傷付くあの娘は大ヤケド
今の時代花火なんてしていたらすぐに通報される。
そんな中で珍しく黙認されているのがここなんだと明日子が語った。案の定杉元達はこの夏三度目らしいがいくらなんでもハイペースである。名前の表情は見なくてもわかるので考えないことにした。
「尾形ちゃーん、ライター貸してー?」
「しょうがねえな。おら」
「うわっと……ああっ!」
ぽちゃん、胸ポケットから放り投げたジッポが白石の手に弾かれて、そのまま川に落ちて行く。わーわー関係ない所で騒ぐ杉元と明日子の一方で、坊主頭とチビ女が顔を見合わせた。
「ご、ごめん! 拾って来る!」
「気にすんな。予備ならある」
「でもジッポだぜ? 大切な物なんだろ」
「五年前ぐらいの貰いもんだ。今はどうでもいい」
一つずつ確実に、古い記憶の種が枯れていく。昔の女から三ヵ月記念日に貰った品、面白いぐらいに俺は受動的でいた。もしかしたら川底のそれもわざと強めに投げたのかもしれない。
今日のような風のある日には最初からターボライターが適切だったのだ。最初の花火に炎を宛てながら、水底深く落ちた昔の女の忘れ形見に名前が横目で無表情を送っている。もしコイツから物を貰ってしまったら俺はどう扱ってやるんだろうか。
「尾形さん点きました! 早く準備してください!」
「ジッとしてろ。危ねえだろ」
煌めきはじめた花火を手渡すと彼女は興奮したように立ち上がる。しだれた火花が目の前に落ちて来た。熱くは無いが煙たくて、何故普段のタバコと同じようにいかないか不思議になった。
そもそもタバコだって周りにいる人間からすればこれと同じく咳を誘発するのかもしれないが、少なくともここまで派手に音やら火花やらを散らしていないだけ良心的だ。
「だって花火ですよー! 花火!」
「人の話聞いてんのか!」
案外すぐに贈り物が届いた。名前の火種を預かって、咄嗟に取った線香花火が燃えていく。炎を持ちながら暴れる様が危なっかしくて慌てて腕を掴むとその拍子に丸まりかけた火玉が落ちてしまった。
どうと言うこともない、誰から何を貰ったところで形がある以上いつかは消えてしまうのだ。とうの本人はすぐ様次を物色している。同じだ、全部。ぼんやりしていると杉元が俺に爆竹を投げて来た。
「オイ杉元、お前殺される覚悟はできてんだろうなぁ?」
「やってみっか? テメエが休み前にわざとめんどくせえ仕事押し付けてきたのは知ってんだよ」
「杉元! ロケット花火の準備ならできているぞ!」
「でかした明日子さん! 今日こそクソ尾形をぶっ殺してやる」
ターボライターと蝋燭とでは戦闘力が違うのだ。杉元と明日子がちんたら準備をしている間に何個か花火に手を掛ける。
吹き出すように置き型花火が散り始めた。危険ですので手に持たないでください、なんて行儀良く綴られた注意書きは酔いどれには読めたものではない。
「熱い熱い! 明日子さん花火まだぁ?!」
「このライター火がつかないぞ?」
「それライターじゃないよ……明日子ちゃんお酒飲んだでしょ。尾形さんもやめてくださいって、危ないです!」
「名前は下がってろ。杉元にも他人の痛みを知ってもらわなきゃなんねえ」
全速力で逃げる杉元のことは白石が押さえつけてくれた。何も本気で火傷させるつもりは無いが痛みを植え付けたいのは本心である。この無用な競り合いの最中にも名前は二人の腹心振りに胸を痛めているのだ。
「あっつ! 痛ぇって! 尾形主任殿許してください、もう調子に乗りませんから!」
「信用ならんな。名前、ねずみ花火持って来い。顔に乗せる」
