可愛いあの娘は失語症 | ナノ

 その女子高生は、まだ背が伸びるからと親に押し付けられた文字通り身の丈に合わないスカートを履いていた。セーラーカラーは肩幅を突き抜けて、袖の三本ラインが指先まで隠している。健康的な明日子とは違う、屈折した笑顔を見ていると感傷的な気概で視線が固まった。この娘はガキの頃の俺と似ているのだ。
 昔夢に見た事がある。ある日自分を何の見返りもなく祝福してくれる人間が唐突に現れるのだ。
 もし現実になっていたならば今の俺はもっと上手く笑えていたに違いない。これはあくまで同情であり、見ず知らずの女に自分の人生を重ね合わせているだけなのである。


可愛いあの娘は失語症




「こいつが杉元の同僚の尾形だ」
「一応言っとくが俺の方が役職は上だからな」

 蝉の鳴き声煩い七月の上旬に、クラスメイトを連れた明日子は少し外れた紹介をして当然のように部屋に上がり込んできた。彼女は一歩退いて俺の鼻あたりを見つめ、遠慮っぽく玄関口で様子を伺っている。
 入れよ、促してやっと靴を脱ぎ、品良く揃える指先がつたない。紺色のソックスが床を滑る、極力足音を立てないような歩幅は到底明日子と同い年に見えなかった。

「明日子ちゃんのお友達ってみんな大きいね」
「尾形はそうでもないぞ。成長期にろくに寝なかったんだろう」
「あ? 二度と家に上げねえぞ」
「そうじゃなくって! 皆さん大人だなア、って思いまして……」

 困ったように眉を顰めて口先だけで笑い、そいつは背筋を伸ばしたまま初めましてとお辞儀した。目上の人間の家なのに遠慮なくソファを陣取る明日子に爪の垢でも煎じて飲ませてやろうか。まあ残念なことに俺の背が高く無いのは事実である。
 ただこのガキは、そんな俺から見ても小さかった。十六、七の女がコレだったら今更明日子を追い越す事すら無いだろう。不自然に折れるスカートがエアコンの風に薄く靡いている。

「名前は」
「あッ、苗字です。苗字名前……」

 残念なことに明日子は友人と俺とを取りなすでも無く、勝手に冷蔵庫を開けてシケていると悪態を吐いていた。最近業務用タピオカを仕入れたとか言う杉元とは違って一般的な独身男の家に女子高生が喜ぶ物など入っているわけがない。
 明日子の自然体にどうやらこの女は慣れているらしい。呆れたような、諦め、面白い、いまいち感情を表現できていない笑顔は半端な丈のスカートに似ている。

「おーがーたー、シュークリームは無いのか」
「あるわけねえだろ。杉元にでも頼め」
「杉元は今日は休日出勤していないのか!」
「知るか。お前もう出禁な」
「尾形が良いと言ったんだろう?」
「気が変わった。オイお前、烏龍茶飲むか?」
「え、えー……」

 文句を垂らす明日子を玄関先まで引きずる最中、ちょうど杉元から着信が入ったようでこいつは途端に態度を変えた。呆然と立っている自分の友人に「また月曜日な!」なんて無責任な言葉を投げて次の瞬間には靴を引っ掛けている。ガチャン、天気の荒れた日は風圧でドアが勢い付く。

「……あの、わたしも帰りますね。お邪魔でしょうし」
「せっかくだから飲んでけよ。明日子には黙ってたが一応焼き菓子もあるぞ」
「えー……じゃあいただきます」

 よくあるんですよね、そう溢す苦笑いはどうしたって女子高生のものに見えない。
 気まずそうに彼女は氷をカラリと鳴らしながらグラスを取る。座れよ、言うと地べたに正座した。余程厳格な親に育てられているのか背筋はピンと張っていて、先程まで明日子が我が物顔で腰掛けていたソファを勧めても大丈夫ですと頑なに動かない。
 片やカウンターチェアに腰掛けて、片やカーペットすらないフローリングの上に座る姿はどうやっても背徳的なものがあった。明日子には片時も感じなかった妙な空気感が気色悪い。

