汝、隣人を愛せよ。 | ナノ

その身の疚しさを憂いよ。

夢に見るのは決まって同じような光景だ。今日はそのうちでも古い方だなアと、わたしは寝ていてもぼんやりしている。
現実では無いのナンテ分かっているのに、ピッタリ画鋲で磔にされたみたいに身体は少しも動かない。


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製菓関係の会社に就職したのは特に理由も無くって、たまたま採用されたから、必要以上に就活をしたくないっていう不純な理由だった。新人研修と銘打って駆り出された現場が楽しくてそのまま配属希望を店舗に出したのだ。
笑顔が素敵ね、とか知らないおばあちゃんや小さい子供にも褒められて、よくお店のお菓子をわたし用に買って持たせてくれる。看板娘とか言われてわたしは確かに調子に乗っていた。

「何これ、うちのケーキ……?」

その日もいつものようにレジを締めて、アパートに帰るとドアノブに見知った紙袋が引っ掛けてあった。廃棄だろうか。店長からの差し入れかな、とか思って開いて食べていると、窓の外が光ったような気がした。雷にしては空は晴れている。

「プリンシューが一番だなー! メール送っとこ」

日報と一緒にありがとうございますと送ったら、店長からすぐに電話が掛かってきた。今日は一日家を出ていないとか、だったら店舗のスタッフだろう。
ただ翌日聞いてみてもお店の子は誰も知らないという。からかってんだろう、とか軽く考えていたけれど、箱いっぱいの商品は決まって週末、木造アパートのドアノブに雑に引っ掛けられていた。

「もったいないなー……」

思えばあの時品物とレシートの付け合わせをするなり、警察に届けるなりしておくべきだった。東京じゃあるまいし変質者だなんて、ましてわたしのような普通の人間に、軽く考えていたのがよくなかったのだ。
それから三ヶ月、SNSで見知らぬアカウントからのダイレクトメッセージが届くようになった。

「特定の一人ってわけでもないしスパムじゃないの?」
「やっぱりそうだよね。最近乗っ取りとか多いんだっけ」
「絶対アドレス開いちゃダメだよ」

あんまり飲み過ぎるなよ、今日も可愛かった、急募!100万円プレゼント企画!、愛してる、Я тебя убью、眼鏡を忘れて来たから持って来てくれ、汝隣人を愛せよ、エステ無料体験開催中、どれもチョットずつ不気味だったけれど、内容が支離滅裂だから読み飛ばしていたのだ。
そのうち変なメッセージはメールでも届くようになった。相変わらず週末にはドアノブにお菓子がかかっている。

「最近名前のこと聞いてくるお客さんがいるんだけど知り合い?」
「親戚が最近こっちに転勤になったからソレかも。どんな人?」
「帽子被ってるからよくわかんないけど、多分坊主の人。いっつも名前が休みの時とか休憩中に来るんだけど」
「坊主頭……、野球やってる従兄弟かな」
「普通従兄弟が名前の好きな色とか聞いてくる?」

気持ち悪い。
その時やっとそう感じた。もしかしたら本当にストーカーで、わたしのことを探りに来ているのかもしれない。ただこんな事で警察に相談するのも大袈裟だと思ってそのままにしていた。冷静に、昔の自分の行動を見ていたら口や手を出したくなる。この後家に帰って、何も掛かっていないことに安心してドアノブに手を掛けるとドロリとした液体が手についたのだ。

「店長、明日警察行ってきてもいいですか?」
「自転車でも盗まれた? 繁忙期なんだからもうちょっと後じゃダメ?」
「……はい、わかりました」

急に件のメッセージの、末尾に必ず貼り付けられたアドレスが気になった。
アカウント乗っ取りだったらすぐに消せばいいし、架空請求ならば無視すればいい。休憩時間、思い切って開くと目の前が真っ暗になった。

「これ、うちの部屋……」

どのメッセージにもわたしの画像が添付されていた。
試食を勧める制服姿、帰りにスーパーで食品を買う場面、カーテンの隙間から撮ったようなお菓子を食べている光景、極め付けにはわたしの寝顔が写っている。
あの時そのまま泣き崩れた。それと同じタイミングで、叫んだ自分の声に目を開けたら見知った人が心配そうにわたしを見下ろしていた、男の人が、家にいる。


