称えるあの娘は過食症
駅ビルの地下に着物屋があることは知っていたが、まさか自分がそこに足を運ぶことになるとは思っていなかった。
熟年の女性店員は関係性を探るでも無く名前にくっ付いて、時折俺に価格の確認をしながら先導している。落ち着いた子だから紫が似合うかもね、朝顔の柄も素敵よ。子供にも分かるように専門用語を使ってこないあたりこの人はベテランなのだろう。
「何色がいいか全然わかんないです……」
「知るか。何着たって可愛いんだからさっさと選べ」
言った通り、何を着たところで名前は名前だった。
髪まではしてあげられないけど、とか代金を払いながらベテラン店員が申し訳なさそうに言うので安心した。俺はあまり、見た目に気を遣う人間が好きでは無い。
母は所謂「そういう仕事」をしている人だったからいつも俺が帰宅する時間になると鏡の前で真剣な顔で化粧品を並べて髪を結っていた。元々綺麗な人ではあったが、器用なもので少し時間を掛けただけで途端に華やかになるのだ。
「浴衣にシュシュってなんか変じゃありませんか?」
「名前、お前高校卒業しても化粧とかすんなよ」
「え、お年玉で色々揃えようって思ってたんですけど」
身なりなんてせいぜい無色のリップを塗って、校則の範囲の位置で髪をまとめている程度の名前には安心するのだ。履きなれない下駄のせいで恐らく帰りは苦労するんだろう。
俺が何を考えているかなんて少しも気にせず、名前は杉元達との連絡に勤しんでいるようだった。グループが、とかスタンプがどうとかよく分からない用語が飛び交うのも癪なので今度明日子にでも聞かねばなるまい。
「夏祭りっていっぱい人がいるんですね」
「初めてか?」
「すっごく小さい時に連れてってもらったことありますけど」
「はぐれんなよ」
だったら、と名前が服の裾を掴んだ。
杉元に見られたらどうするつもりなのだろうか、彼女の表情を見るにおそらくそういったことはひとつも頭に無いんだろう。
「何のつもりだ」
「尾形さんって今はわたしの保護者なんですから。迷子の放送で呼ばれたくありませんし」
「服が伸びる」
「浴衣着たらよかったのに。見たかったです」
「その内いくらでも見せてやるから掴むのはやめろ」
名前の手を解いてそのまま腕を掴んだ。手とか、素直に繋げたんなら幾分まともだろう。ただ俺のせいで杉元の妙な勘違いに拍車を掛けるわけにもいかない(もっとも最早勘違いですら無いのだが)。
「これで尾形さんのこと見失いませんね」
「は?」
「尾形さん、ふらっとどっか行っちゃいますから」
先日の話を蒸し返して名前が苦笑いした。悪かった、何度謝っても恐らく一生話し続けるんだろう。
あの時ああやって突き放したこの姿が今距離も無く隣にいるのが不自然で、落ち着いて、腕に力を込めると彼女は痛いと眉を歪めた。
「浴衣可愛いね。似合ってるよ」
「えっ、あ、あの、佐一さんもカッコいい、です……!」
「名前ちゃん俺は俺はー?」
「白石さんは何か普段と違いますか?」
夏祭りの雰囲気に圧倒されながら、縁日を歩く名前は興味の無いものに少しの目もくれず足を気にしながら歩いている。大体こういう時は杉元以外を当然のように無視するのだが、どうしたものか今日の名前は時折振り返っては俺を見付けて安心したように笑った。貢ぎ物の甲斐があったのか何なのかは知らない。
「尾形さん、あれって何て銃ですか?」
「結構古いから有限会社×××が縁日用に出してるコルクライフルだろう。ああ、隅の方は中国製の安物だな。こういう類はわざわざ型番も公表してねえし詳しくは分からん。型抜きなんかは国内での取り扱いが一社だけになっちまってるから分かりやすいんだが、そもそも祭りってのは」
「引くほど詳しい……」
この町の祭りは結構趣があって、大昔に何かから住民を救った神に由来するんだという。一週間程度、朝から晩まで神社の参道すべてを使って行われるものだから車での移動が多い営業職にとってはたまったものでは無い。しかし客となれば別で、割合面白い縁日が立ち並んでいる。
射的小屋もその中のひとつで、その前で杉元達はすでに二千円ばかし溶かしていた。
「あの一番でけえやつ頼んだぞ」
「当たっても倒れないんだ。尾形に賭かっている」
「何で俺がお前らの為に働かなきゃなんねえんだ」
馬鹿馬鹿しい、杉元と明日子の二人が狙っているのは普通にやればコルク栓では落とせない重量の獲物だ。踵を返さんとする俺に白石がニヤニヤ笑いながら近付いてきた。
「名前ちゃんに良いとこ見せなくてもいいのぉ?」
「うるせえ」
「名前ちゃーん! 尾形があのデカいの落とすってよー!」
「オイ、白石てめぇ!」
あの日どうして白石に対して否定をしなかったのだろう。
後悔は先に立たず、隣の屋台に並ぶかき氷のシロップを見定めていた名前が飛んで来た。
「え? そんなことできるんですか?」
「……仕方無えな」
目を輝かせる名前を前にしたら大概のことを飲んでしまいそうだ。
この手の獲物にはやり方があって、杉元のように馬鹿正直に狙ったところで土台不可能なのだ。景品はいとも簡単に地面に落ちた。
「尾形さん凄いです! 前世は多分スナイパーとかそんな感じのやつですよ!」
「あれぐらい余裕だ。重いだろ、持ってやる」
「ありがとうございます……」
ぬいぐるみを持つ俺を名前が何か、珍獣でも見るような顔で眺めている。
「尾形さんってそういう可愛いの全然似合いませんね」
「うるせえ、置いて帰るぞ」