可愛いあの娘は失語症 | ナノ

揶揄う俺は肝不全


 深夜と呼ぶには不足した時間に、名前を助手席に乗せている。国道沿いの道は帰省の渋滞の真反対で気味が悪くなる程空いていた。優越感を覚えながら、捕まらない程度に、極力スピードを上げる。今警察に止められようものならばいよいよ俺の人生も終了だ。
 名前によって終わらせられる人生も良いかもしれないが、いざそうなってしまえば彼女はきっと一生後悔することだろう。当然親御さんにも連絡が届いて生涯幽閉される羽目になってしまったら取り返しが付かない。

「あ! あっちにあるお店で夜ご飯食べたんですよ。途中下車の旅って感じで面白かったです」
「へえ」

 運転に集中する俺の気も知らず彼女は( 何度聞いたか分からない )思い出話を繰り返す。いい加減聞き飽きた、携帯の修理が終わってからは画像付きで、更には明日子からもわざわざ電話が掛かってきたのだ。面倒くさい。

「んな事より他に夏休みの思い出は」
「え? 補習行って、たまに委員会に出て、あとは尾形さんのご飯作ってたぐらいですけど」
「学校でのこと全然話さねえだろ。職場の奴とか家の中の話よりそっちの方が興味あるんだが」
「えーっと、特には何にも……あっ」

 思い出したように彼女が身を乗り出した。危ないので、出来ればじっとしていて欲しい。
 シートベルトに阻まれたから良かったものの名前はそのまんま、こちらを向いて話し出す。もし信号待ちならば顔を見ることができたのだが運転中に脇見をするわけにはいかない。

「この前の花火の時に佐一さんにはお話ししたんですけど、委員会の先輩に告白されました!」
「へえ、何て言われたんだ」
「夏祭り行こうって。あと、好きだから付き合って欲しいとか」

 あの日避けた話題が今になって戻って来ようとは。しかしコレぐらいの年頃の女にとっては確かに一大事だ。そんな大きな出来事も二の次になっている辺り、その先輩とやらには同情を禁じ得ない。
 あんまり覚えてないんですけど、と名前が付け足した。なんと哀れなことだろうか。

「お前の様子を見るにフッてやったようだが、杉元に操でも立てたか?」
「それもちょっとはありますけど、単純に、よく知らない人と遊びになんて行けませんから」
「の割には俺とは祭でも海でも何でも行くんだな」
「尾形さんは別枠ですから」

 その別枠は何も特別という意味では無い。理解しているのに一々浮かれてしまう様には我が事ながら心底呆れてしまう。
 しかし名前はこういった心情を一切知らない。俺さえ何も言わなければこの自己肯定の無い女は一生気付かないままなのだ。もし悟られようものなら今の関係性ごと事切れてしまう。

「……俺は保護者だからな」
「ポイントカード作りたいから保護者欄に名前書いてもいいですか?」
「ビデオ屋か?」
「ビデオ?」
「ゆとり世代が」
「ゆとりって佐一さんの世代なんですよー! わたしは悟り世代です!」
「円周率は」
「3.14159……2? 続き何でしたっけ」
「わかったわかった、名前は勉強が出来て良い子だな」

 その佐一さんの世代とやらには俺も含まれていることを名前はどこまで理解しているのだろうか。
 バックミラーの端に、勝ち誇った表情の名前が映っている。腹立つな、まったく。運転に集中できなくなるので少しは大人しくしていて頂きたい。

「あ、日本史の続き教えてください! 尾形さんのおかげでこの前の全国模試すっごく良かったんです」
「日本史教師が無能なだけだろ」
「あの先生結構人気なんですよ? 自衛隊が違憲か合憲かレポート書かされますけど」
「右か左かによるな」
「右?」
「大人になりゃ自然と分かるようになるから心配すんな」
「子供扱いしないでください!」

 何を言っているんだ、こいつは。「大人」と言葉を出せば反論して来るが、俺が子供扱いをしてやっているから今のような間柄で留まっていると言うのに。
 断じてヤリてえとか、付き合いたいとか、あまつさえ結婚したいなどとは考えていないが彼女はあまりに無防備だ。踏切に一時停止して隣を見ると、薄着の隙間から肌ががっつり見えている。

「ああ、あのラブホ。最上階にでけえピアノ置いてあるんだぜ」
「……最低です」

 遠くから電車が近付いてくる。ライトに照らされた名前は耳まで赤くして、恨めしそうに窓の外を睨んでいる。
 この辺りに車を停めてしまえば海まではすぐ近くだ。随分遠くに来てしまった。見た限り、こんな時間に訪れている人間は多くは無い。

「ガキは黙って飴でも舐めてろ。着いたぞ」
「………」
「オイ、どうしたんだよ」
「黙ってろって言われましたから」
「あのなあ」

 鍵を抜いて、タクシーの運転手よろしく助手席のドアを開けてやった。機嫌直せって、跪いて顔を見上げると彼女は不服そうに笑っている。
 飴よりチョコがいいですとか文句を付けてくるのでそのまま腕を引っ張った。バランスを崩すこともなく、綺麗に着地した彼女が俺の腕をやんわりと振り払う。





