可愛いあの娘は失語症 | ナノ

浮き立つわたしはもやもや病


「あ、あの、尾形さん……行ってきます! お昼ごはんは冷蔵庫に入ってるのであっためてから食べてください」
「ああ」
「えっと、あの、服とか髪とか変じゃありませんか?」

 尾形さんはわたしに一瞥もくれず、「別に」とつまらなさそうに返事をした。一昨日からろくに眠れなかったわたしを差し置いてこの人はいつも通りの「何を考えているかわからない態度」を貫いている。
 協力して欲しいと言ったのは自分なのに、いざ簡単にメッセージを送信されたり服を選んでいただいたりすると申し訳無さやほのかな淋しさが襲って来た。ずっと一緒にいて欲しいとか、尾形さんが言うはずもない。
 つまりあの日の夢は一言一句わたしの頭の中で作り上げられた空想で、わたしはやっぱりろくでも無い人間だ。いくら不安だったからと言って、あんなことを思い描くなんてまるで都合の良い女である。

「さっさと行かねえと遅刻するぞ」
「あ……鍵持ってますから、ちゃんと戸締まりしててくださいね!」
「お前に言われたかねえな」
「そしたら、えっと、いってきます!」

 いってらっしゃいは返ってこない。
 履き慣れないヒールのあるサンダルを引っ掛けて蒸し暑い外に繰り出した。佐一さんとの待ち合わせ場所まではここから三十分程度、繁華街の隅っこである。分かり易いだろうと指定された不思議な銅像の前で、時間の十五分前だというのに佐一さんは所在無くスマートフォンを眺めていた。

「あ、あの、お待たせしま……した。暑かったですよね」
「名前ちゃん久しぶり! 今来たところだから気にしないで」

 まるで少女漫画の世界から出てきたような完璧な返答を受けて、わたしの頭は早速真っ白になっていた。
 今のわたしはよっぽど堅い表情をしているんだろう。慌てたように、佐一さんが「その服似合ってるね」とワンピースを指差した。

「ごめんね。宿題とか残ってたんじゃないの?」
「あとは日本史だけで、多分すぐ終わるから大丈夫、です……佐一さんもお忙しかったんじゃありませんか?」
「いや、助かったよ」

 流れるようにわたしの手荷物を受け取りながら佐一さんはまっすぐ目的地に進んでいく。背丈が違えば当然歩幅も異なるので、ゆっくりと、わたしに合わせてくれる気遣いも素敵だった。
 女性が貰って嬉しいプレゼントを一緒に探して欲しい。
 誘い文句だけを反芻するとわたしの恋は終了したも同然である。取引先の娘さんだと言う尾形さんの注釈が無ければあの日以上に泣いてしまっていたに違いない。

「予算は決まってるんですか?」
「あんまり高くても気を遣わせるだろうし、一万ぐらいかな」

 推薦して、ソレを採用してくれたのは嬉しいけれど上手く選べる自信が無い。物心が付いてから誕生日やクリスマスプレゼントを受け取った覚えが無いし、お小遣いはワンコイン、お年玉もお母さんが管理しているので自分が貰う物も人に渡す物も考えたことすらないのだ。
 そもそも贈呈元が佐一さんならばわたしだったら何をいただいても跳ね上がるぐらい嬉しい。真剣そうに彼がショーウィンドウを物色している。「あれなんてどうかな」と指差した先にはやけにリアルな顔立ちの熊のぬいぐるみが置いてあった。

「ちょっと怖いです……けどいいんじゃないですか? 小学生の頃、ああいうの欲しいって思ってました」
「渡す相手、俺と同い年ぐらいなんだけど大丈夫かな」
「……キッチン用品とか見に行きません?」





「名前ちゃんだったら何貰うと嬉しいの?」
「えっと、あ……、わたしの為に考えてくれるんだったら何でも嬉しい……です」
「だったらさっきの熊ってダメかなー」
「……、デジタルスケールとかどうですか?」

 佐一さんと尾形さんは同じ会社だけれど部署が違うらしい。尾形さんが営業マンであることは知っているけれど何を売っているかは聞いたことがない。けれどお取引先は何屋さんなんですかと質問はしなかった。
 そもそもわたしから話し掛けられる程余裕が無いのだ。佐一さんがいて間に明日子ちゃんがいない今を噛み締めるのに手イッパイで頭に何も入って来ない。

