もう一度最初からはじめる | ナノ

オンボロ寮

 月曜の部活は監督生の女装に関する揶揄いで始まった。全てを知っている、何なら仕掛け人のアズールに完璧な女装っぷりを嗤われたせいで現在大規模な喧嘩の最中だ。
 ボードゲームでも魔法でも腕っぷしでも口論でも一切勝ち目の無い監督生は、アズールのマジカルペンを取り上げ腕を高らかに伸ばしている。本日は体調が良く、身長は230センチを超える程度だろうか。下でぴょんぴょん跳ねるアズールはさながら幼児である。

「返しなさい!」
「アズール先輩が笑うからいけないんですよー。ちーび!」
「周りが異様に長身揃いなだけで僕は平均以上の身長です! もう絶交です!」
「すみませんって。だって笑い過ぎなんですよー!」


 自然過ぎる演技に一層この人だけは敵に回したくないと感じたのも数日前の話で、さて、監督生の女装弄りは日に日に影を顰め、木曜日の事である。イデアは部室の扉を開くや地に頭を付けんばかりの勢いで頭を下げた。

「まったく、何ですか。体力育成の出席点に関しては水増しはできませんよ?」
「そうじゃなくて、お願い……一生の頼みでござる! 二人とも、拙者の為に明日の授業をサボってはいただけませぬか!」
「……はい?」

 いよいよひれ伏したイデアを、アズールは虫けらでも見るかのような視線で見下した。常日頃から妙なテンションのイデアであるがここまで必死な様は初めて見たかもしれない。話だけでも聞きましょうよ、と諫める監督生にまでアズールは氷のような視線を送る。

「仕方ありませんね。どうせろくでもない理由でしょうが、話だけは聞いて差し上げます」
「じ、実はずっと気になっていた猫カフェが急遽閉店となる運びでして……突然のニュースだった故今界隈は悲嘆の声一色! 何としてでも明日までに行かねばなりませぬ!」
「はあ、でしたらお一人で行けば良いでしょう。僕は明日飛行術の大事な小テストを控えています。本来ならば部活動に顔を出す余裕も無いのですが」
「だ、だって……あの猫カフェ洒落乙過ぎて拙者みたいな陰の者には敷居が高いと言いますか……」
「……なるほど」

 店名を聞いたアズールは早速スマートフォンで情報収集を始めた。そして間髪入れず、最早見慣れたしたり顔を見せた。

「監督生さん、明日の時間割は?」
「午前中は魔法薬学の実習だから別室待機、午後の魔法史はトレイン先生がお休み取ってるから自習ですけど」

 性別入れ替え薬を常用する監督生は、薬液の暴発といった不慮の事故に備えるべく魔法薬学の実習だけは免除されている。性別入れ替え薬は繊細で、どんなに些細な魔法薬と併用すれば服用者の身体にどんな危険をもたらすか解らない。
 クルーウェルの配慮とその裏にある面倒な準備を回想する監督生を他所に、アズールとイデアはキラキラした視線を交わしていた。一体何なのか、答え合わせのようにアズールが「決まりです!」と声を上げる。

「本日の部活は予定を変更し、サイエンス部と共同の実験としましょう! 作成するのは勿論──」
「性別入れ替え薬! さすがアズール氏ですぞ!」
「となればヴィルさんにも助力をお願いしなくてはいけませんね」
「はい? なんでヴィル先輩?」

 大体イデアもアズールも頭の回転が早過ぎるのだ。凡人たる監督生は二人の行動に少しの理解も示せず目を白黒させていた。そんな最中でも二人はマジカルペンを振って実験着に着替えている。

「監督生さんは明日に備えてお帰り下さい。ああ、魔法薬の完成品は後程オンボロ寮までお届けに上がりますので」
「え? また買えばいいんじゃ」
「分かりましたね?」

 有無を言わせぬアズールに監督生は極力平常心で頷いた。よく分からないがあのアズールのことだ、降って沸いたこのチャンスを自分の為に使おうと画策してくれているのだろう。





