罰ゲーム
「お、監督生今日もでけーな!」
「エースはいつ見てもちびっ子だね。一限って魔法薬学でしょ? 早く準備しちゃおっか!」
「……なんか今日の監督生、機嫌良くね?」
魔法のハーブティの効果は素晴らしい。気持ちは落ち着くし何と言っても美味なことこの上無いのだ。悩みの種が一つ解消された監督生は上機嫌のまま植物園に大股を向かわせていた。
魔法薬学はその名の通り魔法薬の理論や実験を行う課程である。魔力の耐性どころか素養すら持たない人間が万一にでも薬液に犯されては大問題だとのことで、監督生はこの授業の免除が確約されていた。
「監督生いつもこんなダルいことやってるわけ? 異世界人も大変だな」
「授業免除だからってサボっていいわけじゃないからね」
とは言えソレは、生理を理由に水泳の授業が免除になるような単なる恩赦では無い。彼女の役割はもっぱら準備、雑用係である。
本日は一年生全員での合同実習が予定されており準備する物が多い為に、監督生はエースにデュース、グリムの手を借りていた。
「あーあ。失敗したらまた文句言われんだろうなー」
「この日の為にきちんと予習復習したんだ。僕だけでも絶対に成功して見せる!」
「俺様は天才魔法士になる男だからよゆーなんだゾ!」
「この前の実習で派手に大釜爆発させてたくせに?」
普段通り口喧嘩からの追いかけっこを始めた一同を背に「今度はジャック達にお願いしよう」と思いながら薬草の収集を進めていく。
言い争いも落ち着いたのか、カゴに詰めた葉っぱを突きながらデュースが大きな溜め息を吐いた。
「なあ、来週の小テスト勉強進んでるか?」
「朝っぱらから嫌なこと思い出させんなって」
「ふなぁ……紙のテストより俺様もっと大魔法をぶっ放してぇんだゾ!」
頼みの綱のアズールのノートがポイント制になった以上、今度の小テストでも赤点は免れない。異世界出身たる自分も勉学の進捗は絶望的なものだが、そんな中でも監督生は余裕を決め込んでいた。
「僕はイデア先輩に教えてもらう予定だから。内容流してあげるから元気出してって」
「はぁ!? マジかよ!」
一同が顔を見合わせた。
アズールがオーバーブロットに至った件の定期テストで、監督生が出であの指導により赤点を回避していたことは周知の事実なのだが、エースとデュースの関心はそこではない。
「監督生、ボドゲ部復帰すんの?」
「辞めたって思ってたんだけど!」
「え? なんで?」
「結構な騒ぎになってたのに知らねえの?」
ボードゲーム部に立ち寄りもせずタブレットを見ただけで青い顔をして逃げ出していた。そのせいで「あの監督生がイデアを見限った」と学園はちょっとした騒ぎになっていたらしい。
確かに監督生はゴースト事件以降イデアを意図的に避けるように動いていた。ただその原因が恋心にあるとも、自らが実は女子だとも、知る人はアズールただ一人だ。
「あー……そうじゃなくて、料理教室が忙しかっただけ、みたいな? 金曜に勉強教えてもらうから、土日は空けといてね」
「マジ助かるぜ! そんじゃー俺ら、先に薬草持ってっとくわ」
「残りは僕らじゃ無理そうだから頼んだぞ」
「あはは、……うん。ありがと」
背の高い木の枝先に実る赤い果実を見上げる。さすがの長身でもジャンプして届くかどうか分からない。ゴースト事件の時とは違い、今の自分は見掛け倒しの長身だ。バランスを取るのも一苦労なのであまり激しい動きはしたくないのだが、脚立を取りに行く時間もない。
「ぐぇっ!」
周囲をろくに確認せず飛び上がったのがいけなかった。案の定着地に失敗し派手に転んでしまった。それなのに感触が柔らかい。
「この俺様の寝込みを襲うとはどこの子ウサギ……って、監督生か?」
「レオナ先輩すみません! ちょっと転んじゃって……土下座でも何でもします!」
いつかグリムが植物園で寝ていたレオナの尻尾を踏んだことがあったが、その時以上に怒らせてしまったに違いない。
慌てて地面に頭を擦り付けた監督生にレオナは溜め息混じりに「そう言うことか」と言い放った。どうやら許して頂けたようだ。
「いいから顔上げろ」
「すみません……あっ、体重はアレです! 異世界のBMIってこんなもんなんですよ!」
「はぁ……わかったよ。それよりお前、最近またあのカイワレ大根とつるんでるんだってな?」
カイワレ大根と言われ瞬時にイデアのことだと理解出来てしまった自分に思わず苦笑してしまう。右手で左耳を触りながら監督生は「そうですけど何か?」と答えた。
「異世界から来た張りぼて人間とシュラウド家の坊ちゃんとは中々おもしれぇ組み合わせだと思ってな」
「イデア先輩といたらなんとなく落ち着くんですよ」
シュラウド家、常識のように語られるその家名について、唯一の情報は「死者から好かれる」ということぐらいである。霊媒体質、イタコの家系なのだろうか。
監督生とて気にならない訳は無いのだが、事あるごとに「シュラウド家は呪われている」と言ってフードを目深く被るイデアを前に本人に尋ねるタイミングを完全に見失っていた。
ここで聞けばレオナは答えてくれるだろう。ただ監督生はそうしなかった。
「アイツといて落ち着くとはお笑いだ! まあせいぜい気を付けるんだな」
「口調がうつらないように、とかですか? あっ、それよりあの木の実取るの手伝って欲しいんですけど」
今度は呆れまじりの溜め息だ。最近他人の溜め息をよく耳にする気がする。
やれやれと頭を掻きながらレオナがマジカルペンを振るった。魔法に乗って果実が見る見るカゴに吸い込まれていく。レオナはいつも植物園で寝ているのだから今度から手伝ってもらおう。
深々と頭を下げ、監督生は実験室に走った。
「イデア先輩乙です!」
「監督生氏っ! 体調大丈夫? 風邪なんだよね? 無理してない?」
部室で備品を拭き上げる監督生に向かい駆け寄ったイデアが両手を取る。昨日までの彼女ならば気絶してしまっていたであろうシチュエーションだが、アズール謹製の魔法薬のおかげで平常心を保つことができている。
「もう平気です! ご心配ありがとうございました」
「よ、よかった。あんまり心配させないでよ」
「イデア先輩もネトゲのランク戦大丈夫ですか?」
「昨日一日で取り戻しましたぞ! 拙者の華麗なエイム、監督生氏にもお見せしたかったですなあ!」
「そしたら明日お願いします」
「……また来てくれるんだ」
不安げに歪められた眉、長い睫毛に涙が滲み金色の瞳が監督生を心許なく見上げている。両手を握ってギュッと胸元に当てる、いつものイデアの仕草が今の監督生には途方も無く愛らしく映っていた。やっぱりこの人は顔が良い。
イデアは追い討ちをかけるように「もう僕とは遊んでくれないと思ってた」と呟いた。見惚れるばかりに言葉が出て来ない。監督生は慌てて右手で左耳を触った。
「イデア先輩さえ嫌じゃなければいつでも行きますよ。あ、オルトくんって明日は起きてますか?」
魔法は万能では無いなんてとんだ大嘘だ。アズールが「落ち着く為の条件魔法だ」と言ったその行為には確かな効果があり、恋心を自覚する以前と変わらぬ調子で会話が出来る。
「今週はネトゲ周回に付き合わせちゃったからスリープモードにしとくつもりでござる。来週だったら新しいバッテリー用パーツが届くから遊べると思うんだけど」
「よかった。また一緒にゲームしたかったんですよー」
日常が戻ってくる。その幸福に浸る中、無遠慮に部室の扉が開いた。この登場は間違い無い、アズールである。
「お二方ともお揃いで! それでは早速部活動を始めましょう!」
「いつになく機嫌が良いですな。何か企んでる?」
「ええ。今日は僕の得意分野で戦おうと思いまして!」
アズールが監督生に目配せをする。これはもしかしなくても、余計な御世話なのではなかろうか。
小脇に抱えたボードを机に拡げた彼は対戦相手にイデアを指名した。ハッピーライフゲーム、記憶を辿るところ、これは前の世界で言うところの「スゴロク」だ。
「意外ですね。アズール先輩って運ゲー嫌いそうだったのに」
「そか……監督生氏は知らないんでござるか」
魔法の世界のスゴロクは何かが違うのだろうか。アズールはボードを広げ駒を二つ並べ「1」と宣言しサイコロを振った。
何の変哲もないそれは、テーブル上を何度かバウンドしピタリと止まる。そこには赤い点が一つ天井を見上げていた。
「え、偶然?」
「以前の僕は5の目しか出せませんでしたが、今回は違います! 特訓の末1、3、6、この数字を確実に出すことができるようになったのです!」
「だ、だからこれはそう言うゲームではなく……って、待って! 監督生氏の駒は?」
「よくぞ聞いて下さいました! 今回は罰ゲームを設けますので、公平を期すために監督生さんには審判をお願いしようかと」
「え、えー……」
嫌な予感ほど当たるものだ。折角イデアと平常心で接することが出来るようになったのに、アズールはあくまで「海の魔女」よろしくこの恋愛を成就させたいらしい。どうせ碌でもない取り決めを付けるのだろう、思っていたがその口から出てきたのは意外な言葉だった。
「敗者は勝者の質問に何でも一つ正直に答える。簡単な罰ですがいかがでしょうか?」
「はいはい慈悲深い慈悲深い。クレカの暗証番号とかは無しにしてよ」
「その辺りは弁えているのでご安心を。それでは開始です! 僕は三マス先の『株が当たった。2億円獲得』を狙います!」
先攻、アズールは宣言通り賽の目を「3」に合わせた。あれ、スゴロクってこんなゲームだったっけ。
圧倒的なコントロールでアズールは見る見る資産を増やして行く。この快進撃にたじろぎながらも、イデアも出目をある程度操作して「相手はスリに合い五十億円失う」などと言う理不尽なマスを目指していた。
「さすがはイデアさん。一筋縄では行かないようですね」
「アズール氏とこのゲームをするのは二十回目ですから。監督生氏ごめんね、つまんないでしょ」
「スゴロクの新たな一面見たり、て感じで結構面白いですよ」
資産を増やすことに特化したアズールと相手を地獄に引き摺り落とすことに重きを置くイデアの戦いは、本人らの性格が滲み出るようで中々見ものである。しかし最後の一手、勝利したのはアズールだった。
「僕の勝ちですよ! イデアさん!」
「ぐぬぬ……まさかここまでコントロールを完璧にしてくるとは」
「スゴロクって心理戦だったんですねー」
どうやらこのゲームで相当の悔恨があったらしく、総資産僅か一万マドルの差で勝利したアズールは高らかに笑っている。その様子を尻目にイデアが「アズール氏のこう言うとこって可愛いよね」と耳打ちした。可愛い、自分も言われたい。
拗れに拗れた状況下でアズールは宣言通りの「罰ゲーム」を執行せんと立ち上がった。敗者は勝者の質問に何でも一つ正直に回答する、一体この人は何を吹っ掛けようとしているのだろうか。
「イデアさん、好みの女性のタイプを教えてください!」
「ひっ、え、そ、そそそそんな事聞いて何になるの!」
「そ、そうですよアズール先輩! どうせ男子校なんだしそんなの知ったとこで面白く無いっていうか、馬鹿なんですか? やめましょうって!」
ほとんど同時に叫ぶ二人を差し置いてアズールが不敵に微笑んだ。コレはアレだ、一石二鳥どころか三鳥を狙う時のアズール・アーシェングロットである。
「陸の生き物の恋愛観に興味がありまして。それにイデアさんの弱味を知っていると、今後何かと役に立つ質問だとは思いませんか?」
「で、でも僕は三次元に興味無いって言うかそもそも三次元女子が僕なんて見ないと言うか……」
「勝負は勝負です。イデアさん、さあ!」
まるでハーツラビュルやスカラビア寮生を前にするかのように萎縮するイデアがいじらしい。フードを被り縮こまった彼にアズールは尚も詰め寄る(絶対に敵に回さないようにしようと監督生は心に誓った)。
緊張しているのは何もイデアだけでは無いのだ。もしこの回答が「元の自分の姿」とかけ離れていたら暫く立ち直れる気がしない。息の詰まる瞬間、イデアはいつも以上にボソボソと話し始めた。
「せ、拙者と趣味が合う……とは言わなくてもせめて嫌な顔しなくて、シュラウド家の事を気にしない子……とか。そ、そんな人この世界中どこ捜してもいるわけないのはわかってんだけど」
「なるほど、実に興味深い回答です。ついでに結婚願望もお聞きしたいところですが」
「質問は一個って言っただろ! そろそろ部活の時間も終わるし、拙者もう帰るから!」
「残念ですね。それではまた明日お聞かせ頂きましょうか」
「明日は拙者がゲーム決めるから!」
フードを被ったままイデアが駆け足に部室を後にした。残された監督生はアズールから手を差し出されている。
呆然としていた監督生であるが、この意味なら分かる。毎週同じゲームやアニメ、マンガに映画で盛り上がりシュラウド家が何なのかよく知らない。自分はもしかしなくてもイデアの理想の女子像そのものだ。
「アズール先輩最高です!」
「今更気付きましたか? 何と言っても僕はかの慈悲深い海の魔女の意思を受け継ぐ人魚! こんな事お手の物ですよ!」
「一生ついていきます!」
意図せず抱き合う形になったがアズールは少しも動じていない。ソレが、自らの事を真に友人として受け入れてくれている事を証明していて一層嬉しくなった。
一通り手を叩き合った二人は各々夕食に向かうことにした。今日はいつも以上にご飯が進む気がする。