「繕ってやるぜ」
「え、どこかほつれてますか?」
「丈」
「あー……、オガタさん? ってお裁縫できるんですね」

 本当のところ、この女に会うのはこれが初めてでは無い。前に一度杉元に連れられて明日子の通う学校に立ち寄った事がある。その日校門には生徒指導と思しき教師が立っており、ぶかぶかの制服を着た女生徒に説教をかましていた。こいつは泣きそうな顔をしているくせに口先だけ笑って見せていたのだ。

「独り身だからな。ある程度何でもできる」
「スーツの、スラックスとか自分でお直しするんですか?」
「気分が乗ればな」

 理不尽に叱られながら作り笑いを浮かべるこの女の姿がどうしたことか頭から離れなかったのだ。
 昔の自分と重ねたのかお節介心が湧いたのか、その日以降通勤経路に学校を組み込み、登校時間に合わせて起床時間を早めて、ようやく次に見かけた時に都合よくこの女は明日子と一緒にいた。たまには友達でも連れて来いよ、と杉元を通して伝えたその週の内に明日子はうちにやってきた。

「佐一さんのお友達なんですよね」
「あいつはただ職場が同じだけだ」
「でも明日子ちゃん、よく佐一さんと白石さんとかとで会うって言ってました。仲が良いのっていいですね」
「まあ、アイツらといたら暇しねえしな」
「アハハ、わたしもそう思います」

 少しずつ、遠慮がちにフィナンシェを齧っている。グラスはそのまま床に置かれて、結露がフローリングに滲まないのはこの女が逐一袖で拭っているせいである。
 女は部屋が綺麗だとか、結構広いだとか、物が少ないだとか俺の家に来る人間がまず漏らす無難な感想を並べながら痺れた足をさすっている。別にこんな、どうだっていい話がしたかったわけでは無い。

「何か悩み事とかあんのか?」
「え……」

 それがよりにもよって、初対面(あちらにとっては)の相手とするに相応しくない質問に化けてしまった。目を丸くされて我に帰る。ただでさえ人付き合いを疎んできた自分がこんなガキと上手いこと会話できるはずがないのだ。俺は一体何をしている。

「すまん、忘れてくれ」
「あ、いや……あの、背が伸びないんです。お姉ちゃんは177センチで弟が180とかそれぐらいなのにわたしだけ小さいんです。けど……、尾形さんに話していいことじゃなかったですよね」
「お前も俺のことチビだって思ってんのかよ。平均程度はあるんだが」
「そうじゃないです! でもなんていうか、佐一さんよりは小さいかも」
「随分杉元と仲が良いんだな」
「あっ、それもです!」
「あ?」
「佐一さんのこと!」

 本題を見つけたと言わんばかりに遠慮がちだった彼女は語り始めた。
 明日子と杉元は仲が良くて、たまに三人、四人で遊びに行く時も二人の世界が出来上がっている。そのくせ明日子にだけでなく自分にも優しくする杉元に惚れてしまったと。
 ガキらしい単純な理屈だ。たしかに杉元は子供の扱いが丁寧である。過保護な程優しくて面倒見もいい。顔もデカい傷があることを除けば結構整っていて、ってどうして俺が奴を褒めなくてはならないのだ。

「だったら協力してやるよ」
「え、本当ですか! 初めて会ったのに!」
「保証はできねえが約束してやる。嫌なら構わんが」
「わたし尾形さんにお会いできてよかったです!」

 思えばずっと、杉元の話をする時だけは比較的年相応に笑うのである。どうして助けるだなんてことを言ってしまったのだろうか。やはり、どうあっても俺はこの女に自分を重ねているに違いないのだ。

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