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デートの下準備

「ふなっ! なんでコイツがいるんだゾ!?」
「コイツとは失礼ですね。監督生さんと大切な話がありまして、お邪魔しております」

 オンボロ寮の応接室、寮服を纏い優雅にソファに腰掛けるアズール相手にグリムが精一杯毛を逆立て威嚇した。
 アズールに正体を打ち明けて数日が経つ。監督生がこうして夜に他人を招き入れるのは二回目だ。

「コイツのことだからまたろくでもねーこと考えてるに違いないんだゾ! 今の子分はチビだからひとたまりもないんだゾ!」
「違うんだって、グリム。アズール先輩はわたしの相談聞いてくれてるだけなんだから」

 アズールのオーバーブロット事件にて頭にイソギンチャクを生やされた恨みが消えていないのだろう。自業自得ではあるものの確かにあの仕打ちは中々のものだった。
 尻尾の毛を狸のように膨らすグリムにアズールはやれやれと立ち上がった。英国紳士を思わせる大きなカバンから取り出されたのは、プラスチック製ながらも高級感ある装飾が施されたランチパックだ。

「グリムさん、こちらモストロ・ラウンジで最近始めたテイクアウト料理の試作品です。よろしければ感想をお聞かせください」
「ふなっ? うまそーなんだゾ!」

 彩り豊かなお弁当を前にグリムはすんなりと逆立った毛を鎮めた。それどころか「毎日来てもいいんだゾ!」なんて言い始める始末である。ここまで簡単に食べ物で釣られるとは情けない話だ。
 ぺろりときれいに平らげたグリムは「まあまあなんだゾ」と言いながら満足げに自室に上がって行った。

「それでは本題に戻りましょうか」

 グリムの退室を目と耳で確認したアズールが悪代官のような黒い笑みを溢す。何も知らない者が見ると「監督生が脅されている」と勘違いしてしまうことだろう。
 ただ勿論、とうの監督生もこの場を楽しんでいる節がある。男子校にそぐわない怪しげな空気、ピンと張り詰めた談話室の緊張に針を刺したのはアズールだった。

「先日僕が帰った後は何があったのですか? 気になって眠れませんでしたよ!」
「超ヤバイですから覚悟しててくださいね? なんと、イデア先輩が『監督生氏みたいな奥さんなら歓迎なんだけど』って!」
「何ですかそれは! 詳しく聞かせて下さい!」

 もはや放課後のガールズトークだ。生の恋バナに興味津々のアズールが身を乗り出した。この空気感、どこか前の世界を思わせて懐かしい。詳細は少しも思い出せないが友人の話を自分もこうして聞いていた気がする。
 巡り巡って異世界のこの土地で、まさか自分が恋愛話の当事者になるとは考えてもいなかった。監督生の些細な報告に目を爛々と輝かせるアズールは「慈悲深い海の魔女」と言うよりは「おませなおてんば人魚」に見えてしまう。

「っていうかアズール先輩攻め過ぎなんですって! 好みの女性のタイプとか、あと結婚観! 書いたのがアズール先輩だって一瞬でバレてましたからね?」
「ビデオゲームを持ち出されるのは誤算でした……。イデアさんって前から負けず嫌いな所があるんですよね」
「わかります! でもあの後ちゃんとアズール先輩の仇は取りましたから」
「料理以外に取り柄が無いと思っていましたが、ビデオゲームの才能があったのですね。今度契約する際は是非担保にしていただきたいものです」
「暫くは取引しませんってー」

 盛り上がりを見せる談話室であるが、一転アズールは苦虫を噛み潰すような顔を見せた。

「僕も飛ばし過ぎました。暫く様子を見ていただけないでしょうか?」
「様子……?」
「仮にもイデアさんは異端の天才。人嫌いで有名な彼のことですから不用意な詮索は危険です」

 あのイデアに限って、と思ったが確かにアズールの言い分にも一理ある。不自然な一週間強の音信不通、急に戻ってきたかと思えばプライベートを探索し始めるアズールは明らかに不自然だ。ともすればアズールとの結託を悪い方面で推測して「二人が拙者を笑いものにしてる」と考え始めるかもしれない。
 人一倍他人の視線を気にするイデアのことだ、マイナス方面に振り切った余計な心配への考慮も重要である。

「徐々に平常時の部活動に戻して行きますので、監督生さんも引き続き話を合わせていただくようお願い致します」
「了解しました!」


 ――とか言ったのはアズールの筈だった。
 翌週の話である。遅れて部室に来たアズールは、あろうことかとんでも無い提案を持ち掛けて来た。

「イデアさん、休日は何かご予定はありますか?」
「日曜なら暇だけどもしかしてまた受発注システムの不具合? どうせフロイド氏が乱暴に扱ったんでしょ。サポート自体は責任持ってやるけどハード面の不調だとあの無駄にパリピ感あるラウンジまで出向かないといけないから地獄なんですが」
「違います。ボードゲーム部の課外活動についてご相談だったのですが」
「課外活動!? な、なにそれ聞いてない!」