 オンボロ寮で待機すること二時間、ボロボロのアズールが扉を叩いた(ところでアズールの来訪にはゴーストもグリムもすっかり慣れたらしい。毎度手土産を持って来るものだから、楽しみにしている節まである)。

「性別入れ替え薬の調合の難しさには困ったものです。ヴィルさんがいなければどうなっていた事やら」
「ソレなんですけど、ヴィル先輩に今回の趣旨バレちゃってません?」
「一部の過程しかお願いしておりませんのでお気になさらずに。それよりこちら明日分のハーブティです。今回も決して性別入れ替え薬との併用はしないようお気を付け下さい」
「アズール先輩……! よくわかんないけどマジ尊敬してます!」
「当然です。僕を誰だとお思いですか?」

 ふふんと胸を張るアズールにハイタッチをした監督生は、もう一つの紙袋に目を遣った。

「それは?」
「新しい衣装です! 今回は露出が多いのでこちらの日焼け止め薬も併用してください」
「うわ、童貞を殺すセーター……」

 肩と胸元が大胆にくり抜かれた扇情的なデザインの真紅の薄手のセーターに血の気が引いていく。これぐらいしなければ童貞は殺せないのだと、言ったアズールの頬もセーターと同じく若干赤い気がした。

「お分かりかとは思いますが今回は勝負どころです。監督生さんのことですので普段通りで問題は無いと思いますが、細心の注意は払ってくださいね?」
「え……あ、ありがとうござい、ます」

 遠慮深い返答を見せたものの明日のイデアの反応が楽しみだ。結果は当日中に欲しいと言うアズールを二つ返事で見送り、監督生は気が早くも早速入念に浴室に浸かった。





「ヒッ! 監督生氏……その服って」
「イデア先輩お疲れさ──」
「これ着て! 早く!」

 待ち合わせ場所にて、胸元の開いたその服装を見るやイデアは顔と毛先を真っ赤に染めて自身のパーカーを押し付けた。服の下、いつものロングTシャツではなく黒のワイシャツを着ているんだ。細身ながらも男らしい骨格を際立たせる出立ちに強化版魔法のハーブティを飲んでいるはずの彼女も息が詰まる。

「今はおにゃのこなんだからちょっとは危機感持ってよ! それとも拙者、もしかして弄ばれてる?」
「ち……違いますしイデア先輩緊張し過ぎですって。中身はオンボロ寮の監督生なんですよ?」
「確かにそうだけど……つか二度目ながら女装のクオリティ高過ぎて草。やっぱり監督生氏って元いた世界の時から女装してたんじゃないの?」
「してません!」

 自分がしていたのは女装でなく当たり前の服装だ、とは名誉に関わっていても絶対に口にできない。
 ただこんな挑発的な服を着たことは、恐らく前の世界でも無かっただろう。若干の羞恥心故にイデアに押し付けられたパーカーを素直に羽織る。ふわりと香るイデアのにおいに幸福が漂った。

「待ってる間ソシャゲにでも勤しみますか。監督生氏はこっちのタブレット使ってネサフでもどぞ」
「ありがとうございます!」

 一人称視点のシューティングゲームに勤しむイデアを隣に、長蛇の列のてっぺんが訪れた。「ふたり、です……」消え入りそうなイデアの声は当然店員に届かず、監督生が自ら宣言する羽目になってしまった。
 先日の立派なエスコートはどこへやら、ワンドリンクをオーダーするやイデアは燃え上がる髪の火力を上げ一人全力で猫を愛で始めた。猫は可愛いけれど、それ以上に愛らしいイデアの姿に監督生の視線は釘付けだ。

「監督生氏助けて! 猫ちゃんが拙者の髪追い掛けてる!」
「アハハ、可愛いですねー。火力抑えてみたらいいんじゃないですか?」

 魔法の世界はやはり不思議なもので、燃え上がる髪に触れても火傷には至らない。口では助けを求めているものの普段以上のにやけ顔で猫を相手にするイデアはやはり、見かけによらず愛らしいと感じる。
 もしコレが人間相手ならば今頃イデアは過呼吸でも起こしているだろう。が、一匹が追いかけ始めると二匹三匹と、次々に襲い掛かる猫の軍勢にイデアは困りながらも幸せそうに笑っている。

