可愛いあの娘は失語症 | ナノ

見直すわたしは百日咳


「昨日牛山と谷垣が来ててさ、散らかっててごめんね。あ、牛山って知ってたっけ?」
「大きい人って伺ってます……それより、えっと」

 わたしは二回この家にお邪魔している。あの時は気が付かなかったけれど、ワンルームの和室は隅に埃が積もっていたり、シンクに水垢が付いていたりと結構な有様だ。
 こう言うのを奴隷根性と言うのだろうか、掃除したくて仕方ない。実家にしても尾形さんの家にしても、いつも綺麗な室内を見慣れているので男性の一人暮らしというものを舐めてかかっていた。

「ジュースあるけど飲む?」
「ありがとうございます。でもその前に……あの」

 失礼を承知で息を飲み込んだ。

「鍋パの時から思ってたんですけど……お片付けさせていただいてもいいですか?」





 一度手をつけ始めたらなかなか止まらない。十三時過ぎにここに着いたのに気が付くと日が暮れていた。
 途中佐一さんには掃除用具を買いに行ってもらい、おかげで我ながら完璧な清掃が出来たと思う。ニスを塗り直したようにピカピカになったちゃぶ台を佐一さんは感激しながら撫で上げた。

「うわ、凄いね! 名前ちゃん良い嫁さんになるよ!」
「アハハ、家でいつもやってるので……」
「お礼するつもりだったのにまた借りが増えちまったなー」

 タバコのヤニが無いだけでこんなに掃除が楽になることを久方振りに思い出した。そう言えば、わたしがいない間に家ってどうなってるんだろう。お姉ちゃんも弟も消費するだけだしお父さんは動かない、小さい頃はお母さんも家事をしていたからできないわけではないだろうけれど、皆は多忙だからめちゃくちゃになっている気がする。
 わたしってやっぱり家政婦さんだったんだな、と、埃ひとつないワンルームに嫌な思い出が止まらなかった。だめだ、こんなことなら掃除なんてしなければよかった。

「いっぱい動いたし腹減らない? 出前かなんか頼もうか」
「……はい、そうですね」

 もしいつもの精神状況であったらここで「わたしが作りますよ」とか良い顔をしていたんだろう。なんか今日はオカシイ。だめだ。嫌だ。『大好きな佐一さん』と二人っきりなのに違うことばっかり考えている。
 メニューならばお任せしたので佐一さんは気になっていたと言う新しいお店に電話していた。こう言う時はクラスメイトのSNSか動画でも見て気を紛らわせた方がいい。なのにスマートフォンの画面は真っ黒のまんまわたしの腑抜けた顔だけを映していた。

「わ、切れてる……佐一さんすみません、充電器お借りできませんか?」
「あーごめん。うちそのスマホのケーブル無いんだよね。買い行く?」
「あっ、だったら大丈夫、です」

 充電が切れたから仕方がない。今更になって、真夏の陽が落ちるまで出掛けていたことを後悔した。今尾形さんはわたしの保護者で、だから遅くなるって連絡しないといけなかったと思い出した。充電が切れているんなら仕方がないんだ。

「あと三十分ぐらいで届くらしいから、俺酒買ってくるね。名前ちゃんも飲む?」
「法律違反です!」
「真面目だなあ。お茶とジュース買ってくるね。アイスなら食う?」

 初めてこの家の敷居を跨いだ日、わたしは尾形さんに助けてもらって一緒にコンビニに行った。大柄でお世辞にも人相が良いと言えない男性と制服姿のわたしは時間も相まって警察に通報されて、結構な騒ぎを起こしてしまっていた。
 だからと言うわけでも無いけれど、今日は当然のように佐一さんだけが家を出る。静かな部屋で、二十時三十分、目覚まし時計がカチカチと時間を告げていた。





 話したかったことって何ですか? ご飯を食べながら質問する。今日佐一さんからは色々な話題が出たけれど、どれもわたしに直接関係のあることではなかった。
 お酒で若干顔の赤らんだ佐一さんは「まだ覚えてたんだ」と意地悪そうに笑いながら近付いた。鍋を囲んだ日や、花火を終えて同じお布団で寝た日より空間は開いているはずなのに、今までのどの状況よりも距離が近い気がする。

「笑わない?」
「笑いません、けど……」
「ほんとぉ?」
「……内容によります」

 近寄った佐一さんからはお酒のにおいがする。それ以上に気になるのはタバコの臭いが伴っていないことでも好きだと言う感情でもなく、真に迫った男性に対する恐怖だ。
 一体何を言われるんだろう。とか、せっかく身構えていたのに佐一さんは深呼吸の後で思い掛けない言葉を発した。

