可愛いあの娘は失語症 | ナノ

気付かぬあの娘は不応症


「なんか、カッコイイやつ見たいです」
「もう少し具体的に言え」
「感動するやつは泣いちゃうし難しいのは眠くなるから、アクション? 撃ち合いとか殴り合いとかする感じの」
「トップに出てるやつでいいか」

 好きなものを見ておけと指示していたのに、名前は結局リモコンを構えたまま固まっていた。映画が見たいんだと、先日も話していたが結局あの日は弁当を食ってそのまま解散してしまったのだ。
 雑なリクエストに合うような作品をピックアップして、今度はあらすじを読みながら満足そうにこれは嫌、こっちも違うと呟いている。ガキの思考回路は全く読めない。気付けば彼女は当初の発言をいなしてファンタジー大作を検索していた。

「お部屋暗くしたいです。その方が映画館っぽいですし」
「寝落ちすんなよ」
「わたしってそんなに信用ありませんか?」

 その通り、20時以降の名前には少しの信用も無い。
 案の定半分程ストーリーが進んだあたりで彼女はうつらうつらとソファに寄りかかってきた(さすがに隣に座らせるのも気まずいので名前は床にクッションを敷いて、俺はソファの上で膝を立てている)。アレだけ気合を入れて画面を見ていたというのに、だから灯りはつけておくべきだったのだ。

「眠いんだろ」
「でも……、まだ続きありますし、尾形さんの寝る場所無くなっちゃいま、す」
「何当然のようにベッドで寝れる気になってんだ」
「あッ、え、すみません! 厚かましかったですね!」
「……冗談だ。ガキを地べたに寝かす程終わっちゃいねえよ」

 寝室にはカーペットも敷いていない。
 思い返せば帰らんとする彼女を強引に引き留めて、昼夜逆転とかいう無理難題を押し付けたのは他でも無く俺自身である。だからと言って一度否定してしまった以上、床がダメならソファで寝るとか、やっぱり家に帰るとか必要以上に食い下がって来た。

「だったら一緒に寝るか?」
「え? わたしが、尾形さんと?」

 言ってしまった。正直すぎる口からは後ろ暗い願望が溢れて来て、いよいよ黙らなければ変質者の仲間入りである。ただ名前はハッとしたような顔を見せて控えめに笑った。

「それだったらわたしも尾形さんも背中痛くなりませんね」
「は?」
「歯磨きしてきます。あとコンタクト外して、尾形さんは先に寝ててください」
「あ……、わかった」

 あくまで俺を他人と見限る彼女は当然のように洗面所に去っていった。おいおい、さすがに危機管理能力の欠落が過ぎる。男とふたりで、同じ寝具を歓迎するだなんてどんな教育を受けて来たんだ。
 きっと少しの教育も受けて来ていないのだろう。ただ言われたままに寝室に向かい、もう一人分のスペースを空けてしまう自分はもっとおかしかった。足音が近づいて、ドアが開く音がする。俺のシャツを着た名前はいとも簡単に作ったスペースに潜り込んだ。

「寝る時ひとりじゃないってこんなに安心するんですね」
「この状況で安心できる奴なんてお前ぐらいだぜ」
「え? 抱き枕よりずっと落ち着きますよ」
「んな可愛らしいもん使ってんのか」
「そうやってすぐからかうんですから!」

 肯定すると否定して、どうやっても自分を蔑む彼女が見ていられない。
 身体が触れるにはベッドが広過ぎる。平均よりも幾分か小さい彼女と平均並みの俺の、どちらかが動いた所で金具は軋まなかった。一昨日まで横たわるまでもなく意識を奪われるが如く就寝できていたのに、今日に限っては少しも睡魔がやってこない。

「尾形さん、枕余ってませんか?」
「ああ、悪かったな。俺のでも良いか」
「えっ、あ、尾形さんのおうちって何でもふたり分あるからって思ったんですけど……無いなら大丈夫です!」

 確かに俺の家には俺個人では賄えない程の物がそのままになっている。二人分とはよく言ったもので、その相手は頻繁に変わっているのだが純粋な名前にはそんな事情は理解できないだろう。
 無いなら構わないとか言ったくせに、彼女は首をかしげてみたり横を向いて見せたりと絶えずゴソゴソ動いていた。余程坐りが悪いのだろう、んー、と独りごちる声が漏れている。

「だったらこれ使え」
「え、えー」

 マットレスに沈み込ませるように腕を滑らせて、名前の空っぽの頭の下に敷いた。最初こそ遠慮がちに首に力を入れていた癖に、納得したのかズシリと重みがかかる。

「尾形さんの腕、かたいです」
「それなりに鍛えてるからな。嫌ならやめてやる」
「嫌じゃありません!」
「……急に大声出すな」
「あ……、でもすみません。わたし、腕枕とか初めてだからなんか変な感じして」

 普通の人間ならばガキの時分に父親からこうされていたんだろうが、残念な事にコレは普通ではない。かく言う俺だってしたことはあってもされたことなんて無かった。
 冷房に混じって、自分の息が、いつも意識していないのに今日に限っては大きく聞こえる。今まで付き合ってきた女も同じようにしてきたのだが、本心では寝心地が悪いとか思われていたんだろうか。
 実のところクレームを付けられたことは一度も無かった。大体俺の家に女が来るのはそう言う時で、疲れ果ててどちらとも言わずそのまま寝てしまうのだ。……駄目だ。

「なあ」

 名前がこの一日二日をひたすら杉元との思い出話で過ごしたいのは知っている。ただ、どこまでいっても彼女の語る杉元は不死身の杉元なのだ。意外性も何も無く、少し鼻にかかる社内の人間の話が連ねられて、だからと言って俺の行為が肯定されるわけでも無いのに頭がぼんやり霞みがかってくる。
 悪いことは大体全部酒のせいだと言ったのは誰だったか。俺は昨日の自棄酒にやられてしまっているに過ぎないのだ。

