わたしがソレに
首を突っ込んだのは
あくる葬儀の後だった
「これは私も伝聞でしか無いのですが、昔戦艦ごと不可視化しようとした実験がありまして」
「昔? 今ですら術式を使っても難しいのに」
「それが成功したんですよ。当初はレーダーから逃れられたら御の字と言われていたのに、丸切り姿が見えなくなったと」
「肉眼でも?」
「勿論」
ハザマさんはいつもと違った調子でニヤリと笑った。その様はイタズラに成功した少年で、あどけなく、初めて垣間見た表情に背筋が凍る気がする。冷たい汗がツー、と肌着の間を伝って、その時やっと自分が必要以上に姿勢を正している事に気が付いた。
「まあほんの数分の話で、その後は遠く離れた場所に何事も無かったように現れたんです。ただ一点、瞬間移動とは別に妙な雰囲気だけを残して」
「妙な……?」
戦艦ならばある程度と言わんばかりに大きなモノだろう。ソレがどこだかに転送されるだけでも充分奇っ怪なのにまだ足りないと言うのか。
真っ当に疑問を投げ掛けてしまったことを少しだけ後悔した。今日も変わらず報告書を繕う手を止めて彼は、愉快そうに笑って見せている。
「甲板にいた兵士の姿が一人も残さずいないのです。実験前までは確かにそこにいたはずだと言うのに」
「なんだ、船室に入っただけですよ」
「ええ、そう思って駆け付けた海兵は船に乗り込みました」
その日のハザマさんの話にはいやに惹き込まれるものがあった。戦艦とか海兵とか、魔操船が一般的な今を考えたら歴史の教科書に載るぐらいの昔の事で、だとしたらいつもの狂言と何ら変わりないのに、不思議と、生々しく、艶やかに紡がれるトンチキな話はわたしを魅了して離さない。そもそも似たような話だったら何度も繰り返されていた。グレイガタウチュージンとかいうのをベイコクが連れ帰っただとか、ネスコのユーマ、Q日本軍の七三一部隊だとかはあまりに胡散臭くて内容ナンテてんであやふやだ。
その時何ンと無く、ハザマさんは話し相手が欲しいだけだったんじゃないかなアと思った。ロアーと言う、知的好奇心をくすぐる標題を並べ立ててわたしに相手して貰いたかっただけなんじゃないかと、だとすると気の惹き方をコレしか知らない彼はあまりに不憫である。
「船の中にいたんですよね」
「ええ、いましたとも。ただ船内は地獄そのものだったそうですが」
「人が死んでたとか?」
「いいえ。生きていたから地獄なのです」
「はい?」
彼が大袈裟に笑う。いつものニヤけ面とは打って変って、その時は心底面白そうにしていた。先程見せた思わせぶりな笑顔より、素直に笑う方がよっぽどキチガイじみている。
「ミョウジさんであれば死よりも恐るべきものをご存知かと思っていたのですが」
「……死に切れなかった人達?」
恐る恐る遣った返答に、彼は一等嬉しそうにソノ蛇を思わせる金色の瞳を煌めかせた。
「そうです! 彼らもまた絶命には足りず、身体が裏返ったり鉄の扉に上半身だけめり込んでいたり、腕だけが透明に消えたりとまさしく地獄の沙汰だった……とまあ、傍目からは見世物小屋のような愉快な出来事だった訳ですが」
「……気持ち悪い」
気持ち悪い。
これまでわたし達は、任務を遂行出来なかった同輩達の回収を銘打って焼け野原になったイカルガの地を何度も訪れていた。即死出来たら良かったものの、もう助からないような風体で蠢く肉塊とヒトの間の子のような存在を涙ながらに足蹴にしてきたのだ。
今日だってソンナのを何体も見た。葬られた元人間の中にはソレこそ火葬されるその時点まで息があって、喉が潰れたあまりに身体をのたうち回らせ極楽を懇願するような(思い出すと吐き気がする)、どうやら彼はソノ風景を切り取って「フィラデルフィア」とやらを回想したらしかった。
別にわたしも人が焦げて行く様にステーキを思った事が無い訳では無い。しかし当然ソンナのは口に出すのを憚られる話題であるし不謹慎そのものであることを弁えている。倫理観の欠落した彼は残り衛兵の数を、買い出しのメモでも連ねるがように、相変わらずの調子で綴っていた。
「ハザマさんの与太話なんて聞かなければよかった。時間のムダです」
「そんな冷たい事を言わないでくださいよ。私も傷心中なのです!」
だから場を宥めようとしたのだと語る、胡散臭い笑顔を見る都度にどうしてこの人の補佐をしているのか馬鹿馬鹿しくなってくる。例えばわたしはキャトルミューティレイションでも受けて脳をイジられたんだろうか(聞けば聞く程疑わしい小咄をなんだかんだで総て憶えている事に気付いて自分が嫌になった)。
