可愛いあの娘は失語症 | ナノ

気詰まるあの娘は黄熱病


 家で見ればいいと名前は言うがそれは違う。動画配信サービスの仕組みを知らない彼女はあらゆる映画も、バラエティも、ニュースもインターネットを介したら解決すると思っている節があった。
 この辺りで一番大きなレンタルビデオ店(近頃は店名で呼ぶらしいが俺の地元では一律「ビデオ屋」だ)の映画コーナーを待ち合わせにすること小一時間、名前は案の定よたよたと負傷兵のような足取りで現れた。俺としては夕方までパッケージ裏を一点ずつ眺めていても差し支え無かったのだが、彼女は「待たせてしまってすみません」とまた引き攣ったように笑っている。

「あっち」
「え?」
「便所。靴と靴下持ってきたから履き替えて来い」
「……え?」
「擦れてんだろ」
「あ、ありがとう……ございます!」

 靴屋のスニーカーを両手に抱えて名前は店の奥にたどたどしく消えて行った。別に批判する訳では無いが、女と言うのは誰も彼も自分を良く見せる事に余念が無い。身の丈に合わない恰好をした所で、しかし大概は空回りであるから滑稽だ。
 自分の女性遍歴を辿っても、生活費を削ってまで化粧品や美容液に大枚を叩く奴やたかだか会社に行くだけの服に大金を注ぎ込む奴、食いたい物を我慢してまで痩せた体型を保とうとする、傍目には利口とは思い難い人間に溢れていた。鶴見部長の今年五歳になる娘さんも最近は髪を結ってもらうことに陶酔していると聞くし、三つ子の魂百までとでも言うべきだろうか。
 戻って来た名前は心なしか機嫌良さそうに「ビデオって絶滅しましたよね」とブルーレイディスクを手に取って空笑いした。





 五枚で千円と言われて四枚に収めてしまう俺のような人間は、死ぬ寸前で金が無い余りに雑穀を食らう羽目になるのだろう。うち一枚は俺の趣味でしか無い戦争モノであった為、観賞中に彼女はツマミの準備をしていた。派手な発砲が食材が油に跳ねる音に彩られている。洋画は大抵日常シーンの声が小さい。開始十五分余りで戦闘は終わり、残る人情劇を見るに昼間は最適だった。スピーカーの騒音に苦情の一つ二つは必至であったろう。
 気を遣ったつもりの名前は途中で何度かリビングを出て都度苦い顔をしながら戻って来た。「終わったぞ」エンドロール後のCパートが流れる部屋で彼女はようやくソファに腰掛けた。

「明日ってお仕事でしたよね」
「ああ」
「もう夕方ですけど大丈夫ですか?」
「まだ夕方だろ」

 八月も終盤となると陽が翳る時間も変わる。とは言え当然ゴールデンタイムは過ぎており、何だかんだと昼夜逆転をこなせていない名前は若干疲れた顔色でディスクの蓋を開けた。
 今日は彼女にとって一体どんな一日だったのだろうか。通例であれば名前は聞きもしていないのに「素敵な佐一さん」を話すのだが、自ら持ち掛けて来ない所を鑑みるとあまり良い思い出にはならなかったのだろう。あるいは映画に没頭する俺を気遣っているのかもしれないが、結局彼女はお世辞にも面白いとは言い難いアクション映画に拳を握っていた。
 名前の用意した軽食が枯れた頃、程良く酒に酔った俺はソファの下で重い目蓋と闘っていた。次に再生されたのはいかにも出来過ぎた恋愛映画である。友達内で少し前に流行っていたと言うソレは、年端も行かない女子と三十手前の男が見るにはあまりも刺激的だった。

「……寝るか」

 口火を切ったのはやはり俺である。エンドロールに見慣れた俳優の名前を探す名前が視線も向けずに「はい」と遠慮がちに呟いた。
 帰宅後すぐにシャワーを浴びた俺と、調理後周到に風呂に浸かった名前は無言のまま歯を磨いている。鏡越しに目が合わないよう斜め後ろに立った俺に目に、初めて会った頃より幾許も伸びた髪が、挙動に合わせて揺れてふわりとシャンプーが香った。一人住まいの間取りであるが洗面所にまでエアコンの冷風が届くはずも無く、彼女の額には汗が滲んでいた。

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