「こうしてもいいか?」
「え、あの、尾形さん?」
「また香水振っただろ」
「あの、尾形さん……!」

 良い匂いがする。
 腕ごと名前を抱き締めた。身体は見た通り小さくて、ガキらしく高温で、もう少し力を入れたら潰れてしまうかもしれない(まあ人体は結構頑丈に出来ているので気にする必要もないか)。27時の寝室で名前だけが慌てふためいている。

「あの、こんなんじゃ眠れません、って!」
「夜更かしするんだろ? だったら願ったり叶ったりじゃねえか」
「そういうのじゃなくて! 尾形さん恥ずかしくないんですか!」
「全く」

 腕の中で名前が何やら囀っているが、あの日選んだ香水の匂いと彼女自身の肌の香りばかりが先遣して何も入って来なかった。何もやましい事はしていない。家も腕も貸してやってるんだから、条例の範疇でコレを何に使おうが俺の勝手であって良いはずだ。

「……尾形さんはわたしのことなんとも思ってないからいいや」
「そういう名前は俺のことどう思ってんだ」
「今それ聞きます?」
「悪いか」
「え……っと、仕事ができて個性的だけどカッコイイ人? 顎の手術痕も男らしいっていうか」
「お前って結局どんなのが好きなんだよ」
「佐一さん」
「知ってる」

 ふわりと甘い匂いを振りまきながら、彼女は考え抜いたような台詞を吐いた。年上で、優しくて顔に傷があって、結構筋肉もあって、面倒見が良くて、かっこいい人。出された条件には嫌と言う程覚えがある。

「それから結構気を遣ってくれて、歩幅とか合わせてくれるんです。わたし、不安な時に結構顔に出ちゃうみたいでそんな時はどうしたのって聞いてくれて」
「はいはい分かった、杉元佐一は俺なんかと違って素晴らしい人間だ」
「尾形さんも素敵な人ですよ。すごくモテそうです」
「んな良いもんじゃねえよ」
「多分わたしと違って愛される才能があるんです」
「あったらここまで拗らせてねえわ」
「アハハ、わたしたちっておんなじみたいなものですね」

 名前も俺と何ら変わらない。結局俺もこいつも、自分と同じ境遇の人間を探し出して傷の舐め合いをしたいだけなのだ。
 首元に回した腕に彼女の温い指先がしがみ付く。うだうだうるさく呟く割には名前は結構順応性が高い。

「じゃあ尾形さんはわたしのこと……って、ただの手の掛かる子供ぐらいですよね」
「違う」
「え?」

 今までの女とは大概ヤリ疲れて落ちていた為に、ベッドの中でここまで会話をするのは初めてかもしれない。暗い寝室の中で、意識するとやはり拍動やエアコンの、それから室外機の轟音までが耳に響いた。
 だから自分の話す言葉ですらいやに大きく聞こえるのだ。極力聞き取られないように、小さく囀ったつもりだった。

「見てらんねえんだよ。せっかくこんなに素直で顔も頭も良くて料理も上手いのに、いつも申し訳無さそうにしやがって」
「そんなこと、ありませんけど……」

 この暗さでは名前の表情なんてわからない。今困っているのか、戸惑っているのか、迷惑がっているのか気味悪がっているのか考えたところで状況が状況である。
 どうせ明日には、酔っていて記憶が飛んだとか嘘を吐けばいいのだ。怖い程に純粋な彼女は俺の虚言を丸切り信じてしまうのだろう。何も、殴ったわけでも犯したわけでもないのだ。憑き物が落ちたようにすんなりと口から思い付いた言葉が漏れ出ていく。

「もし俺にお前みたいなガキがいたら、腕折られても顎砕かれても目玉を抉られても痛くないぐらい愛してやってんのに」
「あはは、例えがなんか、グロいです」
「今もどうせ無理矢理笑ってんだろ。もっと素直になれよ。オガタさんが気持ち悪いとか、迷惑だとか」
「そんなの少しも思ってません」

 振り向こうとしたのか名前の重心が下がった。腕の筋に掛かって少し痛む。やっぱり痛いのは御免だ。

「尾形さんは優しい人だってちゃんと思ってます」
「優しい? 俺が?」
「ずっと言ってるじゃないですか。尾形さんは話しやすくて優しい人だって、多分動物とかからも好かれるんです」
「有象無象から愛された所で何の意味もねえ」
「だったら誰から愛されたいんですか?」

 真っ先に浮かんだ顔が何なのかわからない。
 脳裏もボヤけて視界が歪む。誰から愛されれば自分は真人間になれたんだろうか。思い付く限りの人間は全部俺のことなんて少しも知らない。今も昔も、俺は一人で死ぬまで生きるのが丁度良いのだ。

「わかんねえ」
「きっと見つかりますから」
「なあ、俺って優しいんだろ」
「少なくともわたしはそう思いますけど」

 周りのどの人間も生まれた事を祝福されて、馬鹿みたいに笑顔で生きている。どうして俺ばっかり、一人でいなければならないんだ。

「だったら俺で良いじゃねえか」
「なにいってるんですか」
「自分でもわかんねえ」
「まだ酔ってます?」
「ああ。吐いたらすまんな」

 そろそろ意識の手離し時だ。頭がどんどん一杯になって、名前の首筋に顔を埋めると懐かしい気分になった。ああ、あの香水は多分母さんが使っていたんだ。

「尾形さん、わたし」

 名前の着ている服からは当然俺の匂いがする。髪は彼女の、浮遊感が唐突に舞い上がり結局のところ気が付いたら眠ってしまっていた。

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