可愛いあの娘は失語症 | ナノ

ときめくあの娘は金欠病


「携帯鳴ってたぞ」
「多分クラスのグループ……」

 風呂上がりの名前は伏せた画面を見るや、声と動作、表情を硬直させた。固まったまま震える手で画面が差し出される。何を勿体ぶっているのか。覗き込んだ通知画面には見知った名前が表示されていた。

「尾形さん、あの、わたし……えー。えっと、これってお誘いですよね?」

 明後日ご飯でも行かない? 杉元から発信されたメッセージはグループではなく名前個人に送信されている。追い討ちを掛けるように「ふたりで」と殺し文句がついて出た。
 今日の件か、ならば顛末を知っている。「風呂入ってくる」とこの場をやり過ごそうとした俺の計画はいとも容易く細腕に遮られた。

「ちょっと、待ってください! 今度は夢じゃないかわたしの顔を叩いてください!」
「今度は? いつも杉元の野郎から連絡が来る夢でも見てんのか」
「そうじゃなくて、この前の……いえ、何でもないんですけど」

 女を殴る趣味は一応無いつもりだ。現実の確認ならば自分ですれば良い。
 先日のやり取りが無ければ恋仇と名前の接近に冷や汗のひとつ垂らしたところなのだろう。案外行動が早かった杉元に感心こそすれど今更焦燥感も覚えない。

「夢じゃねえから安心して返信しろよ。アイツは見ての通り短気だからさっさとしねえと取り消されるぞ」
「えっ! あ、え、いいんですか?」
「どうして俺にお伺いを立てる必要があるんだ」

 だってと口籠る背中を蹴り倒したらそれは暴力だ。仕方が無いので携帯を取り上げて「よろこんで」と送信してやった。
 腕を目一杯掲げたせいで名前はウサギのように跳ねている。一度送ってしまったものは取り消しも効かず、間髪を入れずに待ち合わせの時間が返ってきた。

「どうして勝手なことするんですか!」
「協力してやるって約束だったろ」

 抗議をしながらも確かに名前の口許は緩んでいた。慌てふためき喜ぶ様が痛ましく、携帯をソファに投げて極力何も考えないよう気を付けながら風呂場に向かう。何が協力だ。要件は昔好きだった女への贈答品で、杉元の野郎はそのついでに名前を諦めさせる算段に違いないのに。それを言ってやらない自分の何が協力者だ。

「これ、持ってけ」
「え……なんですか」

 そして自分にとってのわだかまりの解決方法が結局金でしか無いことに、先日杉元から言われた「言う通りにするか何かを買ってやるか」の愛情表現が重なり嫌気が差す。
 差し出した万札を名前は心底迷惑そうに拒絶した。

「……んだよ」
「援助交際みたいで無理です」
「馬鹿言え。炊事洗濯の対価だ。バイト代って言えばわかるか?」
「あ……アハハ、家政婦さんのバイトですね!」

 日に日に言い訳がスムーズになっていく自分を嘲笑すると、何を勘違いしたのか名前も気まずそうに笑った。





 シャワーを浴びて部屋に戻った時、名前はこの世の終わりのような顔をしていた。見てください。ついぞ震えなくなった手先が通知画面を淡々と指し示す。「ついでに女の人が喜ぶプレゼントを選んで欲しい」と今日俺に話した言葉と同じ文字が並んでいる。

「佐一さんって彼女いたんですね……」
「あんな奴にいてたまるか。……取引先の娘さんだ。悩んでたから名前でも連れてけって言ってやったんだよ」

 まさか誘いを掛ける段階で匂わせる馬鹿がいるか。ありもしない杉元の「取引先の娘」とやらを捏造してやると名前の顔色は一瞬で綻んだ。
 ここまで感情に素直であるならば俺の前でも年相応に笑っていただきたいものである。今になって杉元に腹が立ってきた俺を差し置き彼女はスマートフォンを片手に浮かれている。

「あの、尾形さん! お土産とか持っていった方がいいでしょうか……あと服ってどういうのが良いか一緒に選んで欲しいです!」
「俺は財布か」
「さっきいただいたバイト代で買います!」

 余裕を持つのはあまり良い事とは言えない。服に土産と、随分な事を言ってくれたものだ。自然と質の悪い笑いが込み上げて来て、全部俺に任せておけと柄にも似合わず頼もしいことを言ってしまった。他人の裏を読めない名前は卒直に有り難そうに肯いた。

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