を凌駕する!!!(キリッ

「うわー、イデア先輩らしいな」

 イデアが魔法らしい魔法を操っているところは召喚術以外で見掛けない。大概のことは近未来を極めた機械の力で解決していて、その実力は前の世界以上のものだ。改めて、天才に恋するなどなんて烏滸がましいのかと思った(ダメだ、今日はマブダチとの勉強会でイデアの事を考えるターンでは無い)。
 しかし一度考え始めると脳の要領はイデアに支配されてしまい、破裂したように監督生は呟いた。「あのさ」燃え尽きて真っ白な監督生に二人の視線が集まる。

「……もし僕が、会った時からずっと嘘吐いてたらどう思う?」

 二人にとっては青天の霹靂だったのだろう。監督生の問い掛けに息を飲んで、それから難しい顔をする。彼らの想像する監督生の嘘言えば「実は異世界から来たわけではありません」とか「本当は凄腕魔法士です」とか言う類のものなのだろう。
 どちらにしてもオンボロ寮の監督生の存在の根底を揺るがす問題だ。その上でデュースは拳を握った。

「監督生にも事情があったんだろうし、僕はそれでも受け入れる! 落とし前とか関係無い、それを告白してくれた心意気が嬉しいから!」

 デュースの言葉に救われた、瞬間エースは冷めた顔でつまらなさそうに回答した。

「俺は正直幻滅するわ。だってずっと騙してたんだろ? そんなの親友って思ってたのが俺だけって裏切られたようなもんで気に食わないし」
「そうだよね……」
「だから」

 エースがいたずら少年のように笑う。

「一ヶ月間日直とフラミンゴの世話全部押し付ける。そんでチャラ! 監督生が抱えてる秘密とかそんなもんだろ? それが出来たら親友再開ってことで!」
「エース……!」
「何を悩んでんだか知らねーけど、監督生は監督生だろ? 性悪だったらそもそも仲良くなってねーし、許すのも友情の内っつーか」
「……ありがと」

 二人の言葉に監督生は確かに勇気を貰っていた。もう、素直になろう。フラれてしまったら二人に、グリムに、アズール先輩に慰めてもらおう。吹っ切れた監督生はペンを構えて立ち上がった。目下、取り組むべきは小テストだ。
 一転ヤル気を出した監督生の浮き沈み激しいテンションに付いて行けるのはデュースだけだった。「俺もういいわ」言ったエースは談話室ソファに寝転がりマジカメ徘徊を始める。

「へー、モストロ・ラウンジの次のフェアって監督生の元いた世界の料理なんだ。割引券とかねーの?」
「アズール先輩がそんなのくれるわけないじゃん。普通に来てよ」
「金欠だから無理。あ、今作ってよ。味見的な?」
「この問題解けたらね」

 ぬるま湯のように心地良いマブダチとの時間は久方振りだ。晴れやかな心にも魔法知識は難解で、結局その日料理に移ることはできなかった。

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