「彼氏さん、猫が大好きなんですね」
「え、か、彼氏とか、そう言うのじゃなくて!」

 ドリンクを運んでくれた店員が営業スマイルを見せた。彼氏って、それもそうか。男女一組であるのは勿論のこと明らかなオーバーサイズのパーカーを羽織る監督生が恋人に見えるのも当然だ。
 嬉し恥ずかしい勘違いに、この時間がずっと続かないかと思ってしまう。自分は欲が出てしまっている。本当にイデアの恋人になれたらと妄想する程に。
 空虚な思考を吹き飛ばす為に監督生は自分の頬を引っ叩いた。ダメだ、わたし、しっかりしろ。その間にイデアを囲っていた猫達が一目散に別の場所に去っていく。

「ファッ、猫たんが……拙者の天国が……!」
「誰かがおやつ課金したみたいですね」
「買収するとは不届き者め! どんな奴か見てや、る……」

 いつも以上に語尾が弱い。青白い顔は更に青くなり、先程まで煌々と燃え上がっていた髪は火力が弱まっている。「監督生氏、ヤバい」言いながらイデアが猫の集合先を指差した。

「誰かと思えばその髪、シュラウドか。今は授業時間のはず……何故ここにいる!」
「トレイン先生?」

 視線の先にいたのはあろうことか、本日休暇を取っているトレインだった。猫好きの彼がここにいる事自体は自然である。が、指摘の通り今は授業時間中だ。

「と、トレイン氏こそ、ルチウスたんと言う存在がありながら何故ここに!?」
「この日は休暇を取ると事前に通達していた筈だが?」

 猫に取り囲まれながら言われては威厳はカケラも無い。が、普段より恐ろしい声色にわたし達は固まった。

「そちらの女性はオンボロ寮の監督生か。性別入れ替え薬を使うならばシュラウドの分の性転換薬も用意すべきだったな」
「それは盲点……確かに拙者もおにゃのこになっていたらソロ猫カフェ出来た気が」
「じゃなくて、イデア先輩! 逃げますよ!」
「えっ? 監督生氏!」

 この猫カフェが先払い制でよかった。イデアの腕を掴んで監督生は店を飛び出した。普段運動を毛嫌いするイデアであるが、名実ともに「女の子」である監督生の速度よりは遥かに足が速く、引っ張っていた筈の腕が逆に引きずられるまでにさして時間は掛からなかった。
 咄嗟にイデアが「こっち!」と怪しげな店を指差す。ランタンショップの炎に紛れるようにイデアの髪の毛が逆立った。「頭下げて!」と彼の大きな骨ばった手が無遠慮に監督生の頭に覆い被さり、フード越しに頭をわしゃりと掴んだ。
 店内の鏡越しに外を伺う所、この通りは老人が歩くばかりである。トレインは最初から追い掛けては来ていないようで、二人はまんまと逃走に成功した。

「に、逃げるとは大胆な作戦……バレたんだから開き直って『許してにゃん』とか言えばよかったのに。せっかく可愛いおにゃのこになってるんだから」
「かわ……え、あっ、あの、変なこと言わないでください!」
「しかしこれは来週罰のレポート確定ですな」
「……イデア先輩が余計な事言わなかったら穏便に退散出来たんです。手伝ってくださいよね」

 あれ程猫カフェを所望していたイデアであるが、イレギュラーに苦笑するばかりで急に店を飛び出した監督生を責めなかった。優しい、のか何なのかわからない。走ったせいでドキドキと脈打つ心臓を深呼吸で落ち着けて監督生が立ち上がる。
 普段の身長差とは打って変わって、元の女子の姿になった彼女とイデアの目線はここに来てようやくかち合った。
 パチパチを音を立て燃え上がる青い髪を初めて間近で見た。虹彩がこんなにも黄金色に輝いていることを初めて知った。やたら顔色が悪く見えるのは肌色が白過ぎる所為だと初めて知った。
 最早神秘を感じる程の美形に監督生の顔が青ざめていく。ゴースト事件であれ程「見た目とスペックだけで恋人を決める女が嫌いだ」と言ったものの、結局自分もイデアの外観を取って惚れた腫れたと騒いでいるに過ぎないのではあるまいか。そんな自己嫌悪も隅に追いやられるような美男子はしかし、目下の視線など気にも留めず呆けた面を見せた。

