可愛いあの娘は失語症 | ナノ

誤魔化す俺は四十肩


「終わったら飲み行かねえ?」
「平日だろ。他当たれ」
「明日子さん、白石、谷垣、キロランケに牛山も忙しいって」
「じゃあ俺も忙しい」
「今から帰るのにぃ?」

 盆前に考え無しに有休なんて取ろうとするからこうなるのだ。
 膨大な量の書類と付箋に追われながら、良い歳こいた大人が女々しくスーツの裾を引っ張った。この様子ではおそらくあと三時間はくだらないだろう。

「一旦帰るからな」
「え、いいの?」
「気が変わらない内に仕事終わらせろ」





 いつぞやに来た安居酒屋で、杉元はやはりいつかのように先にビールを空けてもろみを掠っていた。不死身と揶揄されるこいつといえどもあれだけの業務は堪えたようで、珍しく目を赤くしている。

「ダメ元だったのに来やがるから驚いた」
「それが誘って来た人間の台詞かよ。烏龍茶」
「お前もしかして車?」
「暑いから喉乾いてんだ」

 氷で量増しされた烏龍茶と飲みくだしのビールで雑に乾杯する。本日は木曜日、残念なことに明日も仕事である。
 疲れてるとこをごめん、とか、らしく無く優しさを見せてくるコイツが心底不気味だ。飲酒しているというのに杉元の顔は少しも赤くなく、それどころか土気色になっている。多分コイツは今日死ぬ。

「何か食うか?」
「家で食ったからいらねえ」
「わざわざ夕飯済ませて来るとか嫌味かよ」
「23時過ぎに呼んでおきながら文句言うな」
「もしかして俺のこと好き?」
「……バッタの次ぐらいには」
「それって下から数えた方が早いやつじゃん」

 その程度の認識しか無く大した義理も無い男であるがこうして誘いに乗ってやったことには当然理由がある。
 いつだったか名前から、杉元の好きな服を聞き出して来いと命じられている。今日も当然彼女が作った飯を食って来たのだからその程度の働きはしなければ不釣り合いなのだ。

「俺辞めるかも」
「辞めた後のこと考えてんのか?」
「明日子さんの親父さんと一緒に猟師になる」
「あの人の本業は通訳だろ」
「じゃあ谷垣の家継ぐ」
「あいつは兄貴がいるじゃねえか」
「白石とパチプロ……はさすがにねえな」

 青白い顔をしながらもしっかりと酔っ払っているようで、ああでもないこうでもないと将来を模索するコイツは本気で仕事を辞めるつもりなどないのだろう。
 ビールを頼むと杉元もそれに倣った。かんぱーい、本日二度目の音が響く。

「お前って酒以外で何が好きなんだ?」
「干し柿とレバーとか内臓系。生の」
「肝炎になるぞ」
「不死身だから平気。家族全員同じ病気で死んだのに俺だけ生き残ってるし?」
「その理屈で行けば俺も不死身かもな」
「お前は悪運が強いだけだろ」

 実家は無いと、歓迎会の席で笑い飛ばしたコイツに俺は、あの時確かにシンパシーを感じたのだ。共感はすぐに勘違いだったことに気付いた運びであるが。
 杉元はすぐ様居直ると真面目っぽい顔をした。

「土曜は車出してくれたらしいな。ありがとよ」
「ガソリン代10万円」
「バカ言え。あの後なんか用事でもあった?」
「休みの日までお前の顔を見たくなかっただけだ」
「鍋のときは来たじゃねーか」
「保護者役があったから仕方なかったんだよ」
「海やっぱ無理?」
「さすがの俺も調整できん。もっと早く言え」
「先に抑えてりゃ来てくれたわけ? クソ尾形のくせに?」
「どうだろうな」

 そうだ、俺は保護者なのだ。不憫なガキの親代わりで、それ以上でも何でもないのだ。
 毎日飯を作ってもらっている手前どちらが保護対象なのかは分かったものでも無いが、それでも名前は事あるごとに俺を頼っている。報酬のように休日の暇を潰させて、それだけの事なのにどうしようもなく遣り切れない。

「夏期補習ってお盆で終わりらしいぜ」
「詳しいな」
「明日子さんと盆明けに猪狩りに行く約束してるから」
「あんなガキのどこがいいんだか」
「明日子さんは俺の師匠で相棒なんだっての」

 目の前で酒を飲みながら店員の尻を追っているこの万年平社員のどこがいいのだろうか。とかいう自問自答を何度繰り返したところで時間の無駄だった。今頃寝ているであろう名前の、全部に絶望したような笑顔が脳裏をちらつく。本来の目的を忘れていた。

