※時系列がめちゃくちゃ
黒くてグネグネした道を月の光だけ頼りにして歩いている。たまに眼前のフードがつまづいたりくもの巣に引っ掛かって舌打ちをしたりするのを、夢うつつみたいに耳から耳に流し込んでいた。暗い。
荒っぽい声と一緒に腕を捕まれた。もし外套を羽織わされていなかったら気持ち悪くて悲鳴を上げたんだろうなアとか不遜なことを考えている。この人はわたしの好きな人を殺すために歩いている。
「今日はこの辺で休むぞ」
「嫌だ。外ですよ」
「わがまま言うな」
尾形さんは火を焚いて、薄緑色のローブを地面に敷いてくれた。コンナ事をしたら汚れてしまいますよ。汚れたところでわたしにはどうだって無いんだけれど、顔に合わない細かな気配りが布の上の虫を指で弾いている。
どうやってもこの人はわたしだけ生かしておくつもりらしかった。気持ち悪くて、砂の上にそのまま座り込んだら次は困ったように服を畳む。
「何だったら食える」
「ライスカレー」
「無茶言うな。それとも寝ずに歩きてえか?」
「死ぬまで走ったって構いません」
「撃ち殺すぞ」
だったらそうしてください、いつかこの男が、谷垣くんにしたように腕を拡げて仁王立ちして見せると彼は特徴的な眉を顰めて何も言わずに座り込んだ。後生大事にしている鉄砲は炎の向かい、わたしの傍らに置いている。
いつでも俺を殺せというアピールなんだろうか。それともわたしが絶対に何ンにも出来ないと踏んでかかっているのだか、この人のことは結局ひとつもわからない。尾形さんはそのまんま仰向けになって雲の無い星空を見上げた。
「今日みたいな半月は星が良く見えるな」
「そうですか」
「別に良いじゃねえか、どっかで生きてんだから」
「今から殺しに行こうってしてる人に言われたくない」
「俺だって殺されそうなんだが」
「悪いことしたからバチが当たったんです」
腕を引きずって、無理に連れられる中で彼は昨日の出来事を思い出すように過去を反芻していた。キチガイになったお母様は殺鼠剤を用いて殺しました。非情な父上殿は自害に見せかけて刺しました。高貴な弟君は後頭部を撃ち抜きました。友人はおりません。私は天涯孤独なのです。
親不孝をしたから今みたいに上手く笑えないのだ。ぜんぶ自分自身の問題でわたしにも佐一くんにも少しも関係無い。彼は、義弟の面影のある明日子ちゃんの存在を認められないってしきりに言っている。世の中の人間は皆自分と同じであるはず、いいや同じでなければオカシイんだと狂人のように繰り返している。わたしがあまりに何にも返さないものだから尾形さんは正気に戻った。ごめんな、とか、この男には少しも似合わない言葉で人の心の隙間に付け込もうとしている。
「なんでわたしなんですか。わたしはこんなに尾形さんのこと嫌いなのに」
「もしお前のことを最初に助けたのが俺だったらどうなってたんだろうな」
「無い話をしないでください。あなたが、ご家族から愛されていた未来と同じぐらい有り得ません」
心許ない月の灯りに尾形さんの目が反射している。ドロリ、乾き切っていると思っていた涙腺が働いていた。そんな小技を使ったところでわたしの心持は少しも変わらないのに。
「アイツを殺せば俺のことを愛してくれると思ってたんだが、また間違っちまったみてえだな」
「白痴のようなことを言いますね。そんなこと、しなかったらよかったのに」
尾形さんが地獄に落ちるべき人間であることと、わたしにだけはいつも優しかったことは両方ほんとうだ。もし彼がマトモな性分だったらキットわたしは恋に落ちていた。
赤い糸を盗んでも、繋がる先までは変わらないんです。自分を慰めるみたいに彼は頭を撫ぜた。そんなに苦しくなるんなら、最初からしなければよかったんだ。
「悪かった。だが、慰めで構わん……俺の事を」
「わたしはあなたと違うんです」
愛は繰り上がりじゃ無いし、感情は書き換えられない。当然な事を教えられなかった尾形さんは少しだけ不憫だ。誰かが救ってくれたらよかったんですけどね。わたしにはどうのしようもありません。
あと百年ぐらい経ったら、死人を蘇生したり過去に戻ったりできる機械ができるかもしれない。それまでさようなら、足元の銃を手に取った。あなたはまた人を殺すんですよ。
赤い糸が千切れていく。尾形さんが、人間っぽく泣いていた。彼は何に呪われているんだろうか。
20191012