「ご、ごめん……監督生氏、髪ぼさぼさになっちゃってる」
「えっ! あ、わた……しのことなら、手櫛で何とかなるから気にしないでください!」
「せっかく女装の為に整えて来たのに台無しにしちゃいましたな。しかしさすがは女子、髪がさらさらなんですな。……僕もそうだったら良かったのに」

 言いながらイデアは物悲しい声と共に監督生の髪を撫でた。まるで割れ物にでも触るような優しい手付きが毛髪を通じて皮膚に反射する。駄目だ。せっかく落ち着けた筈の心臓がまた激しく脈打っている。
 どうして自分は感情が昂ると顔が青くなるのだろうか。途端に青白い顔をしてしまっていたようで、イデアが「大丈夫?」と不安そうに囁いた。
 店主不在のランタンショップに静寂が走る。自己肯定感の低いイデアのことだから、このまま青い顔をしていては早口で「拙者みたいな人間が友人と外出するなど分不相応、大人しくネットニュース見てたらよかった」などと落ち込むに違いない。
 高鳴る心臓と相反する顔色を鎮めるべく、監督生は右手で左耳を触った。すぅ、と血の巡りが回復していく。

「大丈夫です。急に走って疲れただけ、っていうか……」
「よかった。……そう言えば前からちょっと気になってたんだけど、耳怪我してるの? 最近よく触ってるけど」
「そんなんじゃなく、て!」
「悪化すると大変だからちょっと見せてよ」

 イデアが監督生の左耳に手を掛ける。相変わらず優しい手付きにビクリと身体が震えた。弟のメンテナンスをする時のようにしげしげと丁寧に耳を観察する、息が掛かり、ぞくりと総毛だった。
 こう言う時こそ耳を触らなければならないのにそれが出来ない。破裂しそうな心臓と裏腹に血の気は引く一方で、倒れる寸前のところでイデアが安堵の息を洩らした。

「よかった。見た感じでは何もなってないみたい」
「た、ただの、癖……みたいな感じで!」
「この前まではして無かったと思ったんだけど……まあいいや。監督生氏、今日はもう帰ってこの前買ったゲームの開封式でもしませぬか?」
「あっ、え、は、はい!」
「その格好だしオンボロ寮でもよい?」

 部屋から出たがらないイデアがまさかオンボロ寮に訪問する日が来ようとは夢にも思っていなかった。最近はアズールの来訪もある為に清掃は行き届いている自信があるが、自室の女子らしい小道具は隠しておく必要がある。

「はい!」
「ゲーム機持ってオルトと行くからちょっと待っててクレメンス」
「掃除してお待ちしてます!」

 掃除をしたら気持ちも落ち着くだろう。二つ返事で了承し、監督生は脳内でシミュレーションを開始する。まずはあのグリムとゴーストらへの説明内容だ。何と言えばこの歪な状況を理解してくれるだろうか。
 ただ猫カフェに行くだけのミッションで多発したイレギュラーに頭を抱えながら、監督生は鏡を潜った。





「全員集合! 大事な話があります……あれ、グリムは?」
「グリ坊ならハーツラビュル寮に遊びに行っているよ」

 折角言い訳を考えていたのにグリムがいない。この中で一番ボロを出しそうな問題児の不在は幸いであるが納得いかないものがある。
 取り急ぎ監督生はゴーストらにこれからの趣旨を説明した。今からイデア先輩が来ます、言うやゴーストが半透明の身体を縮み上げる。

「イデア……もしやシュラウド家の坊ちゃんかい?」
「まったく、物好きなものだねぇ。ワシらは屋根裏に隠れておくからくれぐれも気を付けるんだよ」

 イデアは自分のことを「性別入れ替え薬を飲んだ男子だと思っている」と伝える筈が、ゴースト達が一目散に天井をすり抜ける。これもシュラウド家の因果なのだろうか。
 不安解消に安心する監督生の耳にオンボロ寮のアナログなチャイムが響いた。玄関まで迎えると、フードを目深に被ったイデアが大荷物を背負いポツンと立っていた。

