君に痛み分け | ナノ
「え、テルミさん……?」
「んだよ、悪ィかよ」
「セクハラ!」
「慰安婦扱いしてねぇだけ感謝しやがれ。ズル休み女」

ああ、バレてた。じゃなくてこの人は、一体、何をし始めると言うんだ。心臓が嫌に速く鳴ってしまうのは後ろ姿にハザマさんの影を感じたからで、それか慣れないことをされているせいなんだ。とかいくら自分に言い聞かせても治らない。テルミさんの長身にすっぽり抱かれて、わたしは動くこともできないでいた。コートの金具が額に当たって少し冷たくて痛い。文句を言うと対抗するように抱き締める力が強くなった。左手で頭を乱暴に撫でられているのがわかる。右手は腹部に回されているから呼吸も楽にできない。

「なんで?」
「まだ気付かねぇの? マジでナマエちゃんってバカだな」
「ズル休みバレてたの知らなかった」
「そっちじゃねぇよ。バーカ」

やっと腕の力が緩んだところで見上げてみると、テルミさんはいやに真剣な顔をしていた。いつもニヤニヤしていた口許は堅く閉じられていて、視線はどこまでもまっすぐで、きっといつものわたしならそんなテルミさんを茶化している。
けれどどうしたことか空気に飲まれてしまっていた。テルミさんの目から逃れられないし、不思議と逃げたいとも思わない。

「たまには会わせてやれるけど」
「うん」
「鳥じゃなくてあれ、機械の音」
「え?」
「お前ん家の近くに第七機関の施設があんの知らねえの? 気味悪ィ実験してんだよ」
「実験?」
「ナマエちゃんのこと何とかしてぇ奴が他にもいんだよ」
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「だろうな。俺もわかんねえ。だってよー」

テルミさんは疲れ果てたみたいにソファにどかりと座り込んだ。そして、何でこうなるかなーとか頭を抱えている。その声がたまに泣き出しそうな鼻声になるのがなんとなくオカシクって、でも笑うことはできなかった。どうしてこうなるかなあ、わたしのセリフだ。心臓は少しだけ落ち着いた。

「俺さ、ナマエちゃんのこと好きなのかも」
「なんだそれ」
「テメェがバカだからちゃんと言ってやってんだよ。真面目に聞きやがれ」
「真面目だよ、超真剣」
「……多分そういうとこなんだよな」
「でもわたし」
「こうなっちまったのが少し嬉しかったりしてよ。でもナマエちゃんっていつもハザマのこと考えてんだろ」
「それは、そうだったけど」
「上手くいかねぇことなんざ慣れてたって思ってたけどよ、やっぱキツイもんがあるわ」

ここまで来ると馬鹿なわたしでもなんとなくわかってしまった。テルミさんとハザマさんは本当に別人で、早朝の怪鳥が二人をひっくり返してしまったんだ。奇怪な話だけれど、わたしの知っているハザマさんはこんな風に、頭を抱えて弱音を吐くことなんてしない。なんとなく鼻がつーんとした。それは幻滅しているんじゃなくて、テルミさんがやっと戯けるのをやめてくれたっていう嬉しさがさせている。

「まだ時間かかるよ」
「待つのは慣れてるわ」
「無理かもしれないよ」
「それもわかってるっての」
「いつから?」
「ナマエちゃんが考えてる百億倍ぐらい前から」
「テルミさん」
「ユウキ」
「え?」
「名前で呼ばなかったら飯奢りな」
「ユウキさんなんて嫌いだ!」
「やっぱ飯がかかると順応早ェな」

ユウキ=テルミは屈託無く笑った。なんだか不思議なことになってしまったなあ。これからわたしは人並みに引きずって、少しずつ忘れてって、何事もなかったみたいに元気になっていくんだろう。自分のことが薄情だとか、もう自己嫌悪に陥ることはなかった。ユウキさんはコートを羽織って目深くフードを被った。覗く金色の目玉が少しだけ恰好良く見えてしまった。わたしは順応が早い。

「テメェが好きだって気付きやがれ」



 ハザマさんはわたしを抱き締めて、頬に軽いキスをした。多分わたしの涙は目から零れて、ハザマさんの唇を濡らしてしまっただろう。こんなことをするハザマさんは知らなかったけれど、そんな彼を見るのはもしかしたらとても尊いものなのかもしれないと少し思うのだ。

「あなたが今でも好きなのです 」


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