汝、隣人を愛せよ。 | ナノ

人を疑るべからず。

「苗字さん、この書類月島課長のとこまでお願い」
「あ……」
「私あっちに用事あるからついでに持ってくよ」

先輩から書類を受け取った上司のおかげで今日も難を逃れてしまった。
この職場でわたしが休んでいた理由を知っているのは多分この人と、そのまた上の鶴見支店長ぐらいだ。あんまり知られたくないよね、と上司は入院先で泣きながら言ってくれたのだ。お礼を言おうと通路で待っていると、彼女はニコリと笑いながら駆け寄ってきてくれた。

「今日は早めに帰りな」
「でも、書類整理残ってますし……」
「尾形くんが早くに来てやってくれてたよ? 席のこと凄く申し訳なかったけど、仲良くやってるんならよかった」
「尾形さんが?」

とうの本人の姿は今日になってまだ一度も見ていない。
昨日の誓い通り始業ギリギリに着いたのだけれど、その頃にはもう尾形さんは外出していた。今日は直帰だとか、上司が付け加える。
復職してまだ日が浅いのでリハビリがてら単純な仕事ばっかりしているのだけれど元々は尾形さんの仕事だったんだ(もっと大元の話をすれば当然わたしのものである。彼は欠員補充で採用されたんだから)。勝手を知っているのも当然だ。

「そしたらお言葉に甘えて……」
「あんまり無理しちゃダメだよ」

なんとなく足を引っ張っているなアと感じるといてもたってもいられなくなって、仕事中は飲まないようにしていた薬に手を付けた。気持ちを落ち着ける薬です、って、結構わたしには合っているようで胸が軽くなる。

「すみません。お先失礼します」
「おつかれー」

陽が出ている間ならうちの近所は結構賑わっていて安心する。夕飯は出来合いのもので済ませてしまおう。
商店街の角の、唐揚げ屋さんに寄るとなんと見知った顔がいた。彼は話していた通りマスクを付けていない。尾形さん、社交辞令で声を掛けるけれど心臓が破裂しそうなぐらい脈打っている。

「なんで、こんなとこに、いるんですか」
「この辺りに大口の顧客がいるんだよ。お前、もう上がりか?」
「昨日遅かったから、早く帰りなさいって……」
「そうか。気を付けねえとな」

ヒラヒラと手を振って尾形さんが大通りに消えていく。
自分の生活圏内に見知った人がいるのナンテ当然なことなのに、ソレだけで頭がどうにかなりそうだった。あの時だってこうだった、知らないうちに知らない人が私生活に侵入していて、結局誰だったのかは分からないから余計他人が、とりわけ男の人が怖くなってしまった。
尾形さんは別に少しだって悪くないのに、ちょっとずつ苦手になりかけている。唐揚げは買わなかった。一秒でも早く家で寝たい。

「違う、尾形さんなわけないんだから、違うって」

薬を飲んで横になって、自分に言い聞かせるように呟いた。あの時のアレは顎にあんな傷は無かったし、そもそもトラックに撥ねられてどうにかなっている筈だ。正当防衛だってわたしには前科が付くどころか警察官からも同情されたんだ。
ふとあの人の顎の、深い傷跡を思い出した。それと同じぐらいのタイミングで杉元くんの顔面も脳裏をよぎる。こんな平和な世の中で、どうやったらあんな、大怪我をすることができるんだろう。

「違う、違う……」

そうだ、日記を書かないといけない。枕元に、置いていた手帳の位置が朝とは違う気がする。考えてみたら部屋中すべての配置が少しずつ、変わってしまっているような錯覚がした。わたしは頭がオカシクなってしまっているのだ。

尾形さん徒歩でここまで来ていた。近くは少し寂しい住宅街で、法人営業しかしていないうちの支店でどうして彼が、考えれば考える程頭がぐちゃぐちゃになってきて気が付けば上司にメッセージを送っていた。明日はお休みさせてください、数分と置かずに返信が来る。お大事に、特に掘り下げる事も無いのがなんとなく察されているようで、申し訳なくて昨日の夕飯を全部吐いてしまった。



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