「あれ、オルトくんは?」
「バッテリー替えて活動時間が長くなったから、ハーツラビュルでお泊まり会するんだって。ケイト氏が外泊許可求めにいきなりイグニハイドに来るから寮生全員大変でしたぞ」
「あー、グリムもハーツラビュルに行ってるみたいですよ」
「そ、それより監督生氏、早く入れてよ。誰か通るかもしれないし……」

 危険因子の行き先に安堵する監督生と反面、イデアは今にも過呼吸を起こしそうな程狼狽えている。人目を気にするイデアにとって鏡舎からのアクセスが悪いオンボロ寮までは苦難の道のりだったのだろう。
 慌てて玄関に招き入れる。土足のまま上がろうとするイデアを監督生は「待ってください!」と大声で呼び止めた。

「ひっ! な、何なわけ……? もしかして女の姿だからって拙者がよからぬイタズラでもするとでも思ってるとか? 元が男ってわかってるし監督生氏はゲーム友達だから絶対そんな不誠実なことはしないんですが。て言うか僕ってそんなに信用無い?」
「そうじゃなくて、靴脱いでください」
「靴……?」
「オンボロ寮は土足厳禁なんです。っていうのも前の世界でそうだったからなんですけど」
「あ、あーなるほど。文化の違いね。ビックリさせないでよ」

 早口に使ったエネルギーが無駄だったと言わんばかりにイデアは靴を脱ぎ捨てる。
 散らばる靴を揃える監督生にイデアは上から「はあ」と大きなため息を溢した。

「それも元の世界の文化? もしかして監督生氏ってリドル氏ばりのルール順守な感じ?」
「すみません、癖で。外国……異世界の方には失礼でしたよね……」
「いいんだけど、そ、それより監督生氏……スカートから、ぱ、ぱん……」
「ぎゃっ」

 屈んだせいで短いスカートから下着が見えてしまっていたらしい。女らしくない汚い悲鳴を上げた彼女にイデアは心底愉快そうに笑った。

「下着までおにゃのこ仕様とは、やはり監督生氏は女装を楽しんでいるのでは?」
「ち、違……! ボクサーパンツとスカートの相性最悪なんです! あーもう、さっさと上がってください!」

 部屋着に着替えることをすっかり忘れていたと言うわけでも無い。イデアの中では監督生が女の姿になったのは先日の一件切りなのだ。ただ半日性別を入れ替えるだけなのに用意周到に部屋着を用意しているのはあまりに不自然である。この猶予時間で彼女は「なぜ女モノの部屋着を持っているのか」という質問に対する言い訳を用意しきれなかったのだ。
 とは言えあのトリプルLを超えるパジャマを着るには今の姿はあまりにサイズが合わない。スカートを抑え背中を押す監督生に、イデアが見慣れたボーダーを差し出した。

「拙者の服でよかったら貸すけど。一応それなりの長身故大き過ぎるとは思いますが、いつもの服よりはマシでしょ?」
「えっ、あ、ありがとうございます……」
「着替えてる間シャワー使ってもいい? あ、監督生氏の服借りたいんだけど」
「持ってくので、あ、お風呂場は突き当り、です」

 思わぬ展開に監督生は半ば放心状態だ。もし例のハーブティが無ければ顔面は青白いを通り越して完全なモノクロになっていただろう。
 洗顔フォームや化粧水等々も隠していてよかった。浴室に向かうイデアの背中を見送り急いで借りた服に袖を通す。本日二度目のイデアのにおいだ。

「こっちの監督生氏は小さいですな」
「イデア先輩も袖口余ってますよ。……足の方は余ってないの死ぬ程腹立つんですけど」
「フヒヒ、無駄に足長くてサーセン」
「ていうか今気付いたんですけど、先輩の服オーバーサイズだから交換するのあんまり意味無いですよね」
「彼シャツはロマンゆえ!」
「変なことばっか言わないでください」