 その文言に目を丸くしたのはイデアだけでは無い。監督生もまたアズールの突飛な提言に度肝を抜かれた。
 二人の素っ頓狂な反応に満足したのか、したり顔のアズールがゆっくりと眼鏡を片手で持ち上げる。こう同じ時間を過ごしていると、アズールのこの仕草が「よからぬ企み」を意味していることは理解できてしまう。
 様子見とは何だったのか。今更抗議の声を上げても仕方が無いと観念した監督生は机に身を投げ脱力した。こういう時は何も考えないに限る。

「ええ。新しいゲームを発掘するために街に行きませんか?」
「無理無理無理無理絶対無理! ネットでポチったら良いし拙者は現状に満足しております故!」
「残念です……陸のゲームショップは大変品揃えが豊富と聞いておりましたので興味があったのですが。監督生さんもそうは思いませんか?」

 なるほど今回はそう言うプランなのか。確かに監督生は、このツイステッドワンダーランドに来て一度もろくに外の街を探索したことが無い。それどころでは無い程目まぐるしかったのが半分、外出届に正当な理由を書き連ねられなかったことが半分なのでこの話はイデアの件が無くても魅力的だ。
 もしかしたら裏の無い、純粋な提案なのかもしれない。そうだ、怪しまれるかもしれないから暫くは大人しくすると言ったのはアズール本人なのだ。

「確かに僕も外って行ったことありませんし気になります」
「だ、だったら二人で行けばよいかと! お金なら拙者が出すから!」
「ボードゲームに精通したイデアさんがいなければぼったくりに遭うかもしれません! それに部活動の一環ならば部長がいなければ許可も下りませんし」
「イデア先輩、行ってみましょうよ!」

 二人の熱意を前にしてもイデアは強情だ。オルトが起動できない日だから嫌だとか、自分はタブレットで良いだろうとか、思いつく限りの言い訳を並べイデアは中々首を縦に振らない。
 何ならアズールと二人で外出するのもやぶさかでないのだが、と思う彼女と裏腹に腹黒商人はまたもサイコロをチラつかせた。

「ではボードゲームで決着を付けるのはいかがですか?」
「それ拙者に不利なやつじゃん……。いいよ行きます、行ってやりますよ! でも目的の物買ったらすぐ帰るからね?」
「やったー! そしたらクルーウェル先生に外出届出して来ます!」
「僕もご一緒します。それではイデアさん、くれぐれも土曜日はよろしくお願いしますよ?」

 最悪だ何だとブツブツ文句を漏らすイデアの事など目も暮れず、アズールが監督生の長身を引っ張る。
 二人きりになった途端アズールはまたもニヤリと笑った。踵は職員室ではなくオンボロ寮に向かっている。

「え? 外出届は?」
「そんな物とうに提出済みですよ。監督生さん、早速作戦会議です!」

 どこまで用意周到なのだろうか。いや、用意周到は良いのでせめて事前に情報共有はしていただきたい。いつだってアズールの計画性には戦慄を禁じ得ない、改めて「味方に回ってくれてよかった」と監督生は胸を撫で下ろした。
 ところでアズールのオンボロ寮来訪についてはグリムもゴースト達も最早慣れ始めている。それはアズール本人にも言えることで、玄関先で丁寧に靴を揃えてくれた。異世界出身の監督生にとって、どうしてもこの世界の土足文化に慣れないのだ。

「土曜日の件ですが、僕は当然欠席します。理由はモストロ・ラウンジのトラブル。すでに仕込みは完了しております」
「やっぱりそんな感じなんですね……けどイデア先輩怒りません?」
「その辺りもきちんと考えておりますのでご安心を!」

 これは悪い事を企んでいる時の顔だ。アズールは悪徳商人面のまま「ここからが本題です」と足を組んだ。

「本題って、これ以上に何かあります?」
「ええ。監督生さん、貴女は当日『元の女性の姿』で待ち合わせ場所に行って下さい!」
「はい。……はい!? 何言ってんですか!」

 アズールの言い分はこうだ。
 ナイトレイブンカレッジ内ならまだしも、二メートルを越える超長身は人目に付き過ぎる。かと言って「縮ませ薬」は手のひらサイズになってしまうので買い物に適さないし、下手を打てばマジカメモンスター達の恰好の的になってしまうだろう。
 ならば対策は簡単で、監督生に「性別入れ替え薬」を飲ませたら良いのだ。校内と違い休日の街では男女の組み合わせ程自然な物は無い。
 理路整然とした説明に監督生は「なるほど」と頷く他無かった。確かにこの身長は学内でこそ受け入れられているものの、何も知らない島の人間には異質極まりないだろう。この理屈を持ち出せばイデアも納得するに違いない。

「でもあの薬、普通は手に入らないんですよね? 学園長がいっつも言ってますよ」
「あのですねぇ、僕を誰だとお思いですか?」
「敏腕経営者?」
「そうですが違います」

