可愛いあの娘は失語症 | ナノ

俯くあの娘は偏平足


 その後の長ったらしい愚痴を聞くに、苗字家は代々長身で、恵まれた体型をスポーツや武道の部門で活かしてきたらしい。ところが次女でときたらこの有様で、そのくせ両親からは呪詛のように「きっと伸びるから」と文字通り身の丈に合わない服を買い与え、ノルマのように牛乳を飲まされて、夜は20時に寝かしつられているというから病的だ。
 ぶかぶかな靴をスリッパのように履きこなして、こいつはうんざりと笑いながら家庭事情を話した(器用に歩くものだ)。

「わたしってもしかしたら橋の下で拾われてきたのかもしれません」
「だとしたら親もそこまで期待しねえだろ」
「そうでしょうか。でも全然似てない」
「いっそ血が繋がってなかった方が幸せかもな」
「ソレは無いです。お父さんがちゃんと調べたって言ってたので」
「……はあ」

 正式に出会って小一時間、こいつは案外子供っぽかった。礼儀正しいと思っていた姿勢の良さは単純に身長を伸ばす為、遠慮がちだったのは杉元の友人に失礼ができないという緊張感で、茶菓子を追加すると嬉しそうに頬張るしテレビ番組の話をしたら食い付いてくる。
 年の差で出来たこの距離感が時間を追う毎に妙な安心感に変わってきた。俺は杉元とは違う。

「佐一さんと明日子ちゃん、山で出会ったって本当なんですかね」
「熊に襲われそうだったところを助けてもらったってやつだろ? 会社でも伝説になってるぜ」
「てことは本当かー」
「お前、間違っても熊と闘おうとすんなよ」
「アハハ、さすがに無理です」

 笑顔が歪んでいて、それに伴い瞳はいつ涙を流しても構わないように常に下や横を泳いでいる。目を合わせて人と会話することが苦手なんだろうか。こいつは先程からずっと、俺の口許だけを見ている。

「もしかして気になるか」
「えっ、あ、失礼でしたよね……すみません!」
「崖から落ちた」
「はい?」
「抜糸の前から外回りで紫外線に当たってたせいで痕が残っちまったんだよ」
「もしかしてブラック企業ですか……?」
「否定は出来んな」

 彼女はまじまじと俺の傷を見つめる。背が高い方では無い俺のことすら見上げ、セーラー服の胸当てがだぼ付いているせいで下手を打てば下着が見えてしまいそうだ。親は一体何をしている。こいつの笑顔が崩れているのは間違いなく巣が歪んでいるせいだ。

「せっかく恰好良い顔してるのに勿体無いですね」
「お世辞は俺じゃなくて杉元に言え」
「アハハ、聞き流しちゃいましたけど、崖から落ちるって普通じゃないと思います。何されてたんです?」
「頭も打ったからどうしてそんなことになったのか全然覚えてねえわ」

 彼女は伸ばした手を慌てて引っ込めた。笑顔は相変わらずぎこちなく、傷痕の謎が解けたとして決して俺の目を見ない。思えば明日子の顔だって面と向かって見据えていなかった。

「あの、バス停ここなので……、送って下さってありがとうございました」
「18時の門限には間に合いそうか?」
「普通の子よりは走るのも歩くのも早いので大丈夫です」
「にしても早過ぎんだろ。小学生でもあるまいし」
「わたしだけこうなんですよ。仕方ないんです」

 夏の空は当然まだ明るくて、大通りには(セーラー服のチビ女と部屋着姿のオッサンが紛れる程度には)人もそこそこ歩いている。別に送っていく必要は無かった。ただ、なんとなくこの機会以降会うことは無いのではと心のどこかで思っていたばかりに気持ちが妙に焦っている。

「携帯貸せ」
「え? あ、はい」
「パスコード」
「0が6回です」
「変えた方がいいぜ」
「考えときます」

 色気の無い電話帳に電話番号と住所、職場に部署役職、メールアドレスを詰めていく。スマートフォンのカバーは紺色無地で角が擦れていた。俺の知り合った女子高生(もっともコイツと明日子しかいないのだが)はどれも歳不相応である気がする。ガキっぽいとは言えどもどこか大人びているというか、達観しているというか、最近の若い者は皆こうなのだろうか。

「繁忙期じゃなけりゃいつでも電話は取れる。暇な時連絡しろよ」
「ありがとう御座います。でも迷惑じゃないんですか?」
「だったら登録しねえだろ。……気を付けて帰れよ」
「ありがとうございます! 尾形さんもお気を付けて」

 丁度良いタイミングでバスが彼女を攫っていく。満員の車内に小さな身体を押し込めて、隙間から申し訳程度に手を振る姿が目に焼き付いた。

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