汝、隣人を愛せよ。 | ナノ

信ずる者は救われる。

痛くて怖かった。理不尽だって思ったあの時と同じ感情を、わたしは上手く押し殺せているんだろうか。


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今週末は接待が無いとかで、久々に二人でお酒を飲みに行った。家の近所で、彼はネクタイを緩めて足を床に投げ出している。
わざと終バスのない時間まで粘っていたことに聡明なこの人は気付いているんだろう。百之助さんはわたしのことを何でも知っているのだ。時折小さくアクビをしながら、彼はわたしの仕事の愚痴を穏やかな顔のまんま聞いてくれている。

「でも前の職場よりはずっと気楽なんです」
「どうして辞めたんだよ。制服似合ってたのに」
「え? ……っと」

写真を見たんだろうか、お菓子屋さんの、中世の家政婦さんみたいな服を思い出した。アレには最早嫌悪感しか無い。
話を続ける前に百之助さんはお店の人を呼んで、クレジットカードを手渡した。今日もありがとうございます、って御礼を言うより先に聞かなければならないことがあるのに言葉が出て来ない。写真はぜんぶ捨てたはずだ。データだってひとつも残っていないはずだし、携帯も解約した。どうしてこの人が知っているんだろう。

「名前、顔色悪いみたいだが大丈夫か?」
「あ、えっと、別に……」
「まあまだ大丈夫か。そろそろ出るぞ」

明細に尾形と署名して、彼は座り込むわたしの腕を引っ張った。優しい声色なのに背筋にはじっとりと汗が滲んだ。彼はわたしの事を知り過ぎている。

「最近は冷え込むな。風邪引かねえように気を付けろよ」
「大丈夫、です」
「名前はすぐに体調崩すだろ。いつか死んじまわねえか心配なんだ」

彼の指先が包み込むように、わたしの顔を覆った。しかめ面をしながらも心底愛しそうに(って自分でいうのもオカシイかもしれない)掛けられた声に不信感が薄れていく。この人はわたしのことがキット何よりも大切で、だからいつも目を掛けてくれているんだ。

「……何笑ってんだ」
「ちょっと、面白くって。わたしさっきまで男の人が怖かったのに今はなんとも無いんです」
「それは困るな。名前が死ぬより誰かに取られちまう方がよっぽど傷付くんだが」
「アハハ、心配の順番間違ってますよ」

百之助さんの厚い指先がわたしの頭を優しく撫でた。歩幅は自然とわたしの家に向かっている。お話は終わったはずなのに、彼は神妙な顔のまんまだった。ガチャン、鍵を開けるとすぐ様彼が部屋に身体を滑り込ませる。寒かった、と言いながら靴下を脱いで、上着をハンガーにかけていく。

「クールビズって終わったんですか?」
「今更だな。いつも俺の隣で何見てやがる」
「あんまり事務所にいないから。ネクタイ素敵ですね、百之助さんっぽくて」

寒色のネクタイがスルリとほどけていく。彼はそれを、ハンガーに吊るすでもテーブルに置くでもなく手にしたまんま意地悪そうに笑った。
これは何かよくないことを考えている時の顔だ。緊張で背筋を伸ばすわたしに、百之助さんががにじり寄った。お酒で少しだけ赤くなった顔と、荒い息が首筋に近付いて来る。腕は腰に回されて、そのまんまベッドに押し込められた。

「え、あの、そういう意味じゃなくて」
「面と向かってるとお前が何考えてんのか少しもわかんねえな」
「違うとこにいたらわかるんですか?」
「名前、こう言うの嫌いじゃねえだろ」

わたしの腕をまとめて、器用なことに片手だけでネクタイを巻き付ける。上等そうなサテン生地は血が止まりそうなぐらいキツく手首にまとわりついて、いとも簡単に縛り上げられてしまった。
抵抗しないわたしは本当は、こういうことが好きなんじゃないだろうか。確かに怖いはずなのに百之助さんの優しくて楽しそうな口角を見ていると不思議と気持ちが和らいだ。室内灯の照明を落として彼はわたしのシャツを捲し上げる。横腹の傷にソッと触れて、もどかしい感覚に声を上げてもやめてくれない。

