可愛いあの娘は失語症 | ナノ

躓くあの娘は外反母趾


 参道に立ち並ぶ露天はどれも胡散臭く、一通り食い物を仕入れたので境内外れのひと気の無い場所に滑り込んだ。人混みは嫌いではないが得意でも無い。
 名前の腕ならとうに解放してやった。今頃明日子と白石と三人で甘いものでも求めているのだろう。

「何か用か? 酒なら奢らんぞ」
「あのさあ」
「言いたいことがあるならさっさと言え」

 ちょっと来いよ。
 名前ら三人の目をはばかって杉元は俺に耳打ちした。日陰の下で帽子をいじりながらしおらしくしている。こいつが何の目的でこんな場所を待ち合わせ地点に設定したかは何となく察しが付いた。

「尾形、お前……やっぱ名前ちゃんのこと好きだろ」
「は? アホか」

 今日の俺は、我が事ながらやり過ぎた。溜息を吐きながら適当に言い捨てると杉元は諦める。はずだったのだが奴は執拗に食い下がってきた。
 どうあってもこいつの中では俺が名前を好いていないといけないらしい。事実とは言えども杉元に知れてしまうのは不都合であるし何と言っても気に障る。

「先日と言い随分な恋愛脳だな。営業職より女性誌の編集者の方が向いてんじゃねえか?」
「やっぱりー? でもやるなら少女漫画の編集がいいな」
「さっさと転職しろ」
「……じゃなくて、お前の愛情表現って何か買ってやるか言われた通りのことするかの二択だろ」

 女と付き合うのも別れるのももはや日常の一部であったが、しかしこう直接的に指摘されては言葉が詰まるものがあった。
 確かに俺は今まで、愛情を形にすることだけを機械的に行ってきた。ただ名前は違うのだ。物を渡しても言われた通りに動いても彼女は気まずそうに笑うだけなので、積極的に何かをしてやっているつもりは無い。

「名前ちゃんがさ、花火の時、お前が帰った後に言うんだよ。尾形さんにサイズが合う服買ってもらいましたーって。その上今日の浴衣だろ」
「俺から言ったんだ。あんなもんぐらい施してやって何かおかしいか? 大体、可愛い姪っ子に服を買ってやっただけでそれか。頭ん中乙女な男にも困ったもんだな」
「相手は女子高生だぜ、下手したらブタ箱行きだ。どうかしてんじゃねえの?」
「お前もそんなに変わんねえだろ。告発してやってもいいんだぜ?」
「前も言ったが明日子さんはただの師匠だ」
「ああ、そうだ」

 だからこうする他無いのだ。

「お前が好きそうな話をひとつしてやるよ」
「俺が?」
「名前はどこぞの顔面傷だらけの不死身野郎が好きなんだとよ。いつからかは知らねえが、そのうち告白でもされる頃合いだろ。立派な大人の佐一さんよぉ、あのガキをどうやって切り捨てるのか教えてくれよ」

 杉元は特に顔色を変えるでも無く、頭悪そうに指を鳴らしながら、参ったなあ、とか呟いた。間髪入れずに俺を睨む。顔面の傷跡と、高い背丈と恵まれた体格のせいで傍目にはチンピラに脅迫される善良な市民に見えていることだろう。

「普通の人間はそういう大切なこと、言い逃れに使わねえんだよ」
「俺に対して普通ときたか。わかってんだろ? 俺は生まれも育ちもろくでもねえんだ」
「いつまで言い訳してやがんだ。お前がどんな生い立ちであろうが名前ちゃんに関係あるか」
「殴っても構わんが道理がねえだろ」
「名前ちゃんは明日子さんの大切な友達だからな」

 赤茶けた瞳は瞳孔が宵闇以上に開いている。胸ぐらを掴まれて、重いのを一発貰う直前だった。
 騒々しい足音が近付いてくる。集合場所は境内裏と言ったから、三人が戻って来たのだろう。

「杉元ー! カキ氷が手に入ったぞー!」
「尾形さんどこだろ。迷子放送してもらう?」
「まったく仕方無い大人だな」

 深呼吸をして杉元が手を離した。そもそも俺はどうしてコイツから振りかぶられているんだろうか。
 事実しか話していない。コイツの質問に対して否定もしなかった。杉元様は一体どんな立場で、心境で、俺に講釈を垂れているんだろうか。

