もう一度最初からはじめる | ナノ

戻った日常

 例の熱血教師主導により、運動部はバルガスキャンプなるイベントが行われるらしい。エースやデュースをはじめとし、監督生の身の回りには運動部員が多い。こんな事になら人が少なく物静かなボードゲーム部のような文化部に入れば良かったと言われ、監督生は苦笑いをした。
 物静か、入部したての監督生も確かに感じたことである。常に冷静なアズール・アーシェングロットに陽キャを嫌いおどおどした態度のイデア・シュラウド。構成員もさる事ながら、スポーツのような歓声やまぬ試合が起こり得ないようなボードゲームと言う競技。
 しかし実情、この金曜の部活は風評以上の熱気に包まれて、いいや熱気そのものが立ち込めていた。二人の先輩は今にも実践魔法を繰り出さんばかりの勢いで煽り合っている。

「昨日の敗北が受け入れられない気持ちはわかりますが、負け惜しみが過ぎるのでは?」
「アズール氏だって自分の得意分野に持ち込んでた件について。もしかしてアズール氏、勝てる自信なくて日和ってる? サイコロ使うゲーム以外じゃ拙者に勝てないこと理解しちゃってる系?」

 昨日の宣言通り、本日のゲームはイデアの持ち込みだ。大概のゲームで勝利をもぎ取るこの天才が一体どんなボードを持ち込むのか。
 期待していたアズールと監督生は愕然としていた。

「そもそもこれはボードゲームではありません!」
「ゲームはゲームでしょ」
「アハハ……さすがにこれはやりすぎな気が」

 あろうことかセッティングされたのは2D格闘ゲームだった。ご丁寧に使い慣れたレバー付きのコントローラーまで用意する様はただひたすら大人気ない。
 深海育ちのアズールにとってデジタルなゲームは馴染みが無いようで、コントローラーのボタンを物珍しそうに突いている(たしかに防水スマホならよく目にするが防水家庭用ゲーム機なんて聞いたことが無い)。

「あの、イデア先輩……? さすがにハンデとか」
「男同士の決闘にハンデなどありえない! ま、アズール氏がどうしてもと言うならば考えてやってもいいけど」
「くっ……先に操作方法をお伺いしてもよろしいでしょうか……!」

 ゲームは開始の合図前に始まっているのだ。まんまとイデアの屁理屈と煽り文句に負けたアズールがぎこちない手付きでレバーを倒す。イデアも一応ゲームに対しては紳士的で、その早口で余すことなく操作方法やキャラ性能、コンボについてを説明した。

「また拙者の勝ちですな。アズール氏ざっこ! そろそろ引いてもいい?」

 そして案の定イデアが完勝を繰り返す。
 本日のルールは単純明快だ。部員三名は思い付いた罰ゲームを三枚ずつ紙に書いて箱に入れる。勝者はそのクジを引き、敗者に罰ゲームを命じるのだ。

「購買部で駄菓子を箱買いして来る……おっ、コレは拙者が書いた罰ゲームですな。敗北者のアズール氏、宜しく頼みますぞ」
「イデアさんはいつも一言余計なんですよ! まあその程度ならばお安い御用です。すぐに戻りますので再戦の準備を頼みましたよ」

 勝負には誠実なアズールが悪態を吐きながらもミステリーショップに走った。駄菓子と、漠然とした指示に対し彼はいかにもカロリーが低そうな酢昆布を買って来た。
 甘い物の気分だった、と言いながらもイデアは昆布を数枚齧りしょっぱさに目を細めた。ただでさえ鋭い人相に更に磨きが掛かる。不意に見えた雄々しさに血の気が引き、監督生は慌てて右手で左耳を触った。