「これとかどうかな。……名前ちゃん?」
「あっ! あの、何でもないです!」

 肩にズシリと重みが走る。佐一さんが屈んでわたしを覗き込んだ。尾形さんと違って色素が薄く澄んだ瞳にわたしがクッキリ映っている。
 近くで見る傷痕は思っていた以上に深くて生々しかった。コレを作った時の痛みはどれ程のものだったんだろう、治る折のカサブタはどんなに大きかったんだろう。何でもないと言ったくせに、大きな声を出した挙句ジッと顔を直視するわたしに佐一さんは難しそうな表情を見せた。
 身体がスッと引いて、「これなんだけど」と今度はまっとうに、佐一さんはエプロンを広げた。落ち着いた色味で、大小ポケットが付いていながらもシンプルな品の良いデザインだ。

「あ……いいな」
「名前ちゃん?」
「あの、いえ、わたし部屋着のまま料理してたので、エプロンって憧れるなーって思って」

 自宅ではさっさと部屋着に替えてしまうし、尾形さんの家にエプロンなどある筈もない。
 自信満々に熊を持って来た時は危うく幻滅しかけたけれど、佐一さんはやっぱりセンスもあって優しくて素敵な男性だ。素敵な、こんな人からプレゼントを頂けるのならわたしの家とも何か取引をしに来てくれないだろうか。

「よかった! じゃあ会計済ませて来るから名前ちゃんはここで待ってて」

 爽やかに片手を上げて佐一さんがレジに去って行く。
 プレゼントとか、もしわたしが良い子だったら貰ったり渡したりできたんだろうか。佐一さんの誕生日会の事を思い出して胸が少し痛くなった。明日子ちゃん達は一体どういう気分でプレゼントを選んだんだろう。
 人混みの中で、お会計を終えた佐一さんが大きく手を振った。眩しい笑顔がどこか子供っぽくて、わたしの方がずっと年下なのにほほえましくて溜息が漏れた。





「今日は付き合ってくれてありがとう。門限までまだ時間あるよね? メシ奢るよ」
「え! あ、ありがとうございます……いいんですか?」

 休日に二人きりで買い物や食事に行くのはデートなのではないだろうか。もし誰かと付き合ったら、こうしてお出掛けの後に家に帰って、お話しながら眠るんだろう。
 現実に頭が追い付いて来ないばかりにいつも以上にぼんやりとしてしまって、佐一さんがわたしの腕を優しく引っ張った。この調子だったら手を繋いでも怒られないんじゃないか。できないけれど。

「いつも行ってる定食屋でいい? 名前ちゃんって小食なんだっけ」
「え! いえ、佐一さんのオススメだったらいくらでも食べられます!」
「はは……元気だね。ちょっと歩くけど大丈夫?」
「えっと、あ、大丈夫です!」

 ヒールなんて選んでしまったせいで本当は足が痛い。けれど言ってしまったらすぐに帰った方が良いと言われそうで無理をした。
 佐一さんがわたしを先導してくれる。この人の腕は尾形さんより一回りぐらい太くて肌はこんがり日に焼けていた。思えば二人とも、どうして社会人なのにこんなに身体がガッシリしているんだろう。

「大丈夫?」

 クラスの運動部よりも何倍も逞しい佐一さんが急に立ち止まった。
 足の心配をしてくれているのかと期待をするのは一瞬だった。佐一さんは道の端で、所在無く看板を見上げるご老人に声を掛けている。「駅に行くバスがわからなくてね」困り顔に似合わないのんびりとした声色に、佐一さんも合わせるようにゆっくり「この乗り場から、×番のバスに乗ってくださいね」と案内した。
 困った人を助けるヒーローだ。初めて会った時も、佐一さんはわたしを救ってくれた。

「疲れてない? ごめんね、あとちょっとだから」
「あ……はい」

 そう言う優しいところを好きになったはずなのに、違和感のようなものが思考を覆った。誰にでも優しい佐一さんが、また新しく人を助けている。平等に優しくて気遣いができるから、佐一さんは取引先の娘さんにすらプレゼントを渡すのだろう。
 惚れ直す筈の部分なのに、わたしは脳の真ん中にある考えに蓋をした。

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