「やめ、てください、くすぐったいです!」
「お揃いだな」
「そうかも、しれませんけど……!」

百之助さんが自分の顎の傷を指差した。一生消えない縫い痕って意味では確かにそうかもしれないけれど、わたしの傷は少なくとも普通に過ごしていたら誰にもわからない。
どうしたんですかと何度聞いたって彼はまともに答えてくれなかった。いつもそうだ、会話をしているのに壁に打ってるみたいに、百之助さんからは違う言葉しか返ってこない。けれど彼はわたしに理由を聞かないのだ、多分、思い出したくも無い回想があるんだろう。

「名前、今日は酷くしても構わねえよな?」
「なんで、ですか……?」
「この前杉元と二人だけで話してた罰だ」

いつもはきちんとキスからしてくれるのに、今日の百之助さんは違った。ストッキングを爪で破って下着の隙間から強引に指を突っ込まれる。痛い、と思ったのに自分でも情けないぐらい濡れていて少しの抵抗感も無い。
いきなり指を二本入れられたのに、すんなりと受け容れる身体がひたすら恥ずかしかった。彼の指は荒っぽく奥を抉る。ごりごりと膣内を引っ掻かれて、それでも少しも痛くない。

「ひっ、あ、百……! いきなり、ダメ……ッ!」
「縛られて興奮してんだろ? いつもより感じてんじゃねえか」

少し工夫すれば簡単に外れそうなのに、自由を奪われている状況を律儀に守ってしまうのは相手が百之助さんだからだ。いちばん気持ちの良いところを執拗に責められて、大声を上げてイきそうなところで彼はもう片方の手で口を塞いだ。
くぐもった声は脳を揺らすように頭の奥に響く。またベッドを汚してしまった、失禁みたいに膣から潮が垂れている感覚が、ストッキング伝いに太腿に広がる。

「ぅ、あ……、ごめん、なさい……」
「ド変態」
「ちが、い……」
「これ、捨てても構わねえだろ?」

破り取るみたいにストッキングと下着を剥がされて、それでもスカートは履いたまんま百之助さんが続きを始める。たぶん親指で、クリトリスをぐりぐりといじりながら子宮口を叩かれた。
甘い感覚がお腹を起点に全身に散らばっていく。さっきまで膝を立てていたのに、こうされると少しも力が入らなくてほんとうの変態みたいに脚を投げ出してしまった。唇を綴じる気力も失くなって涎が耳元まで垂れている。

「アホ面してても名前は可愛いな。狙ってやってんだろ」
「ちが、あぁッ! あ゛、ぃ……ッ」
「ほら、ちゃんと俺の事見てろよ。できるな?」

薄明かりの中で、百之助さんの瞳にわたしが映っている。どう取り繕おうと努力しても彼の指が、声が許してくれない。舌を突き出して快楽を貪るわたしの口元に彼の片指が突っ込まれた。もし今嘔吐したとして、この人はきっとそれすらも愛でるんだろう。
体重をかけない度合いに馬乗りになった彼に甘えて下半身が痙攣する。何回イッたかわからないなア、と、他人事みたいに考えながら今はただ百之助さんのことが愛しかった。これまでに感じたどんな違和感も甘美な感覚に溶けていく。

「なあ、名前、俺がいたら他の奴らなんていらないだろ?」
「ひ、ぁ……、すき、です。百之助、さん……っ!」
「飲みに行く度に割り勘求めてくるクソ男も、警察官も、要らねえ世話焼いてくる親も全部、なあ名前」
「え……?」

愛してる、百之助さんが、いいやあの男が目の前で何かを言っている。そうだ、わたしはいつも信じ過ぎて失敗する。
世の中の人間は皆真っ白で優しくて、最悪な事態ナンテ起こらないように出来ているって信じていた。百之助さんが優しく口付けた。もう、何でもいいかもしれない。ほんとうのところわたしは全部知っていてその上で彼に溺れていたんだ。
彼は毎日わたしのために、高いお菓子を買ってくれて、わたしなんかの写真を撮ってくれて、一人暮らしで淋しいわたしの為にメッセージを送ってくれて、こんなに愛してくれて、それなら何だって良いはずなのに身体が強張ってくる。血の気が引いていく音が聞こえた。違ったら良いのに、結局世界は信じる者にひたすら非情なのだ。



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