「どうやら時間切れらしい。ほら、俺の言ったことを踏まえて行動してみろよ」
「……適当な事言いやがって」
「どうだろうなあ? お前、他人の心配する前に自分の事でも考えたらどうだ。まあ精々面白いもん見せてくれよ」

 戻って来た名前達は、三者三様、両手いっぱいに戦利品を抱えている。
 目一杯楽しそうな名前に話しかけられた杉元は、一瞬俺に眼を飛ばして来たもののすぐに「優しい佐一さん」の顔をして見せた。対する名前は顔を真っ赤にしている。
 その時わかったのだ。

「名前、楽しいか」
「はい! 佐一さんもいますし、尾形さんのおかげです!」

 俺は名前の二番でいい。
 なれる見込みなんてハナからないのだが、もし自分が彼女の一番になってしまったらその途端に壊れてしまいそうな気がしたのだ。名前は年相応に笑わない。しかし年相応に愚直で素直だった。

「尾形さんも食べますか? 白石さんが買ってくれたんです」
「だから口開かねえんだって」
「リンゴ飴はあげませんよ! イチゴ飴なら小さいから大丈夫かなーって思ったんですけど」
「……食う」

 口を目一杯開くと骨が突っ張るような感覚がした。あーあ、口移しでもしてくれたらいいのに(俺はもう駄目だ。助けて欲しくて左手で髪を触ったが、名前は素知らぬ顔で杉元の隣に駆けて行った)。





「楽しかったー! ありがとうございました!」
「酒飲んで飴食っただけだ。何もしてねえ」
「この人取ってもらいましたから!」

 射的で取ったぬいぐるみを彼女が満足そうに掲げた。要らん荷物が増えるのは御免であるが、ここまで喜んでいるのならば仕方がない。
 まだ祭りを堪能せんと居残った三人を後に、俺は名前と電車に乗っている。送って行くと言った時の杉元の表情ときたら笑えるものがあった。浴衣のガキと洋服のオッサンは人混みに紛れて、特に目立つでも無く帰路を漂っている。

「残らんでよかったのか」
「あんな人混みはじめてで疲れちゃいましたし、あと足が痛くて……」
「降りたらおぶってやるよ」
「恥ずかしいから絶対嫌です! 裸足になってでも歩いて帰ってやりますから!」
「タクシー呼んでやるから安心しろ」

 家は当然サウナのように熱く、冷房を入れながら一旦窓を開けた。外気もぬるい。これなら一生駅かタクシーの中で過ごしていたかった。
 飲み過ぎたようだ、そういうことにしてくれ。浴衣の崩れた名前がやけに色っぽく見える。俺はたしかに名前が好きなんだが、別に、ヤリてえとかそういうのではないんだ。

「浴衣ってどうやって洗えばいいんでしょうか」
「タグについてんだろ。面倒ならクリーニングに出すから置いとけ」
「タグ? 首のとこにあるかもしれないから見ていただけませんか?」
「立てねえ。名前、そこ座れ」

 ソファの下に座らせて、襟足を掴んだ。洋服じゃあるまいし、襟口には何にも縫い付けられていない。
 ふわりと祭りと名前の匂いがした(案の定またあの香水を振っているらしい)(いつからだろうか、俺はアレと名前を結び付けてしまっている)。

「……俺、この先一生夏になる度にお前のこと思い出すんだろうな」
「酔ってます?」
「ああ」
「そんなこと無いですよ。尾形さんって毎年何人も彼女がいるらしいじゃないですか」
「白石だったな」
「結構前に」
「あの野郎ブッ殺してやる」
「アハハ、わたしなんてただの子供なんですから、いちいち思い出しませんって」

 ただのガキなわけがあるか。振り向こうとする彼女を無理矢理抱き締めた。名前は迷惑そうに笑って腕を払い除ける。こいつは杉元のことが好きで俺のことなんて少しもみえていないのだ。

「今日はわたし、ソファで寝るからどいてください」
「一昨日はあんなこと言ったくせにな」
「……忘れてください。明日家からお布団持って来ます」
「俺がこっちで寝るから、か弱い名前お嬢様はベッドで行儀良く寝てろ」
「テレビで見たまんま、酔っ払いってたち悪いんですね」
「うるせえ」

 ワックス、落とさねえと気持ち悪い。歯も磨いてないし部屋着以外で寝たくない。名前の細腕が身体を押し返す。それから頭を撫でられて、気が付く間も無く眠ってしまった。

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