「次は負けません! もう一回です!」
「仕方ありませんなぁ。このままじゃ勝負になりませんし? ハンデとして拙者は片手しか使いません故」

 調子付いたイデアが煽り文句のもと利き手を尻に敷き、次回戦が始まる。右手だけで繰り出されるコマンドは的確で、やはりアズールのストレート負けと相なった。勝者にジュースを奢る、寮長会議に代理出席する、相次いで出された罰ゲームはイデアが記入したものだろう。
 ところで監督生が書き込んだ罰ゲームは単純で、「テスト情報を全て公開する」「敗者は勝者の言う事を何でも一つ聞く」「一発芸をする」と言った平均的男子高校生のような内容である。つまりここに来るまでアズール産の罰ゲームは一つも明らかになっていない。
 アズールのことだからとんでもない内容を記しているに違いない。稀代のくじ運を発揮するイデアに感心まで覚える中、四回戦が始まりすぐに終わった。

「はいまた拙者の勝ちー。敗北を知りたいですなぁ」
「ボードゲーム部の活動趣旨を捻じ曲げてでも自分の得意分野に持ち込んでおきながら偉そうに……! イデアさんにはプライドと言うものが無いのですか!」
「はいはい負け惜しみ乙。次は……『結婚観を答えよ』?」
「うわ、案の定……」

 首を傾げるイデア、この罰ゲームを投稿した覚えが無い監督生、状況から察するに記入者は間違えなくアズールだ。証拠と言うべきか、彼は眼鏡を持ち上げ大量の冷や汗をかいている。

「これもルールです。仕方ありませんね……」

 汗を拭いがてら眼鏡を直しながらアズールが恥ずかしそうに語り始めた。

「タコは生涯一人のパートナーしか愛さないのです。なので僕は、初めてお付き合いする方と添い遂げるつもりで……」
「えぇー! アズール氏純情ー! 初めて付き合った女性と結婚するとか普通有り得ませんぞ?」
「そ、それは他の種族が不純なだけです! 初恋の方と添い遂げる以上に幸せな事は有り得ません!」
「デュフフ、イケメンのセリフとは思えませんな。監督生氏もそう思うでしょ?」
「え、っと……」
 
 確かに普段のアズールの発言とは思えない。どちらかと言えば結婚詐欺師のようだと思っていたが、耳まで真っ赤にする姿を見たら茶化すのも申し訳なくて閉口した。あれ程監督生の恋バナに乗り気だったのは海の魔女云々ではなく純情だった故ではあるまいか。
 そう思うと可愛らしく、思わずニヤつく監督生の背中をアズールが叩き付けた。バチン、中身が女である事も気にしない容赦無い平手に足の先まで痺れてしまう。

「いった! 僕だけ酷くないですか!?」
「次は監督生さんが恥を掻く番です! 後輩だからっていつまでもぼんやりしていないで参戦してください!」
「えっ、か、監督生氏もやるの? もう今日は終了でよくない……?」

 アズールのヘイトが蚊帳の外を貫く監督生に向かうのも当然の流れであるが、イデアがビクリと縮こまった。どう言う理屈かほとんどのゲームで連敗を喫する監督生は、格闘ゲームだけでは無敗なのだ。
 持ちキャラを選択し、いざ勝負、というタイミングでガラリと部室のドアが開いた。突然の来訪者にイデアはさらに縮こまりフードを被って小さな悲鳴を上げた。

「アズール、何故電話に出てくださらないのですか」
「げ、ジェイド先輩」

 ジェイドがボードゲーム部に顔を出すのは監督生の入部案内以来の事だ。ただあの日と違い、今のジェイドは笑顔であるものの苛立ちを隠し切れていないと思う。アズールが慌てて内ポケットのスマートフォンを確認した。チラリと見えた感じ、着信は数十件に及んでいる。

「悪かった。少し立て込んでいて」
「僕の目にはただテレビゲームをしているようにしか見えませんが? アズール、早く来てください。このままフロイドに任せているとモストロ・ラウンジは血の海ですよ」
「まだお二人の悔しがる姿を見ていな――」
「いいから来てください」

