勘付くわたしは消耗症
家賃の安いこの家に備え付けられているクーラーは不十分で、少しも外気を緩めてくれない。背中に塩水が垂れる。佐一さんの額にだって汗が滲んでいて肩も少し湿っていた。
ずっと、ずっと好きだと思っていた人はわたしを見てくれたことが無い。
わたしは明日子ちゃんの友達だった。たまたま同じクラスでたまたま席が近くなって、その程度をキッカケに友達の座に居座ったただの女子高生だった。明日子ちゃんはわたしなんかと違っていた。
明日子ちゃんが相棒だと紹介したその男性は、大きくてかっこうよくておとなでやさしかった。だからわたしは簡単に好きになって、あれ、好きって何だろう。
ぼんやり揺らめく視線の先、赤らんだ目は確かに熱を帯びているのに、今まで見たどの佐一さんよりも冷たく凍っている。
「本当は門限が無くなったんじゃなくて、家出してるだけなんだよね」
「そうじゃ、なくて……もう高校生だからって、親が」
「明日子さんにちゃんとありがとうって言わないと駄目だよ」
お盆以来わたしは家に帰らなくなった。帰省を終えた苗字の人間は、薄っすら積もった糸埃にすぐさま各所に電話を鳴らしたらしい。
その内の一件、小蝶辺さんが「うちに泊まっていますよ」と虚偽を取り繕ってくれた。本当は明日子ちゃんと花火の日以来会っていないのに、咄嗟な嘘をわたしの親は信じ切っているらしい。
「名前ちゃんがどこにいるかとかさ、あんま考えたくないんだけど。ああ、名前ちゃんに最近の女子高生の恋愛について聞きたいんだった。ねえ、どんな人が好きなの?」
「年上で、優しくて顔に傷があって、結構筋肉もあって、面倒見が良くて、かっこいい人……です」
好い加減わたしは気付かないといけない。佐一さんを思って繕った条件は丸切り別の人も表している。その人は佐一さんと丸切り逆で似ても似つかない。
「それから結構気を遣ってくれて、歩幅とか合わせてくれるんです。わたし、不安な時に結構顔に出ちゃうみたいでそんな時はどうしたのって聞いてくれて」
「そっか、俺の知り合いにそう言う奴いるんだけど」
「……わたしとおんなじみたいな人なんです」
肩に掛けられた手のひらは自然と垂れ下がり、流れるように缶チューハイを拾った。喉が鳴る。佐一さんはさっきの冷たい空気をお酒に流していつも以上に優しい笑顔を繕う。ソレばかりでなくわたしの頭を撫でてくれた。
「名前ちゃん、俺と初めて普通に話してくれたのってソイツのこと話してる時だったの気付いてる?」
「えっ! そうでした、っけ……」
プレゼントを探していたときのことを佐一さんが回想する。職場での彼の話をしている時だけは、わたしはおどおどせずに会話していたらしい。
それに関しては気付いていなかったけれど、こうしてまっすぐ、第三者から指摘されて視線が泳いだ。
「でもわたし、こんな……悪い人みたいで」
「恋心なんてさ、若いんだしグラグラでも誰も責めやしねえって」
俺は、と、佐一さんが眉を顰めて自虐的な溜息を吐いた。
「好きな人がいたんだけど、ぼやぼやしてたら取られちまった。馬鹿だよね。名前ちゃんも、もし本当にソイツが好きなら遅過ぎることはあっても早過ぎることはないと思うよ」
「迷惑じゃない……でしょうか」
「少なくとも弁当は毎日旨そうに食ってるけど」
俺も名前ちゃんの手料理一回ぐらい食ってみたかった、と佐一さんが笑う。大人って凄いなア、わたしって分かり易いんだ。改めて見た憧れの人はヤッパリ素敵な大人の男性だ。笑顔が眩しく癖っ毛も愛らしい。
「充電切れてたでしょ。連絡しといたから、今頃駐車場で待ってると思う」
「あの、今日はありがとうございます! て言うか……今までずーっとありがとうございました。わたし、家はわかんないけど周りの人には恵まれっぱなしでした」
「ふふーん」
赤い顔が意味深に笑う。
「転職成功したら取材頼むぜ?」
「佐一さんが協力してくれるなら考えますけどー?」
「ごめん、今のナシで!」
あいつムカつくんだよなーと佐一さんが笑い飛ばす。わたしもたまにイラッとしますって言ったら、佐一さんは今日で一番笑ってくれた。