したがって今日のこの話題も忘れられないンだろう。今からわたしは一生、戦地の片付けをするたんびにコレが脳裏を過って、胃と頭の中身をグチャグチャにしてしまうのだ。コンナ奴の為に祈働くのがいよいよ滑稽に思えて来て、いよいよ異動願を出さんと立ち上がった。しかし彼はわたしの意図を透かしたように片手で足取を制止する。
「そろそろ頃合いかと思いまして」
「……何の話ですか」
「私も消えてご覧に入れようかと」
「勝手にしてください。どうせできませんけど」
姿を消すのは魔法の類で今やソレは喪われている。だからハザマさんが、チョット散歩に出る程度の調子で言う「消えて見せる」話は虚言にも満たない絵空事だ。そもそもこの人が術式を遣う場面ナンテ封緘を開ける様でしか見た事が無く、ひょっとしたらあんまり才能が無いせいで諜報部といった陰気な部署に飛ばされているのかもしれない(と言えば不本意であるがわたし自身そう言った理由でココにいる)。
わたしがあんまり釣れないモノだから、シビレを切らしたと見える彼はようやっと立ち上がった。身長は一八〇を越える程度だろうか、どんなに高いヒールを潰しても敵わない成人男性のガタイにたじろいだ。ハザマさんは緑の髪から凍て付くような金色の目を覗かせながら、ゆっくり、ゆっくりと近寄って来る。終にはわたしの目と鼻の先まで胴体を近付けて舞台俳優よろしく大袈裟に手を広げてのけた。
「何も、指先から透明にする訳ではないのですが」
「でも消えるって言いましたよね」
「消え方にも色々ありますので」
文字通りパッと姿を溶かすのも消えた、休憩に出た切り帰って来ないのも消えた、出世レースから脱落するのも消えた、消えた当人は自分を認識しているモノなので(自我まで喪うのは最早死である)、これらは総じて客観性が必要なのである。要は自分以外の観測者が「アレは消えた」と認識さえすれば充分消滅に足るのだ。
ハザマさんの持論にはなるほど頷けるものがある。大した武勲も挙げずにヘラヘラと大尉の地位に甘んじていて少し目を離せばどこだかで油を売っている彼ならば、消えることも容易いかもしれない。
「ですので一緒には消えられません。残念ながら」
「何でわたしがハザマさんなんかと……いえ、失礼しました。どうして消えようとか思ってるんですか」
あまりに気さくだから失念していたが、仮にもハザマ大尉はわたしの上官である。煩労な気持ちを押し殺し、補填してやるように問い掛けた。「疲れたのです」彼はやはり飄々としている。
この調子では明日の朝出勤するつもりは無いのだろう。しかしどうして、彼の言う「消える」は、件のフィラデルフィアを凌駕する恐ろしい計画にしか思えないのだ。
「こう何度も人が死んで、後処理をして、毎回同じ事を繰り返すのには飽き飽きでして」
「ついこの前まで一緒に働いていた仲間ですからね」
「そうではなく……ええ、結末を知っているつまらない映画を何度も観る感覚と言いますか。並行世界はご存知ですよね」
「あア、あのわたしを何回も殺したとか言う」
また話が戻ってしまった。彼が毎度繰り返す、過去のわたしを惨殺した武勇伝が始まる。聞くに時間は数兆数京の細い真っ直ぐな糸で出来ており、一つの物事が動けば終着点が変わる。隣の糸に移行すれば二度と戻っては来られず、その横並びを「並行世界」と呼ぶらしい。
その内の、九割九分で彼はわたしを殺害して回ったらしかった。先日は数万回とか話していた癖に随分と大きく出たものだ。過去に戻ったとして同じ糸に帰るのは相当な神経を要するのだとも言っており、まるでハザマさん自身がタイムトラベラーを称しているようで笑ってしまったものである。
「並行世界……私どもは事象と読んでいるのですが、そろそろ打ち止めなのです」
「あの、失礼ですがどうしてそんなにわたしを殺すんですか」
殺した殺したと、言われたところでそうされる心当たりがどこにも無いのだ。生意気で使えないかもしれないがそこそこ真面目に就労しているつもりである。謂れが無いと抗議するわたしにハザマさんは、初めて見せるような「驚いた」顔をした。
「その反応は初めてです! やはり明日にでも消えなくては」
「……本当にもう勝手にしてください」
ハザマさんが席に戻る。帰って結構ですと手を振られた。この人がまさか、友人のようにヒラヒラと左手を傾ける仕草をするとは思っていなかった。言われるがままにわたしは執務室を後にする。バタリと、閉じたドアの向こうから高笑いが聞こえた。
また背中を冷や汗が垂れている。声を出して笑うハザマさんナンテ知らない筈なのに、不思議なことに、その調子に聴き覚えがあったのだ。