 余程のトラブルなのだろう。アズールの反論も受け付けず、彼は引きずるようにジェイドに連行された。拉致だ、とイデアが小声を漏らす。

「……アズール氏も連れて行かれちゃったし拙者達も行きますか。監督生氏、服とかどうする?」

 当然のようにこの後の予定が決まっている。日常が戻ってきたと安心する反面、好意を自覚した以上は今まで通り呑気にシャワーを借りられる気がしない。

「あ……今日は先にシャワー浴びてから行きます! グリムにも夕飯準備してあげなきゃいけないし、20時過ぎ頃に行ってもいい、です……か?」
「おけ。そしたらまた後でね」
「あっ、先輩! 今日は魔法史の小テスト勉強も見て欲しいんですけど」
「もうそんな時期だっけ。任せなさい」

 兄ちゃん、とはもう言わないのか。イデアがゲーム機一式を抱えて部室を去って行く。時刻は十七時半、さっさと準備してもう一度薬を飲んで出掛けよう。





「お邪魔しま……うわ、いつにも増して酷! 最後に掃除したのいつですか!」
「え、えっと、なんて言うか……掃除する余裕無くて」

 イグニハイド寮長室は元々片付いているとは言い難かったが、初めてここを訪れた以上の惨状に監督生は恋心も忘れて絶句した。今回のランク戦が余程熾烈だったにしても、たったの二週間でここまで部屋をめちゃくちゃに出来るのは最早才能である。
 歯切れの悪い返答を背に受けて監督生はいつかのように散らばる服やゴミをまとめ始める。そう言えばあの時「いい主夫になりそうだ」なんて言われたんだった。思い返すと気恥ずかしく、監督生は右手で左耳を触る。

「そ、掃除とかいいって」
「前にも言いましたけどこんなに埃してたら病気します。勉強見てもらうんだし相応の対価ですから!」
「フヒヒッ……監督生氏、アズール氏に似てきたよね」

 部屋の隅で所在無く髪をいじりながらイデアが「アズール氏と言えば」と部活動の回想を始めた。入部当初の二人のやり取りは確かに興味深いが、その中で監督生は一人仄暗いものを感じてしまう。
 この学園では四年生になると実習が増え、校内に顔を出す機会が極端に減ってしまう。仮に前の世界に戻る術が見付からなかったとしても自分に残された時間は決して長くはないのだ。どうせ異世界に迷い込むならもう一年、欲を言えば二年早く来たかった。
 物思いに耽る姿が邪推をさせたらしい。早口を中断したイデアが不安げに監督生を見上げた。

「拙者ばっかり喋っててごめん。オタクの早口キモかったよね……?」
「そうじゃなくて……なんていうか、一年前からやり直せたらいいなーって思っただけで」
「またそれですか。強くてニューゲーム派の拙者とは相入れませんな」

 上手く誤魔化せたのだろう。イデアは怪しげに笑いながら「もし自分が一年前に戻れたら寮長を死ぬ気で回避する」と持論を展開する。
 さながらロールプレイングゲームのように完璧な学園生活の立ち回りを語る中で、イデアは「そう言えば」と普段と違う切り口の質問を投げ掛けた。

「監督生氏は元の世界で部活入ってたの?」
「僕ですか? 僕はえっと……」

 この世界に来て数ヶ月、毎日が目まぐるしく全てが新鮮で、前の世界でのことを思い出す事は今やほとんど無くなっている。積極的に思い出そうと記憶の糸を辿るが、モヤが掛かったようにぼんやりしてうまく言葉が出て来ない。
 しかしまあ、どうせ思い出せない程度なのだから、今のボードゲーム部と比べて取るに足らない活動しかしていなかったのだろう。

「何かやってたとは思うんですけど、忘れちゃいました。思い出したらお話しますね」
「そ、そっか。忘れ……あっ! 監督生氏その袋は捨てないで! がけもの握手会応募券付いてるから!」
「わっ、すみません!」

 会話に集中する余り手当たり次第の物をゴミ袋に押し込めてしまっていた。掃除はもう良いから、とイデアが監督生に着席を促す。
 足の踏み場は出来たので、監督生は定位置たる衣装棚の前に腰掛けて寄り掛かった。引き戸の取っ手が健康器具のように背中に当たり心地良いのだ。