「俺さ、転職しようと思ってんだ」
「へ? そ、そうなんですか? えっと、どこに?」
「それで聞きたかったんだけど、最近の女子高生ってどんな恋愛してんの?」
「……はい?」

 転職と女子高生と恋愛が少しも繋がらない。不思議が過ぎて変な笑いをしてしまうわたしとは対照的に、佐一さんは据わった赤い目で真剣そうに続けた。

「女性誌の、できればティーン向けの編集やりてぇんだよね。誰かサンからそーいうの向いてるって言われてその気になっちまってんの。俺って馬鹿だよねぇ」
「佐一さん? あの、お酒の飲み過ぎですか……?」

 ヒーローより魔法少女、ミニ四駆よりシルバニアファミリー、野球よりピアノ、昔からお姉ちゃんか妹が欲しかった。ただガタイが良くて男らしい顔立ちもしていたせいで誰にも言えなかったのだと佐一さんは語気を荒げる。
 加えて顔に大きな傷まで作ってしまえば少女趣味を前面に出すわけにも行かず今日に至るらしい。あれ、わたしのジュースにもお酒入ってたのかな。

「明日子さんは恋愛って感じじゃないでしょ? だから名前ちゃんに詳しく聞きたいなーって思ってたんだけど」
「あ、あー……」

 言われてみれば花火の日も、わたしが委員会の先輩に告白された話に一等興味を持っていたのはこの人だ。身構えて損した、って思ったら自然と笑いがこみ上げてくる。
 大柄で強面の男性がわたしに頭を下げて、クラスの子でもいいからとリアルな女子高生の恋愛話を求めている。それから最近流行ってる少女漫画とか(本当は女性誌より少女漫画の編集に憧れているらしい)聞かれては答えずにはいられない。

「……て言う感じで、××ちゃんの元カレが◯◯ちゃんと付き合ってるせいでクラスがギスギスしてるんです。よく愚痴られるんですけどすっごく大変で」
「へぇー! 高校生にもなると恋愛も陰湿になるもんなのかー」

 佐一さんの描いていた女子像とは異なるようだが、それでも興味深く聞いてくれる様相は面白かった。そう言えば佐一さんは男子校出身らしい。なるほど女性に幻想を抱くはずである。

「ありがとう! それで、名前ちゃんは?」
「え、あ、え……わたし、ですか?」

 この話だけで満足していただけるものだと信じていた。とうに酔いが醒めてしまったと思しき佐一さんが、赤茶色の瞳をわたしの目線に合わせる。まさかわたしに話題が返ってくるとは思っていなかった。

「わたしは、あっ、そうです! 委員会の先輩、あの後部活の後輩と付き合ったみたいで……」
「そうじゃなくて、名前ちゃんの話が聞きたいんだ」

 最大限ナルシズムを発揮するならばコレは遠回しな告白だ。でもわたしは知ってしまった。掃除の折に、部屋の隅に置かれた化粧箱を暴いてしまった。その中には「梅」さんの写真とか、年賀状とか、思い出ったらしい品が後生大事に保管されていた。

「昼の質問だけどさ。無防備な女が横で寝てたらどんなブスでも上司の嫁さんでも男なら手ェ出したくなっちまうよ」
「あっ……あの」
「でもそれがもし好きな人だったら寸前で留まるっていうか、傷付けたくないしこれからの関係とかも壊したくないし」

 もう何も言わないで欲しい。最大限都合よく解釈してしまう。ソレを「都合よく」と思ってしまう自分が嫌だ。

「でも、わたしみたいなダメな人間だったら、嫌ですよね……」
「俺は名前ちゃんとヤれるよ」

 大きな手がわたしの肩に掛かった。狭い部屋で、膝が触れ合ったのとは違う、確かな接触に背筋が凍る。怖い。助けて欲しいってスマートフォンを見るけれど充電が切れている。

「名前ちゃん、俺のこと好きだったでしょ。見てたらわかるよ」
「佐一、さん……?」
「この前も一睡もしてなかったよね」

 花火の日のことは一生忘れないと、あの時は感じていたのに今やあやふやだ。あの日わたしはすぐに寝たような気も朝方まで眠れなかった気もする。
 ひとつだけ確かなことと言えば、あの日隣には佐一さんがいた。佐一さんはわたしに触れなかった。

「名前ちゃん、もう一つだけ聞きたかったことがあるんだ」
「何……ですか?」
「どうして俺にだけ普通に笑えるの?」

 もしここに鏡があるんなら、わたしは世界で一番醜い顔をしている。

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