 それにしても、と、湯上がりのイデアが監督生をしげしげと見下ろす。

「監督生氏、可愛いよね」
「……イデア先輩も性別入れ替え薬飲みますか?」

 ハーブティを飲みたてだからか今回は自然に答えられた気がする。しかしイデアはやれやれと言わんばかりに首を振った。

「無理無理、拙者が飲んだら良くて心肺停止、最悪爆散だから」
「え?」
「監督生氏ももうちょっと勉強した方が良いと思われ。性別入れ替え薬ってのは魔力が無い人間向けなんですぞ? 魔法士にとっては毒って認識」
「うわ、怖……。だからヴィル先輩と一緒に作ってたんですね」

 元は魔法士を殺す為の毒薬、ソレがたまたま一般人に飲ませた所性別が入れ替わったように見えたのが始まりなのだとイデアが言う。他の魔法薬との飲み合わせが完全にNGである理由はそこにあるのか。しかし、だとしたらどうして普段のハーブティを飲んでも問題無いのだろう。考えるのも束の間、イデアは背中を丸めて「ゲームしようよ」とリュックを持ち上げた。談話室は広くて落ち着かないらしい。
 監督生の自室は一応寮長室扱いなのか、他の小部屋と違いある程度の広さがある。物も少なく、雑然としたイデアの部屋とは対照的であるが、吹き抜けの談話室と違い小ぢんまりと囲われた空間はいくらか落ち着くようだ。キョロキョロと忙しなく室内を確認したイデアの目がキラリと輝いた。

「どうかしました?」
「ブラウン管テレビとは最高の環境ですぞ! 液晶だとどうしても数フレームの遅延が発生するし、何よりこれからプレイするゲームジャンルはレトロ! 当初想定されていた環境を再現できるとは激アツ!」

 寮長室の高画質モニターの方が良いと個人的には思うが、イデアはテレビの型番を確認し一々盛り上がっている。よくわからないが楽しいのだろう、だったら自分も嬉しくなってくる。
 接触の悪い端子に苦戦しながらもゲーム画面が付いた。薀蓄を語りながらイデアはさくさく画面を進めていく。

「昔は実写みたいな映像に感動してましたけど、ゲームはやっぱりドット絵が一番ですよね」
「一理ありますな。拙者もハード転換に技術力を感じて燃えるけど結局初心に戻っちゃうよね。知ってる? 3Dモデリングからわざとドット絵に変換する技術があって」
「へー、凄い。こう言う感覚があるのも経験のおかげなら、記憶消して最初っからって思うの良くないのかも」

 横スクロールのアクションゲームに二人して苦戦しながら、時計はすぐに十二時を刻んだ。ハッとする、今日の集合は十二時半で、そろそろ「監督生が女子になるために飲んだ性別入れ替え薬」の効果が切れる時間だ。
 ゲームに熱中するイデアを置いてこっそり応接室で薬を飲んで男子の姿になれば良い。楽観的に考えていたが、あの薬が危険な代物だと聞いた以上そうもいかない。あの魔法の不味いハーブティのお陰で二人きりの時間もやり過ごせているが、もし効果が切れたら逃げ場の無い自室にて正気でいられる自信が無い。
 考えに考えた監督生は、逆にこの状況を利用しようと思い至った。「ちょっと薬飲んできます」と何食わぬ顔で監督生は立ち上がる。

「薬って何の? 病気?」
「性別入れ替え薬です。このまま男の姿に戻った時にズボンの丈余らせてたら、イデア先輩のことだし『短足乙』とか言って煽るでしょ」
「短足煽り楽しみにしてたのに」
「……今すぐここにケイト先輩とカリム先輩呼んでもいいんですけどー?」
「調子に乗ってスマソ! 頼むからそれだけはやめて!」

 我ながら弱い言い訳であるが、通ってしまうから不思議なものだ。彼シャツ続行と喜ぶイデアがひたすら愛らしく、監督生は、この時間が永遠に続けば良いと本日何度目か分からない理想を思い描いた。

×
「#オメガバース」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -