「お忘れ物ですよ」
「あらいやだわ。ありがとう」
ヴァルケンハインさんとお会いしたのは何日振りだろうか。付いていくとごねるハザマさんを押さえ付け出て行った帰り道、仰々しいぐらい丁寧な老夫が電灯の下に行儀よく立っていた。
件の日はシチューを食べながら手紙の内容に補足を強要されてそれはもう大変だった。紛らわしい書き方をするなとか、心配過ぎて胃が痛かったとか、それから案の定あの吸血鬼と関わるなだとか、独占欲の強い彼氏を持つと大変ですこと。
「……レイチェル様の真似事ですか」
「わたしも吸血鬼になりたいんです」
満月の夜の似合う少女になりたかった。月はなんでも知っている。その裏側には地球人を監視する月の民のアジトがあって、わたしたちは一人一人日々の善行をチェックされているのだ。それから一年を通して善人ゲージが溜まった人間にプレゼントを送り届けてくれるのである。
「嘘です。やっぱりいい子か月人になりたい」
「はあ……貴女が何を考えているかさっぱりわかりません。レイチェル様が気に掛けられるのも頷ける」
「考えてるのは簡単ですよ!」
わたしは単純明快な人間である。ただ神様はいるって思っているだけの普通の女の子だ。いや、女の子という歳でもなくなってきたかもしれない。お月見団子を頬張るに相応しい童の歳に戻りたい。
「昔に戻りたい……」
「それはいけません」
ヴァルケンハインさんはハッとした表情で言った。この人しかりレイチェルさんしかり、あとはココノエさんや先日の女の子も何か知ってるみたいに、それもわたしじゃないわたしを勘違いしているみたいに話すけれどわたしはそれが嫌で嫌で仕方ないのだ。誰も確信めいたことは言ってくれなかった。言われたところで、はい人違いーとか笑うところまで準備はできているというのに。
「あの、わたし単純なんです。あと凄く聞き分けがよくてなんでも言うこと聞くんです」
「ならばあの男と関わるのはおよし下さい。レイチェル様も何度も……」
「だから言うこと聞いちゃうんです。ハザマさんから私の為に生きて下さいっていわれて、それをちゃんと守ってるっていうか」
そして最近ハザマさんは、自分はミョウジの為に生きるとか約束してくれた。人生を引き換えにするぐらいの価値がわたしとハザマさんの間にはある。ハザマさんがああ言ったのがただのリップサービスでないことぐらいは馬鹿のわたしにもわかった。怒られたけれど。
「雨、降ってきましたね」
「ご自宅までお送りは、しなくてもよさそうですね」
「あっ、ヴァルケンハインさん」
「わたくし共は貴女に謝罪したいだけなのかもしれません。それでは」
ヴァルケンハインさんは紳士っぽくお辞儀をして雲の影に消えていった。雨がぽつぽつと髪を濡らしていく。傘なんて持っていないけれどなんとかなることは知っていた。
「ミョウジ、捜しましたよ。こうなるから付いていくと申したんです」
「ふふーん」
「何をニヤニヤしているんですか、気持ち悪い」
「ほんとにわたしの為に来てくれたなーって思って」
「ち、違います! ミョウジがいないと仕事に時間が掛かるだけですから」
とか言いながらも結局優しいハザマさんに頼り切っている。こんな心境じゃ今年も善人ゲージは溜まりそうにないな。
雨はすぐに上がって、雲の間から月明かりが差してきた。やっぱり天体はきれいだ。あれに似合う少女なんて難しいけれど、ハザマさんに似合う女性になれたらいいなあとは思う。そうしたら多分誰もわたしを心配なんてしないだろう。