「そういえば、お前ってどう言う服装が好きなんだ?」
「んだよ藪から棒に。気色悪ぃな」
「知り合いが気にしてた」
「……知り合いねえ」

 ビールを一気に飲み干した杉元は近くを片付けていたアルバイトに優しく手招きをしてもう一杯と注文を繰り返した。顔色が若干ではあるが回復している。さすがは不死身だ。

「さっきの店員さん、おっぱい大きくてハキハキしてて可愛かったなー」
「そう言うのが好みか?」
「同い年か年上の薄幸の美女」
「あーはいはい、そうだったな」

 そうだ、俺は名前がどうやっても幸せに笑えない事を最初から知っている。
 杉元には物心ついた時からずっと好きだった女がいるのだ。コイツが入社してきたとき、すぐに欠勤をかましたのも地元に残したその女と幼馴染の結婚式が理由だった。
 人妻になった女とコイツがどうにもならないのと一緒で、杉元は絶対に名前を好きになんてなりやしない。

「そろそろ諦めろよ。嫁にするなら思いっ切り年下の方がいいんじゃねえの」
「何で?」
「お前、どうせ100歳過ぎてもピンピンしてんだろ。そんなんに付き合えるのは10歳以上離れた女ぐらいだって」
「年下かー」

 考えたことも無かった、と杉元は呟いた。営業職としてはここでイチオシの商品を勧めるのが正解なんだろうが、遮るように奴が言う。「尾形はどうなんだよ」少なくともこの瞬間は考えたくない質問をコイツは何の悪びれも無く投げ掛けるのだ。

「んだよ、答えたら紹介でもしてくれんのか?」
「するか馬鹿。来る者拒まずで有名な尾形主任殿は何でもいいんだろ」
「さすがにある程度顔が整ってなきゃ勃たねえな」
「まあそれ以前に、俺の女の子の知り合いなんて高校生しかいないんだけど」

 高校生の一括りには誰が入っているんだろうか。明日子は友達が多い。きっと俺の知らない小さなお友達が山程いるのだ。
 傷は差し置いて、顔だけは良いこいつのことだから、名前だけでなくその有象無象からも恋心を抱かれてはいまいか。杉元は見かけと動作に対して少女趣味なところがあるが、まさにこいつの好みそうな設定だ。社会人と女子校生、成人向け雑誌ならばページをめくった途端やる事ヤッている。

「さっきの話だけど、まあ少なくとも、ちょっとは遊んでる子がいいな」
「意外だな。純愛みてえのが好きだとばかり思ってたぜ」
「少女漫画ならもちろんそう言うのが好きだけど、実際相手するとなるとなあ」

 酔いの回った杉元は、普段であれば決して俺には話さないようなセリフを簡単に吐露してくれる。仮に付き合うのが年下だとして、少なくとも自分が初めての男にはなりたくないらしい。

「力加減とか苦手だし」
「それはお前の経験不足だろ」
「俺のせいでキズ物にするとかかわいそうで無理。お前には一生わかんねえだろうけどな」
「喧嘩売ってんのか? 俺だって惚れた女に簡単に手出しなんざしたくねえよ」

 そんなにおかしな事を言っただろうか、杉元が、大きな目を見開き両手を口許に当ててわざとらしく驚いて見せた。確かに酒を飲んでいなければ絶対に話さないような内容ではあるが、一体俺を何だと思っている。
 どうしたことか杉元のことがいちいち癪に障るのだ。今までのただの腐れ縁程度だと思っていた頃とは格段に、コイツの顔を見ているだけで頭の奥が痛くなる。

「あのさあ、ずっと気になってたんだけど」
「すみません、ビールもう一杯」
「尾形ってもしかして、いや、違ったら悪いんだけどよ」
「灰皿交換してもらっても」
「まさかとは思うんだが、お前さあ」
「ここ暑くねえか?」
「名前ちゃんのこと好きだろ」

 駄目だ。

「何でそう思うんだよ」
「お前のこと見てたらなんとなく」
「何となくでロリコン扱いか。とんだ恋愛脳だな」
「尾形が下心無しで誰かに優しくすることなんかありえねーだろ」
「おいおい、その尾形だぜ? 下心があればその日の内にヤってるわ」
「まあ、確かに……」

 そんなわけないか、と笑いながら杉元が届いたばかりの(俺の)ビールを飲み干した。
 嘘を吐くのは慣れているはずなのに、頭が異様に痛くなる。だが頭痛の原因はそれではない、ただ暇な人間に付き合っていることを知られただけで手が震えてしまった自分の心情である。

「帰る。一万あれば足りるだろ」
「え? なんで急に……おい尾形!」
「釣りは電車賃にでもしろ」

 待てと騒ぐ杉元を置いて立ち上がる。ジャケットを忘れて来た気がしたが戻る気には到底なれない。俺が名前を好きだなんて、そんなことあって良いはずが無いのだ。更にはそれを杉元から指摘されるなど尚更あってはいけない。
 服装について聞き出せていないことに気が付いたのはタクシーに乗った時分である。今日のことを名前が知ればどんな顔をするんだろうか。結局俺は半端な人間で、誰一人しあわせにすることも出来やしない。

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