 性別入れ替え薬の値段は知らないが、市場にほとんど流通していないことならばいやという程言い聞かされている。そんな代物を使ったと言えばイデアは間違えなく勘付くだろう。
 監督生の懸念はすぐさま解消された。「こちらをご覧ください」、アズールが内ポケットから真緑色の小瓶を取り出す。

「人間になる為の変身薬です。僕は人魚なのですよ? 変身薬関連の売人のツテならばいくらでもあります」
「アズール先輩が人魚でほんっとうによかったです……」
「感謝の証に格闘ゲームの腕前をいただきたいぐらいです」
「考えときます」

 これで当日のルートはほぼ完成だ。が、もう一つ重大な問題がある。

「服……部屋着以外持ってません」

 元より女の姿で外を出歩くなど想定していない。洗濯を繰り返した為に外出に到底堪えない伸びきった部屋着を引っ張りながら監督生は頭を下げた。いくらイデアが外見に無頓着とは言え、折角元の女の姿で会うのだからこれは致命的である。

「ご安心を! 木曜夜までにとっておきの衣装を用意しましょう」
「あ、今週金曜は遊びに行かないんです」

 木曜にはオルトの新しいバッテリー素材が届き、金曜は授業を放棄して一日実習室に籠る。今週はゲーム会出来ないんだ、と言いながらイグニハイド寮生に連絡を取っていた。
 それを話すとアズールは一段と目を輝かせた。

「一日猶予が出来るとは幸いです! それでは土曜早朝に伺いますので、心の準備をお願いしますね」
「わ、わーい……」

 果たして自分は平常心でいられるのだろうか。
 不安が渦巻く中で、生き生きとしたアズールを見ていると光が差すような気持ちになった。一日切りでも元の姿でイデアとデート出来るなら、その思い出だけを糧に死ねる気がする。





 モストロ・ラウンジの内装にも現れる通りアズールの美的感覚は完璧だ。約束通り土曜日早朝に訪れたアズールは監督生に「陸の生き物にも受け容れられ、かつ気取らない印象を意識しました」と紙袋を手渡す。なるほど、確かに過度に流行を追うでもなく、かと言って古めかしくもない素晴らしい意匠である。
 若干オーバーサイズの服を魔法で整えながら、アズールは当日の筋書きを語り始めた。

「今日のイデアさんは髪を隠す為に帽子かフードを被ってお越しになるかと思いますので、見失わない為にも待ち合わせ場所と時間はお間違えの無いようお願いします。とは言えイデアさんのことですので若干遅刻はするでしょうから──」
「十五分前に着いて『今着いたよ』ですよね。前の世界でも定石でした」
「話が早くて助かります。女性姿の言い訳は先日お話しした通りです」

 念の為、と言ってアズールが「遠足のしおり」よろしく冊子を差し出した。当日のルートが事細かに示されたその内容に舌を巻く。さすがはあのアズール・アーシェングロットだ。

「ここまでしてもらってなんかすみません……」
「お気遣いには及びません。あくまで海の魔女の慈悲の精神に基づく善意ですので」

 とか言いながらアズールの瞳からは恋バナに沸き立つ女子のような空気が漏れ出している。前の世界を思い出し笑いが漏れる監督生を彼はしたり顔で眺めながらも、いかにこの状況が願望に沿っているかを語った。彼は本心から海の魔女に憧れているのだろう。

「本当にありがとうございます……でも、うまく行かなくてもわたしのせいですから気にしないでくださいね」
「監督生さん、僕のことが信用ならないのですか?」

 一転アズールは怖い顔で監督生を睨んだ。違うのだ、アズールは完璧だけれど、自分はただの人間で魅力も無いし、イデア・シュラウドのような素晴らしい男性に釣り合うどころか視野に入る筈もない。

「監督生さんもイデアさんも自己評価が低いにも程があります。貴女は十分素敵な女性です、もっと自信を持って下さい」
「でも……」
「でもじゃありません! それでは僕はモストロ・ラウンジに戻ります。素晴らしいご報告が聞ける事を楽しみにしていますよ? こちらは餞別です」

 彼女の心情すら想定していたアズールが「追加のハーブティです」と謎の小瓶を取り出した。
 普段支給されている「魔法のハーブティ」はミントが香るティーバックである。しかし今持ち出されたのはソレとは打って変わり、性別入れ替え薬のような禍々しい空気を醸し出していた。

「え、これって……」
「いつものハーブティとは違い強力ですので、くれぐれも性別入れ替え薬との併用は避けてください。貴女の身体が爆散しては退学以前の問題ですので」
「怖……。あ、ありがとうございます」

 飲用後三時間は何があっても性別入れ替え薬を飲まないように。何度も釘を差しアズールがオンボロ寮を後にする。
 ここまでしてもらっているんだ、期待に応えられるような完璧なデートを演出しなければならない。お湯に煮出した追加のハーブティは泥水に練乳をありったけ突っ込んだような不快な味わいで、監督生は即座に炭酸水で口内を洗った。

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