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「え、尾形……さん?」
「うなされてたぞ。大丈夫か」
「なんでうちに、いるんですか! 鍵、閉めて……?」
「あのなあ」

叫ぶよりも泣くよりも先に疑問が湧いてまだ夢でも見ているような気持ちになる。確かに鍵をかけていたはずだ。この人とわたしはただの知り合いのはずだ。震えるわたしの頭を尾形さんが優しく撫でた。大きなマスクがこの人の表情を隠している。

「お前が呼んだのにその反応はねえだろ」
「わたしが? そんなわけありません!」
「落ち着け」

尾形さんがスマートフォンの画面を差し出した。暗い外に豆電球だけの部屋の中、画面のライトが目に痛くってすぐには分からなかったけれど、トークアプリの上でわたしは確かに尾形さんに連絡を取っている。体調が悪いので飲み物を買ってきてくれませんか、全く身に覚えが無いが、慌てて自分の携帯を確認すると確かにそうメッセージを送っていた。

「職場のグループから拾って来たんだろうが、もっと他に頼める奴いなかったのかよ」
「すみません……、全然覚えてません、でした」
「ほら、水飲め。ヨーグルト買って来たんだが食うか?」
「ありがとう、御座います……」

慣れた手つきで尾形さんはキッチン下からスプーンを持ってきた。言われた通りに口に運ぶけれど、まだ心臓ははち切れそうで頭も醒めきっていないからか変な味がする。水を飲んでいたら幾分か落ち着いて、改めて遠くに住んでいるこの人を呼んでしまったことが申し訳なくなった。
薬を飲んでいると、たまにこうして記憶が飛ぶことがあった。大体アルコールが入っている時、知らないうちに友達に鬱っぽいことを送ったり、親に自殺すると電話したり、今までの自分の言動と尾形さんの持っている状況証拠のおかげで失礼は確実だ。

「仕事はだいじょうぶですか」
「もう23時だ。とっくに終わってる」
「そっか……、すみません」
「気にしちゃいねえが、そろそろ帰ってもいいか? 明日も仕事なんだよ」
「あ、そうですよね。……申し訳ないです、タクシー代出しますから」
「気にすんな。家電買って金も無えんだろ」

面倒臭そうに尾形さんが上着を羽織った。
起き抜けには驚いたけれど、男の人が傍にいるのはもしかしたらとても安心できることなのかもしれない。道路を車が走って、フロントライトが窓に反射する度に息が詰まるのだ。あの時みたいに、誰か知らない人が覗き込んで写真を撮っているのではないかとか、だからマンションの高い階に引っ越したけれどそれでも不安な気持ちは拭えない。

「ああ、そう言えば近所に変な奴がうろついてたぜ。ちゃんと戸締りして寝ろよ」
「嘘……。え、あ、あの」

尾形さんはマスクの下でやっぱり緩やかな顔をしている。口調だけ拾えばガラが悪いのに、思えばあの歓迎会からズット尾形さんはわたしに優しい( 気がする )。
気が付けば裾を握っていた。彼は目を丸くして、それからゆっくりマスクを取った。

「できれば、帰って欲しく無いなー……とか」
「……仕方ねえな」

尾形さんがベッドに座って、ゆっくりわたしの頭を撫でる。服からは微かにバニラの匂いがした。最近知ったけれどコレはタバコのにおいだ。

「嫌な夢でも見てたんだろ。不安にさせて悪かった」
「はい、あの、わたし前ストーカーされてて……」
「ストーカー? 辛かったな。可哀想に」

この人もソンナ台詞が言えるんだ。どうあっても口調の荒い彼が、子供をあやすようにわたしを抱き締める。

「だからあんまり、男の人とか得意じゃなくて……」
「だったら俺が守ってやる」

意外と大きな身体に身を預けていると何も考えられなくなる。何か、考えた方がいいのかもしれない( たとえば帰宅後ドアチェーンを掛けるのが習慣付いていることとか )。けれど酔っ払った時みたいに頭がぼやけて目を閉じた。たっぷり寝たせいか少しも眠くない。



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