「ところでアズール氏が言ってた結婚観、自分で自分の首を絞めたとこも含めて永久保存モノでしたな」
「確かに! 潤滑な学園生活の為にも録音しとけばよかったです!」
「監督生氏は結婚願望あるの?」
「えっ!? わた、僕、は!」

 アズールは監督生の為にイデアの結婚観を聞き出そうとしてくれていたのだろう。部活動中は失敗に終わったが、まさかこのような形で話が広がるとはさすがのアズールも計算していなかったに違いない。
 降って沸いたチャンスに跳ねる心臓を落ち着けるように、監督生は右手で左耳を触った。さすがはオクタヴィネル寮長アズール直々の暗示魔法だ。見る見る血の気が戻って行く。

「それよりイデア先輩はどうなんですか? って、名家なんでしたっけ。許嫁とかいないんですか? ……あ」

 やってしまった。
 何故自分は自分と他人を同時に傷付けるような質問を選ぶのだろう。冷静になり過ぎた頭は簡単に口を滑らせてしまう。常日頃からイデアはシュラウド家の名前を重荷に感じているのだ。その上でイデアへの恋心を抱く前の調子で軽口を叩いてしまった。
 ただその調子がよっぽど普段通りに見えたのだろう、イデアは相変わらず髪を指先に絡めながら「それなー」と気のない返事をした。

「無い無い。もしあったとしても拙者の許嫁とか罰ゲーム過ぎる件について」
「そんなこと……無いと思いますけど。イデア先輩はどう考えてるんですか?」
「拙者は一生独身で良いんだけどそうも行かないから、あー、監督生氏みたいな奥さんなら歓迎なんだけど」
「ひぇ」

 今この人、わたしみたいな奥さんなら歓迎だって言った。思わず変な声が溢れてしまった。ダメ押しにイデアは「趣味合うしシュラウド家のことよく知らないでしょ。おまけに掃除上手で」と、監督生を先日話した理想の女性像に重ねる。
 まるでこれはプロポーズだ。もしかしてイデアもまた自分に恋心を寄せているのか? 両片思いというやつではあるまいか? 左耳を触る指先に力が籠る。落ち着け、イデアにとってのオンボロ寮の監督生はただの超長身男子生徒なのだ。

「監督生氏は元いた世界で気になる女子とかいなかったわけ?」
「ぼ、僕はそう言うの人一倍疎かったので、全然……て言うか前の世界じゃ独り身って普通でしたから! 独身貴族とか晩婚化とか出生率低下とか社会問題で!」
「独身貴族とは理想的な響き! 監督生氏が元いた世界に帰られるようになるなら拙者もご一緒したい所存ですぞ」

 もし前の世界に行けたとして、イデアとは絶対に離れることになる。その未来を思うとやはり、この恋心は封印しなければならない。
 握り込み過ぎた右耳がじんじんと熱を帯びている。これ以上この話題が続いたら、いよいよ正気を保てる気がしない。

「それはそうと、あの、ゲームやりましょう! アズール先輩の仇打ちです!」
「モニター周りがスッキリしてて拙者の部屋じゃないみたいで落ち着かない……」
「ワガママ言わないでください。ちゃんとこの状態維持してくださいね! 無理そうなら僕が毎週掃除しますから」
「監督生氏通い妻みたいで草」
「……、………忘れてました。ゲームの前に勉強お願いします」

 これ以上期待させないで欲しい。その一心で監督生はテキストとノートを開いた。今回の範囲はここからここまでで、と言うやイデアはパソコンを開く。

「はいこれ、イグニハイド謹製の対策資料。アズール氏のノート程じゃないけど平均点獲得は保証するから。はい勉強会終了! 今日こそは監督生氏をボコボコにしますぞ!」
「アハハ……」

 資料のデータを監督生のアカウントに送信するや、イデアは意気揚々とレバーのついたコントローラーを引っ張り出す。
 彼女の悩みなど、イデアは察しもしていないのだろう。その関係性が嬉しくもあり淋しくもある。もやもやとした感情の中監督生はもう一度右手で左耳を触り、「今日も勝たせてもらいますので」と持ちキャラを選択した。

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