アセムの矛盾 | ナノ

魔法の念仏


 家に帰ると部屋は真っ暗だった。それもそうだけれど、一人の夜は落ち着かない。
 明日は何をしようと街の情報誌を広げる。自分の家の近くでも案外知らないことだらけだ。結構ワクワクしながら計画を練っていたのに、翌日わたしは寝坊した。午後三時を回った時計に目の前が真っ暗になった後、頭の中が真っ白になった。

「今年は寝正月だ!」

 正月どころかクリスマスも住んでいないけれど、なんだか気怠くてヤル気が湧かない。それでも腹は減る。空腹以外に行動理念が無いのは悲しくなった。断食なんてそんなの生き地獄である。わたしは堪え性が、極めて、無い。
 ご飯を食べよう食べようと思いながら、時計は11時を回っていた。日付が変わる前にファミレスに行こう。しかしこの時間になるとハザマさんが帰ってくるかもしれない。
不摂生を叱られそうな気がしたので、気の利いた(媚びた)書置きを残すことにした。


拝啓ハザマ様( 手紙なんて何年も前に勤労感謝の日に出した拙いもの以来で緊張してしまう )
ハザマさんのおかげで、幸せな人生でした( 普段の感謝の気持ちを手紙にしましょう。口では伝えにくいことも、文字ならば恥ずかしくありませんよ。とか誰かが言っていた )
ハザマさんのこと愛しています。大好きです。( 普段言いにくいことと言えばアイシテルの5文字だ。ブレーキランプを5回踏めずにいるのだ )
親愛なるハザマさん。あなたがいないとわたしは生きていけません( それからこの二日間いかにハザマさんがいないと自分は駄目なのかを思い知らされた )
大好きです。愚かなわたしをお許しください( 普段あまりに調子に乗った態度だから、この際だし怒られる前に謝っておこう )


 我ながら完璧な手紙に惚れ惚れする。それから一念発起して近所のファミレスに行ったのだけれど、そこでなんと吸血鬼と執事さんに出会ったのである。

「え! なんでこんな庶民的な場所に!」
「あら、ナマエじゃないの。貴女こそいつもの趣味の悪い男は一緒ではないの?」
「気味の悪い男なら仕事です。なんとわたしは一人暮らし中」
「料理も出来ないのかしら、ヴァルケンハイン。彼女に食事の作り方を教えてあげなさい」
「はい。よろこんで」
「やったー」

 そしてほいほいとついてきてしまった。この執事さんは本当に何でもできる方のようで、初心者ならばと調理器具の名前から教えてくれた。野菜は洗剤で洗うなと言うがそこまで常識のない人間ではありません!
 包丁を握る手が危なっかしいとは言われていた。けれど月並みに、野菜を切る段階で指まで切って血だらけにしてしまって執事さんは呆れたような心配そうな顔を見せた。

「血が止まらない……」
「すぐに救急箱をお持ち致します」
「この血溜めてレイチェルさんにあげたらよろこびそう」
「レイチェル様はそのように低俗な吸血鬼では御座いません!」

 血を飲まないんだって。だったら何で生きているかと聞くと大概紅茶を啜っているらしい。固形物はたまにしか口にしなくても悠久の若さと元気を保つことができるのだという。これぞ究極完全生命体だ。わたしが目指すものはそこにあるのかもしれない。多分ユウキさんは何にも食べないで昔っからあのお姿のままでいるのだ。
 ガーゼを指先に巻いて、気を取り直して作業に戻る。わたしの知っているシチューは切った材料をお湯の中に入れてルウと牛乳を混ぜたらすぐにできるけれど、バターだとか小麦粉だとか、やたら手の込んだ作業がいくつも入って結局最後までシチューの素をお目にかかることはできなかった。

「これで完成です。お疲れ様でした」
「こくまろは?」
「その為の手順だったのですが……」
「うわあああシチューの味がする! ヴァルケンハインさん凄いです! ありがとうございます!」
「お疲れのことでしょう。持ち帰られますか?」
「少し食べて残りは持って帰ります」

 宣言通り少し食べて、お腹にたまったので鍋ごともといた場所に帰してもらった。道中で大鍋を抱えている様は絶対に異様なのに、もうまばらになった通行人各々はわたしのことなんて見えていないみたいに素通りしていく。ハザマさんに食べさせたら驚くだろうか、多分吸血鬼さんに会ったことを怒られるだろう。

「ここまでで大丈夫です! 今日はありがとうございました」
「ご自宅までお見送り致しますよ」
「レイチェルさんが家まで飛ばしてくれなかったってことは、多分ハザマさんが帰ってきてるんだろうから大丈夫ですよー」
「それもそうですね。お気を付けて」
「はーい!」

 ヴァルケンハインさんはそれから少し歩くと薔薇色の魔法陣に包まれて消えてしまった。その姿すら周りの人は気にかけないでうつむいて歩いている。仕事帰りなんだろうかと時計を見てみたら、思いの外時間が経っていた。深夜二時だと。
 明日は仕事だというのに思っていた以上に夜更かしをしてしまっているけれど、眠くならないのは昼過ぎまで寝ていたからだろう。それにわたしには置き手紙がある。門限は無いけれど遅い帰りを叱られることは無い筈だ。

「あーあ、早く帰ろう……」

 わたしも魔法が使えたんなら家までひとっ飛びするし、鍋の重さを羽のそれと取り替えるのに。なんだか出来そうな気がした、いいやできる。信じる者は救われるのだ。

「ちちんぷいぷい、ちちんぷいぷいあぶらかたぶらなんみょーほーれん」
「ミョウジ!」

 鍋に呪文を掛けるわたしを呼び付けたのは勿論ハザマさんだった。





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