「わー! 夜の海です! 初めて見ました!」
「そうだな」
「……行きたいって言ったのは尾形さんなのに、なんですかソレ」
「暑い。帰りてえ」

 防波堤沿いの道路には自販機が並んでいるが、どれも大概売り切れの赤いランプが点いていた。仕方がないので不人気そうな、聞いたこともないジュースのボタンを押す。ガシャン、炭酸が弾けそうな音がした。

「こんな時間にも人がいますよ!」
「送り盆だからな」
「え?」
「あれ、死人かもしれねえぞ」
「そんなわけありません!」

 どう見ても生身の人間なのに、指差してやると名前は分かりやすく身体を竦めた。俺の服の裾あたりを握りながら強がったように笑っている。

「黙ってたんだが俺って見えるんだよ」
「見えるって、何がですか」
「幽霊。さっきから気になってたんだが名前の後ろにいる軍服の……」
「ぎゃーッ!」
「うわっ」

 ビビらせてやったつもりが、急にデカい声を出すものだからこっちの心臓が持たない。鈍い衝撃を感じる。名前は縮こまったまんま俺の腕に抱き付いてきた。引きがさなくては、いけない。

「くっ付くなよ暑苦しい」
「ほんとにいるんですか? 軍服だから男の人? 血とか出てません?」
「冗談に決まってんだろ。色気の無え声出しやがって」
「だったら可愛い悲鳴の上げ方教えてくださいよ! 最低です!」
「はいはいそのうち内な」

 居直った彼女が堤防に座る。波の音が拍動を誤魔化すように大きく聞こえた。名前が離れたところで暑いものは暑いし何も変わらない。
 足をぱたぱたと、所在無く振る様はいつかとは違い機嫌が良さそうだった。この数日は長かったのに終わるとなれば一瞬である。仕事行きたくねえ、思考がそのまま漏れていたようで名前が視線を上げた。

「休めないんですか?」
「無理だな」
「社会人って大変ですね」

 素知らぬ顔をしているが学生様も中々辛いものがあると思う。こと名前はその中でも別格であるのは言うに及ばず、しかしそれを極力見せないように振る舞うのだから見上げたものだ。

「わたしってどんな大人になると思いますか?」

 それはそれは美しくて素晴らしい大人になるでしょうね。今度の思考は口から出て来なかった。「普通の会社員」とだけ答えると彼女はつまらなさそうに眉間に皺を寄せる。俺や杉元を見ていてもわかるように、人はそのおおよそが可もなく不可もない程度で生涯を終えるのだ。

「俺の弟みてえに、特別な人間なんざ一握りなんだよ」
「尾形さんって弟いたんですか!」
「腹違いだけどな」
「あっ、へー……」

 勇作さんのような高貴で清廉な人間に俺はなれなかった。名前だって、親族郎等と似通った才能には恵まれなかったし人生なんてそういう、割の合わないようにできているのだ。
 ただ俺にとっての名前は当然特別なのだがそれを伝えたところで歪んだ笑顔の矯正は叶わないだろう。だったら言うだけ無駄である。

「……酒飲みてえ。自販機に残ってんだが」
「えっ」
「なあ、俺が酒飲んだらどうなるかわかるか?」
「ちょっとだけめんどくさくなる?」

 コンビニとは倍近く割高の自販機が俺を誘っている。仕事も辞めて、善人振るのも諦めて、帰宅も蔑ろにしていいんじゃないか。理性なんて俺のような最底辺の人格に必要なのか。

「あっ、運転!」
「あのラブホに泊まるしかねえかもなあ?」
「からかわないでください!」

 力強く名前が立ち上がる。
 せいぜい俺の胸元程度の身長の彼女は、小さい身体と意思の強い目線で抗議した。小動物の威嚇はこういうものなんだろうか。

「真剣だったら?」
「明日はお仕事なんですから殴ってでも止めてみせます」
「……仕事か。つまんねえの」

 一世一代の悪ふざけも結局清楚な少女には通じないのだ。

「来年免許取れよ」
「お金も時間も無いと思いますけど」
「時間は知らんが金なら出してやる。今後のタクシー代と思えば安いもんだからな」
「……それって何回分ですか」

 スカートに着いた砂粒を払いながら、名前が駆け足に着いてくる。駐車場にあるのは俺の車だけで、なんならホテルにすら行かなくても構わないと思った。何をするわけでもないのだが。

「ありがとう」
「え? 飲酒止めたことですか?」
「……楽しかった。帰るぞ」

 結局俺は指摘の通り名前で上書きをしたかったんだろう。いつかフラれたのと同じ海岸沿いで、あの時は酒を飲んだ後案の定最後の時間をホテルで過ごしたのだ。目が覚めた頃には当然女はいなかった。
 明日の朝名前は隣で寝ているか、朝食の支度をしているはずだ。帰宅すると電気とエアコンが点いていて、夕飯に家庭料理が並んでいる。

 想像してみると平日も捨てたものではなく、助手席で眠り落ちる名前を眺めて安心した。明日は早めに帰ろう。

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