「ねずみ? どれかわかりませんしもうやめてくださいってー……」
「やれー尾形ー!」
「明日子さんはどっちの味方ぁ!?」
ああ、こいつはろくに花火もしたことすら無いのか。
夜に外を出られない彼女はきっと、花火なんて幼少の頃にやった切りなのだろう。ちょっとした悪ふざけもパッケージ裏の注意書きよろしく人体に良くないと信じている。まあ確かに火傷はするだろうが、顔にデカい傷がある者同士さして気にはなるもんか。
「佐一さん、尾形さん……明日子ちゃんも、お行儀良くやりましょう!」
「名前ちゃんだってさっき尾形に先っぽ向けて走り回ってたのに?」
「えっ……と、それはなんていうか……。とにかくダメです、あぶないって!」
杉元で遊ぶのにも飽きて来た。名前が笑っている。俺といる時よりは幾分も純粋に楽しそうな姿を見て俺は安心するべきだったのだ。
これではまるで男のつまらん嫉妬だ。名前は軽いヤケドをした杉元の頬に缶ビールを宛てて、燃えた服は縫ってしまおうとやわらかに微笑んでいる。この姿はどうあっても俺には向けられないだろう。
「尾形と名前は仲が良いんだな」
「アハハ、尾形さんが合わせてくれてるだけでそうでもないよ」
俺の話題だったら名前は苦い顔で笑う。
杉元に宛てがっていたビールを取り上げて一気に煽った。炭酸が喉に直接流れ込み痛みで顔を歪める。杉元と少しでも会話出来るように、少しでも仲が縮まるように、こう言うことをする為にこのガキに関わって来たが、もうそろそろ潮時ではないだろうか。
「尾形さん! 楽しいですね!」
「そうか」
「ありがとうございます」
「ああ」
今日はコイツを置いて行こう。
不安定な気分が蝋燭の炎のようで、シクシクと、機嫌悪く揺れていく。どの道明日は親が帰って来るんだ。それならこの後俺の家に戻って来る意味も無い。
「あれ? 尾形ちゃんどうしたの?」
「火傷したから帰る。名前のこと頼んだぞ」
「何でクソ尾形から頼まれなきゃなんねーんだよ」
「……保護者だったからな」
振り返ると名前は俺の顔も見ずに、明日子と喋りながら飛び散ったゴミの片付けをしていた。火を点けたばかりの煙草を道端に投げ捨てて、飲み干した缶を地べたに置き去るぐらいしか抗議の術を持っていない。
「名前ちゃーん、クソ尾形が帰るってよー!」
「あ、尾形さんスーツ!」
この熱帯夜で身体が冷えるわけも無い。荷物でしか無い俺の忘れ物を持って、名前が駆け寄って来る。白石に触れた手で、明日子と話した声で、杉元を見つめた目で、仄暗い気分がいよいよ喉奥からせり上がって来た。
「まだ花火残ってますよ」
「なあ、名前」
「何ですか?」
酒のせいか気分が面白い程上下した。ああ、名前にも飲ませておけばよかった。ジュースだと言って缶チューハイを寄越せば騙されたに違いない。名前は俺の頭の中なんか知らない。呑気なアイツは少しぐらい俺と同じ気になれば良かったのだ。
「もう二度と来るな。荷物は郵送してやる」
「え? 尾形さん……?」
「俺がいねえ方が上手くやれるだろ。さっさと戻れ」
「あの、さっきのは別に」
「もういいだろ。住所と親御さんが家にいねえ時間帯だけメールで送れ。その後は連絡先ごと消しとけよ」
名前のせいだ。思ってもいない事を一方的に言い付けて、次の瞬間には後悔している。
冗談だ、とか普段のように付け加えたら無かったことに出来るんだろうか。それはあまりにも勝手過ぎるので一回だけ振り向いた。誰かに呼ばれたのか当たり前のように彼女の後ろ姿しか見えない。
俺は一体何をしているんだ。